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楚
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そ
ふりがな文庫
“
楚
(
そ
)” の例文
一、余、去年
已来
(
いらい
)
心蹟百変、あげて数へがたし。なかんづく、
趙
(
ちよう
)
の貫高を
希
(
こひねが
)
ひ、
楚
(
そ
)
の屈平を仰ぐ、諸知友の知るところなり。
留魂録
(新字旧仮名)
/
吉田松陰
(著)
楚
(
そ
)
の
干将莫邪
(
かんしょうばくや
)
は楚王の命をうけて剣を作ったが、三年かかって
漸
(
ようや
)
く出来たので、王はその遅延を怒って彼を殺そうとした。
中国怪奇小説集:03 捜神記(六朝)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
黄河
(
こうが
)
の上流にあたり、
渭水
(
いすい
)
の下流に位置し、
旧
(
ふる
)
き
呉
(
ご
)
や
楚
(
そ
)
の国と隣りあい、遠くは
斉
(
せい
)
と
魯
(
ろ
)
の境につらなる水陸の要衝だった。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
崖の上の
柑橘
(
かんきつ
)
畑から淵を望むと、まどらかな眼を頭の上へちょこんとつけて、
楚
(
そ
)
々として相戯れている鮎の群れは、夏でなければ求められない風景だ。
香魚の讃
(新字新仮名)
/
佐藤垢石
(著)
楚
(
そ
)
の
威王
(
ゐわう
)
、
莊周
(
さうしう
)
の
賢
(
けん
)
なるを
聞
(
き
)
き、
使
(
つかひ
)
をして
(三一)
幣
(
へい
)
を
厚
(
あつ
)
うして
之
(
これ
)
を
迎
(
むか
)
へしめ、
(三二)
許
(
ゆる
)
すに
相
(
しやう
)
と
爲
(
な
)
すを
以
(
もつ
)
てす。
莊周
(
さうしう
)
笑
(
わら
)
つて
楚
(
そ
)
の
使者
(
ししや
)
に
謂
(
い
)
つて
曰
(
いは
)
く
国訳史記列伝:03 老荘申韓列伝第三
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
▼ もっと見る
漢の高祖との戦に破れた
楚
(
そ
)
の
項羽
(
こうう
)
が、
虞氏
(
ぐし
)
との別れの切なさを歌ったものだが、今日の重衡の心境そのままをいいあらわしてまことにみごとであった。
現代語訳 平家物語:10 第十巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
楽長の
摯
(
し
)
は斉に去った。
亜飯
(
あはん
)
の
干
(
かん
)
は
楚
(
そ
)
に去った。三飯の
繚
(
りょう
)
は
蔡
(
さい
)
に去った。四飯の
欠
(
けつ
)
は
秦
(
しん
)
に去った。
鼓師
(
つづみし
)
の
方叔
(
ほうしゅく
)
は河内に逃げた。
振
(
ふ
)
り
鼓師
(
つづみし
)
の
武
(
ぶ
)
は漢に逃げた。
現代訳論語
(新字新仮名)
/
下村湖人
(著)
楚
(
そ
)
の
項羽
(
かうう
)
や漢の高祖が未だ事を挙げざる前、
秦
(
しん
)
の始皇帝の行列を観て、項羽は取つて以て代るべしと言ひ、高祖は大丈夫
応
(
まさ
)
に是の如くなるべしと言つたといふ
平将門
(新字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
楚
(
そ
)
では王族の一人が
病臥
(
びょうが
)
中の王の
頸
(
くび
)
をしめて位を
奪
(
うば
)
う。
呉
(
ご
)
では足頸を
斬取
(
きりと
)
られた罪人共が王を
襲
(
おそ
)
い、晋では二人の臣が
互
(
たが
)
いに妻を
交換
(
こうかん
)
し合う。このような世の中であった。
弟子
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
唐
(
たう
)
の
開元年中
(
かいげんねんちう
)
、
呉
(
ご
)
楚
(
そ
)
齊
(
せい
)
魯
(
ろ
)
の
間
(
あひだ
)
、
劫賊
(
こふぞく
)
あり。
近頃
(
ちかごろ
)
は
不景氣
(
ふけいき
)
だ、と
徒黨
(
とたう
)
十餘輩
(
じふよはい
)
を
語
(
かた
)
らうて
盛唐縣
(
せいたうけん
)
の
塚原
(
つかはら
)
に
至
(
いた
)
り、
數十
(
すうじふ
)
の
塚
(
つか
)
を
發
(
あば
)
きて
金銀寶玉
(
きんぎんはうぎよく
)
を
掠取
(
かすめと
)
る。
塚
(
つか
)
の
中
(
なか
)
に、
時
(
とき
)
の
人
(
ひと
)
の
白茅冢
(
はくばうちよう
)
と
呼
(
よ
)
ぶものあり。
唐模様
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
