しば)” の例文
九月のよく晴れた日の夕方、植木の世話も一段落で、錢形平次ぜにがたへいじしばらくの閑日月かんじつげつを、粉煙草をせゝりながら、享樂きやうらくして居る時でした。
……しばらくしてから「次郎! 次郎!」と呼びながら、一人の、ずっと大きな、見知らない男の子が庭へ這入はいって来るのを私は見た。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
それが大きな船の多人数でなく、またしばらく島人の中に住んでいて、やがてかえってったという話も一、二ではなかったように思う。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
あとは涙に物云わせ、しばし文治の顔を見詰めて居りますと、文治もこらえ兼て熱い涙を流しながら、お町の手を握って引寄せますると
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
予の欧洲に赴いた目的は、日本の空気から遊離して、気楽に、真面目まじめに、しばらくでも文明人の生活にしたしむことの外に何もなかつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
「そうです、そうです。けれどもれが僕のし得るかぎりの秘密なんです。」と言ってしばらく言葉を途切とぎらし、気をめて居たが
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
お麻さんがその妾宅で、鬢髱まわりをひっつめた山の手風の大丸髷まるまげにいって、短かく着物をきていたのもしばらくで、また柳橋へかえった。
上框あがりがまちに腰をかけていたもう一人の男はややしばらく彼れの顔を見つめていたが、浪花節なにわぶし語りのような妙に張りのある声で突然口を切った。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「そうだ」警部は、しばし考えていてから、うなるように云った。「そうだ、そう云われて思い出した。之は確にあの男の事件の時に……」
琥珀のパイプ (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
火の手は納屋から母屋おもやに攻め寄せたらしく、煙がしばし空に絶えたかと思うと、間もなく真白になって軒の間からむくむくとふき出した。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
維盛卿の前なれば心をあかさん折もなく、しばしのあひだながら御邊の顏見る毎に胸を裂かるゝ思ひありし、そは他事にもあらず、横笛が事
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
渡さんと思ひしがまてしばし主人が八山へ參り町奉行の威光ゐくわうを落すなと仰られしはこゝなりと平石は態と聲高こわだかに拙者は何方いづかたに參るも帶劔を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
その用事が、片付くと客は、取って付けたように、政局の話などを始めた、父はしばらくの間、興味の乗らないような合槌あいづちを打っていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
チョコレートの削ったのなら上等ですけれども代価が高くなりますからココアを半斤に砂糖半斤へ少し水を加えてしばらく煮詰めて
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
「そうそう、夕方から待たせてあったな。待ちくたびれたと見える。もうしばこらえておれと申せ。間もなく、寝所へまいるほどに」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉良の家を出てしばらく歩くうちに、高雄はからだに不快な違和を感じた。発熱でもしたようで、頭がぼんやりし、ひざから下がひどく重かった。
つばくろ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
額は血がのぼって熱し、眼も赤く充血したらしい? ここに倒れても詩の大和路だママよとじっと私は、目をつむってしばらく土に突っ立っていた。
菜の花物語 (新字新仮名) / 児玉花外(著)
しばらく、道の上に立って、遠くに響く波音を聞き取ろうとした……何の音も聞えて来ない。人も来なければ、犬の啼声なきごえもしないのである。
薔薇と巫女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
もし一度で理解することができなければ、しばらく間をおいて再び読むようにするが好い。努力して読書する習慣を作ることが大切である。
如何に読書すべきか (新字新仮名) / 三木清(著)
余は驚きの余り蹌踉よろめきて倒れんとしわずかに傍らなる柱につかまり我が身体を支え得たり、支え得しまゝしばしが程はほとんど身動きさえも得せず
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
「……」博士は無言で、しばしは口をモゾモゾせられたが、これは変者かわりものをもって鳴る博士の性状せいじょうとして「しかり」を意味するものにほかならぬ。
キド効果 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私の胸中は、まだ憤懣ふんまんちてゐた。私はそれを訴へたい為に、広小路の方まで歩くと云ふK君としばらく一緒に歩くことにした。
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
しばらくして発作の反動が来た。代助は己れを支うる力を用い尽した人の様に、又椅子に腰を卸した。そうして両手で顔を抑えた。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しば浴後ゆあがりを涼みゐる貫一の側に、お静は習々そよそよ団扇うちはの風を送りゐたりしが、縁柱えんばしらもたれて、物をも言はずつかれたる彼の気色を左瞻右視とみかうみ
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
その容子ようすでは決してすれっからしの女でないことや、結婚したにしてもほんのしばらく、半年くらいしか男にふれないようなところがあった。
三階の家 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
読者よ、今しばらく詩人が空想の霊台に来りて彼が心に負へる無象の白翼を借り、高く吾人の民族的理想の頂上より一円の地球を下瞰かかんせずや。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そなたは推移の悲哀があろうと、生々としばしの間の若さと美くしさとを十分にたのしむことが出来るのじゃもの、何で死物が羨ましかろう。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
万葉集の長歌はしばらく問はず、催馬楽さいばらも、平家物語も、謡曲も、浄瑠璃も韻文ゐんぶんである。そこには必ず幾多の詩形が眠つてゐるのに違ひない。
 (しばしの沈黙。ふくろうの声。やがて入口の戸をたたく音。おつやはぎょっとしたように、太吉の手をぐいといて、かみのかたに身を寄せる。)
影:(一幕) (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
見つめらるる人は、座客ざかくのなめなるを厭ひてか、しば眉根まゆねしわ寄せたりしが、とばかり思ひかへししにや、わずかえみを帯びて、一座を見度みわたしぬ。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
言海げんかい』を見るに邦語の「なぐさめ」はなぐより出た語であって(風がなぐ(凪)の類)、「物思いを晴らしてしばし楽む」を意味するという。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
それからしばらくしてから『千紫万紅せんしばんこう』という新らしい名で更に発行されたが、この『千紫万紅』は硯友社よりもむしろ紅葉一個の機関であって
しばらくするうちに、時々母がものを恵んでやつた貧乏のおばあさんが門から這入はいつて来ましたが、間もなく下女の声ですげなく
黄金機会 (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
傍の部屋で、小机にもたれていたわかい番人がひょいと頭をあげた。彼は目を三角にしてしばらく見あげ見おろすのであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
悲哀の念急に迫りて、同志の手前これまでこらえに堪え来りたる望郷の涙は、宛然さながらせきを破りたらんが如く、われながらしばしは顔も得上げざりき。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
與吉よきち紙包かみづゝみの小豆飯あづきめしつくしてしばらくにはさわぎをたがれううち㷀然ぽつさりとして卯平うへい見出みいだして圍爐裏ゐろりちかせまつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
M君は、風をくらうと、しばらくは激しくきこんだ。そのくせ、どっか家ン中か、木蔭こかげに入ろうと云ってもかなかった。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
「こんなところに、こんな難所があるとはおもわなかった」将校も、操縦の下士も、あまりの物凄さに、しば見惚みとれた。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
しらけて、しばらく言葉ことば途絶とだえたうちに所在しよざいがないので、うたうたひの太夫たいふ退屈たいくつをしたとえてかほまへ行燈あんどう吸込すひこむやうな大欠伸おほあくびをしたから。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ト云ッて顔をしかめたが、お勢はさらに気が附かぬ様子。しばらく黙然として何か考えていたが、やがてまた思出し笑をして
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
それがどの程度の確実さがあるかどうか、とにかく皆は此処ここをやめると、又しばらくの間仕事に有りつけないので、知らずにその事を当てにしていた。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
しづかなよひで、どことはなしに青をにほはせたかぐはしい夜風よかぜには先からながれてくる。二人のあひだにはそのまましばらくなんの詞も交されなかつた。
(旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
庭を回って貞子の部屋のぬれ縁から上った二人は、しばらくは互いに黙って向いあっていたが、やがて貞子はふところから白い封筒の手紙をとり出し
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
「えゝ、猫は居なかったやうですよ。きっと居ないんです。ずゐぶんしばらく、私はのぞいてゐたんですけれど、たうとう見えなかったのですから。」
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
と言ひ棄ててち上らんとする松本を、しばしとばかり浦和は制しつ「失礼の様ですが私にはだ理解が出来ません」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
語る者さも無念らしく語りぬ。これを聞きたるばかりにてわれは覚えず涙ぐみたり。しばらくは話とぎれて一本の蝋燭ろうそくは暗き室の内に気味悪き光を放ちぬ。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ってこれを許し、さらに文化十一年に到りて、択捉以南をわが地となし、中間にウルップ島を置き、シモシリ以北を露領となし、事しばらくたいらぐを得たり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
やがてしばしの後、彼女の後姿が、混合酒の触感をいて廊下から消えると、私は地下室の湯殿で未来を夢みる。
恋の一杯売 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
W氏ははじめ少しく当惑したらしく見えましたが、しばらくの間、真面目顔になって考え、それから言いました。
印象 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
「このお部屋、大旦那おおだんなが母屋へお越しになってから、しばらく木ノさんがいらしったんでしょう……」と云った。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)