この辺は、
漢
(
かん
)
の
高祖
(
こうそ
)
が
楚
(
そ
)
の大軍をやぶった古戦場である。またかの有名な
項羽
(
こうう
)
と
虞美人
(
ぐびじん
)
が最期の悲涙を濡らして相
擁
(
よう
)
した
烏江
(
うこう
)
の
夜陣
(
やじん
)
のあとも近い。
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(一〇九)
故
(
もと
)
の
楚
(
そ
)
の
貴戚
(
きせき
)
、
盡
(
ことごと
)
く
呉起
(
ごき
)
を
害
(
がい
)
せんと
欲
(
ほつ
)
す。
悼王
(
たうわう
)
死
(
し
)
するに
及
(
およ
)
んで、
宗室大臣
(
そうしつだいじん
)
、
亂
(
らん
)
を
作
(
な
)
して
呉起
(
ごき
)
を
攻
(
せ
)
む。
呉起
(
ごき
)
、
走
(
はし
)
つて
王
(
わう
)
の
尸
(
し
)
に
之
(
ゆ
)
きて
之
(
これ
)
に
伏
(
ふ
)
す。
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
わたくしは
楚
(
そ
)
の人で、
侯
(
こう
)
という姓の者でございます。父はこころざしの高い人物として、
湘楚
(
しょうそ
)
のあいだに知られて居りましたが、山林に隠れて
富貴栄達
(
ふっきえいたつ
)
を望みませんでした。
中国怪奇小説集:06 宣室志(唐)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
というのは、
葉
(
しょう
)
は国とはいうものの、もともと
楚
(
そ
)
の一地方でしかない。然るに、楚が侯国でありながら王を僭称しているのにならって、彼も自ら公と称することにしている。
論語物語
(新字新仮名)
/
下村湖人
(著)
一行が招かれて
楚
(
そ
)
の昭王の
許
(
もと
)
へ行こうとした時、
陳
(
ちん
)
・
蔡
(
さい
)
の大夫共が相計り秘かに暴徒を集めて孔子等を途に囲ましめた。孔子の楚に用いられることを
惧
(
おそ
)
れこれを妨げようとしたのである。
弟子
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
開封府
(
かいほうふ
)
に居らしめ、第六子
楨
(
てい
)
を
楚
(
そ
)
王とし、
武昌
(
ぶしょう
)
に居らしめ、第七子
榑
(
ふ
)
を
斉
(
せい
)
王とし、
青州府
(
せいしゅうふ
)
に居らしめ、第八子
梓
(
し
)
を封じて
潭
(
たん
)
王とし、
長沙
(
ちょうさ
)
に
居
(
お
)
き、第九子
杞
(
き
)
を
趙
(
ちょう
)
王とせしが、
此
(
こ
)
は三歳にして
殤
(
しょう
)
し
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
是
(
ここ
)
に
於
(
おい
)
て
呉起
(
ごき
)
、
公主
(
こうしゆ
)
の・
魏
(
ぎ
)
の
相
(
しやう
)
を
賤
(
いや
)
しむを
見
(
み
)
、
(一〇四)
果
(
はた
)
して
魏
(
ぎ
)
の
武矦
(
ぶこう
)
に
辭
(
じ
)
す。
武矦
(
ぶこう
)
之
(
これ
)
を
疑
(
うたが
)
うて
信
(
しん
)
ぜず。
呉起
(
ごき
)
、
罪
(
つみ
)
を
得
(
う
)
るを
懼
(
おそ
)
れ、
遂
(
つひ
)
に
去
(
さ
)
り、
即
(
すなは
)
ち
楚
(
そ
)
に
之
(
ゆ
)
く。
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
それもまた主君玄徳の仁愛を証するもので、恥なき敗戦とは意義が違う。むかし
楚
(
そ
)
の
項羽
(
こうう
)
は戦うごとに勝ちながら、
垓下
(
がいか
)
の一敗に仆るるや、高祖に亡ぼされているでしょう。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
楚
(
そ
)
の
屈原
(
くつげん
)
の
憂憤
(
うっぷん
)
を叙して、そのまさに
汨羅
(
べきら
)
に身を投ぜんとして作るところの
懐沙之賦
(
かいさのふ
)
を長々と引用したとき、司馬遷にはその賦がどうしても
己
(
おのれ
)
自身の作品のごとき気がしてしかたがなかった。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
其の分封
太侈
(
たいし
)
を論ずるに
曰
(
いわ
)
く、都城
百雉
(
ひゃくち
)
を過ぐるは国の害なりとは、
伝
(
でん
)
の文にも見えたるを、国家今や
秦
(
しん
)
晋
(
しん
)
燕
(
えん
)
斉
(
せい
)
梁
(
りょう
)
楚
(
そ
)
呉
(
ご
)
閩
(
びん
)
の諸国、各
其
(
その
)
地
(
ち
)
を尽して
之
(
これ
)
を封じたまい、諸王の都城宮室の制、広狭大小
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
楚
(
そ
)
の大夫子西の人物についてたずねた。先師がこたえられた。——
現代訳論語
(新字新仮名)
/
下村湖人
(著)
老子
(
らうし
)
は
楚
(
そ
)
の
苦縣
(
こけん
)
の
厲郷
(
らいきやう
)
、
曲仁里
(
きよくじんり
)
の
人
(
ひと
)
也
(
なり
)
。
姓
(
せい
)
は
李氏
(
りし
)
、
名
(
な
)
は
耳
(
じ
)
、
字
(
あざな
)
は
伯陽
(
はくやう
)
、
諡
(
おくりな
)
を
聃
(
たん
)
と
曰
(
い
)
ふ。
周
(
しう
)
の
(一)
守藏室
(
しゆざうしつ
)
の
史
(
し
)
也
(
なり
)
。
孔子
(
こうし
)
、
周
(
しう
)
に
適
(
ゆ
)
き、
將
(
まさ
)
に
禮
(
れい
)
を
老子
(
らうし
)
に
問
(
と
)
はんとす。
国訳史記列伝:03 老荘申韓列伝第三
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
……
北斗
(
ほくと
)
の星、
呉
(
ご
)
と
楚
(
そ
)
の地を照らし、その色赤し、おそらく
謀反
(
むほん
)
の
徒
(
と
)
のおこる
兆
(
きざ
)
しならんかと
新・水滸伝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
項羽も
始皇帝
(
しこうてい
)
も
楚
(
そ
)
の
荘王
(
そうおう
)
もみな同じ人間になってしまう。違った人間を同じ人間として記述することが、何が「述べる」だ? 「述べる」とは、違った人間は違った人間として述べることではないか。
李陵
(新字新仮名)
/
中島敦
(著)
楚
(
そ
)
の
悼王
(
たうわう
)
、
素
(
もと
)
より
起
(
き
)
の
賢
(
けん
)
なるを
聞
(
き
)
く。
至
(
いた
)
れば
則
(
すなは
)
ち
楚
(
そ
)
に
相
(
しやう
)
とす。((呉起))
法
(
はふ
)
を
明
(
あきら
)
かにし
令
(
れい
)
を
審
(
つまびら
)
かにし、
不急
(
ふきふ
)
の
官
(
くわん
)
を
捐
(
す
)
て、
(一〇五)
公族
(
こうぞく
)
疏遠
(
そゑん
)
の
者
(
もの
)
を
廢
(
はい
)
し、
以
(
もつ
)
て
戰鬪
(
せんとう
)
の
士
(
し
)
を
撫養
(
ぶやう
)
す。
国訳史記列伝:05 孫子呉起列伝第五
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
泗上
(
しじょう
)
の亭長に身を起したまい、三尺の剣をさげて、白蛇を
㟐蕩山
(
ぼうとうざん
)
に斬り、義兵をあげて、乱世に縦横し、三年にして
秦
(
しん
)
をほろぼし、五年にして
楚
(
そ
)
を平げ、大漢四百年の治をひらいて
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
四隣の
晋
(
しん
)
も
楚
(
そ
)
も
斉
(
せい
)
もいちどに起って、呉の領土を分け
奪
(
ど
)
りにし、呉はついに亡んだ。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(二七)
桓公
(
くわんこう
)
實
(
じつ
)
は
少姫
(
せうき
)
を
怒
(
いか
)
つて、
南
(
みなみ
)
のかた
蔡
(
さい
)
を
襲
(
おそ
)
ふ。
管仲
(
くわんちう
)
因
(
よ
)
つて
楚
(
そ
)
を
伐
(
う
)
ち、
(二八)
包茅
(
はうばう
)
の・
周室
(
しうしつ
)
に
入貢
(
にふこう
)
せざるを
責
(
せ
)
む。
桓公
(
くわんこう
)
實
(
じつ
)
は
北
(
きた
)
のかた
山戎
(
さんじう
)
を
征
(
せい
)
す、
而
(
しかう
)
して
管仲
(
くわんちう
)
因
(
よ
)
つて
燕
(
えん
)
をして
召公
(
せうこう
)
の
政
(
まつりごと
)
を
修
(
をさ
)
めしむ。
国訳史記列伝:02 管晏列伝第二
(旧字旧仮名)
/
司馬遷
(著)
これはむかし
荊山
(
けいざん
)
のもとで、
鳳凰
(
ほうおう
)
が石に棲むのを見て、時の人が、石の心部を切って、
楚
(
そ
)
国の文王に献じ、文王は、稀世の
璞玉
(
あらたま
)
なりと、宝としていましたが、後、
秦
(
しん
)
の
始皇
(
しこう
)
の二十六年に
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
楚
漢検準1級
部首:⽊
13画
“楚”を含む語句
清楚
楚々
楚辞
楚王
苦楚
楚原
楚人
楚人冠
翹楚
痛楚
四面楚歌
楚歌
漢楚軍談
楚囚
楚国
義楚六帖
荊楚
秦楚
楚水
楚満人
...