あなが)” の例文
さりながら嬢と中川は向う側にあり、客の三人此方こなたに並んでせり。結句けっくこの方が嬢の顔を見られて都合好しと大原はあながちにくやまず。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
これをあながち自分に酔う愚かな者の空想だと思うわけにゆきません。それほど民藝館の仕事に私達は一つの信念を抱いているのです。
日本民芸館について (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「しかし、まだほかに、鼻を切られた者があったかも知れ申さぬ。ありとすればあながち、長沼の門人とのみ限られたわけでもござらぬで」
怪異暗闇祭 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
沼南の清貧咄はあながち貧乏をてらうためでもまた借金を申込まれる防禦ぼうぎょ線を張るためでもなかったが、場合にると聴者ききてに悪感を抱かせた。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
あながちにいなみもせず千代は私の杯を受取る。無地の大きなもので父にも私にも大の氣に入りの杯である。お兼はそれになみ/\といだ。
姉妹 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
十六人の子を挙げし十人の妻妾、二人より多くを産みし者なかりしは、深き仔細ありぬるにや。あながち偶然の事のみにあらざるべし。
大久保湖州 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
美の女神ヱヌスの海上出現を希臘の海から、伊豆の浜辺に移し説くものがあつても、あながちそれを荒唐無稽だとは言はぬであらう。
冬日の窓 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
槍ヶ岳対穂高岳は、常陸山ひたちやま対梅ヶ谷というも、あながち無理はなかろう、前者の傲然てる、後者の裕容迫らざるところ、よく似ている。
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
好嫌すききらいは別として、こちらで他に求める条件だけは、ちゃんとこちらにも整えてあるんだから、あながち身勝手ばかり謂うんじゃない。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
王樣わうさま論據ろんきようでした、あたまのあるものならなんでもあたまねることが出來できる、死刑執行者しけいしつかうしやふところもあなが間違まちがつてはない。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
そうすると墳墓発掘ということは場合によっては歴史研究なのだから、歴史家はあながち墳墓発掘を一概に非難出来ない義理合いにあるわけだ。
社会時評 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
アメリカの教育の実態について、今頃になって驚くのも、ずいぶん時代おくれの話であるが、これはあながち私の迂闊さだけではないであろう。
六三制を活かす道 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
この人の絵には詩が無いという人もあるが、あながちそうでもないと思う。少なくも今年の花や風景には、たしかに或る詩と夢がにじんでいる。
二科会展覧会雑感 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
『人死亡みまかる時に、若くはわなきて自らしたがひ、或は絞きて殉はしめ、及びあながちにゆきし人の馬を殉へるが如き旧俗は、皆悉くとどめよ』
本朝変態葬礼史 (新字新仮名) / 中山太郎(著)
つまつた俳優連が襲名によつて人気を新しくし、それと同時に自分の技芸にも一飛躍を企てようとするのは、あながち間違つた仕方でもない。
そしてあながちそればかりが原因ではなかったかも知れませんが、その後間もなくこのベナビデスという男は大学を途中で退めてしまいました。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
これと一場の戯言ぎげんなりとはいへども、この戯言はこれを欲するの念せつなるより出でし者にして、その裏面にはあながちに戯言ならざる者ありき。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それでもかれ強健きやうけん鍛練たんれんされたうでさだめられた一人分にんぶん仕事しごとはたすのはやゝかたぶいてからでもあなが難事なんじではないのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
といつたところが、これはあながち、彼のやうな美人を作らうとして色々と想像を廻ぐらして遣つたものではあるまいと思ふ。
彫刻家の見たる美人 (旧字旧仮名) / 荻原守衛(著)
あながち君に對して興味を棄てよと云ふのではないが、内々に好きからに筆を執つて樂んで居るといふのならば餘り駄作は公表せぬがよいではないか
これは一応もっともらしいが、またあながちそうも言われぬかと思う。ファウストがえらい物だと云うことは事実だとして好かろう。
訳本ファウストについて (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そして今日ではまだ/\趣味を愛する心の方が、より深きものを蔵する心であるといってあながち付会ではない様な気がする。
新古細句銀座通 (新字新仮名) / 岸田劉生(著)
◇訳者曰く=支那に伝われる胎教なるものも、このヒポクラテスの見地より見る時はあながちに荒唐無稽の迷信として一概に排斥すべきものに非ず。
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
されば奧方おくがた町子まちこおのづから寵愛てうあいひらつて、あなが良人おつとあなどるとなけれども、しうとしうとめおはしましてよろ窮屈きうくつかたくるしきよめ御寮ごりようことなり
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
から、あながちそればかりを怒ッた訳でもないが、ただ腹が立つ、まだ何かの事で、おそろしくお勢にあざむかれたような心地がして、訳もなく腹が立つ。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
それらの概念的な言葉を私が好んで用いる美しい言葉によって書き換えることはあながち不必要なことでもないであろう。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
チェーホフの亜流が誘われがちの湿っぽい感傷から、彼女が全くまぬかれているのは、あながち緯度の違いや、ましてや時代の違いからばかりではあるまい。
チェーホフの短篇に就いて (新字新仮名) / 神西清(著)
しかしあながちに詩人になろうとまでははっきりさせていなかった。今となってはそうしているだけでは済まされない。
小野君等が憲政のために尽した努力に負うところすくなからずというてもあながち過言ではあるまいと信ずるのである。
東洋学人を懐う (新字新仮名) / 大隈重信(著)
されば政宗が氏郷に毒を飼ったことは無かったとしても、蒲生方では毒を飼ったと思ってもあながち無理では無く、氏郷が西大寺を服したとても過慮でも無い。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
然し、これはあながち作者の氣息が短かい爲めではなく、むしろ、當初からのプランに從つた結果と、見られる。
「トンネル」に就いて (旧字旧仮名) / 成瀬無極(著)
あながちそれが悪いともいえませんけれども、文学というものを、一般が単純に「趣味」という範囲に限られた心持で考えているということは、申されましょう。
アメリカ文士気質 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
此に至りしことあながちにとがむべからずと雖も、吾人にして若し唯基督教の国家社会を利する所以ゆゑんをのみ論じて
信仰個条なかるべからず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
写実派と理想派との区別漸く立たんとする今日の文壇に、理想詩人の、万人に願求せられながら出現することのおそきも、あながち怪しむに足らじと思はるゝなり。
他界に対する観念 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
吾人ごじんの想像以上なるべきか、これを探撿してもって世に紹介せんことは、あながち無益の挙にあらざるべし、よって予はここに寒中の登岳とうがくを勧誘せんと欲するにのぞ
さびしくあるひかなしい氣持きもちになつたときに、はじめてほんとうの自分じぶんといふものをかんがへてるものです。だからかういふうたも、あながちに排斥はいせきすることは出來できません。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
彼はあながちに死を避けず、又生をいとふにもあらざれど、ふたつながらその値無きを、ひそかいさぎよしとざるなり。当面の苦は彼に死を勧め、半生の悔ははぢを責めて仮さず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
脇田家を後にいたした理由わけ——拙者といたしましては、武芸にては、あながち、師に劣るとも思われませぬ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
現時代を指して「紙の時代」と稱する學者もあるが、あながち不當なる Beiname であるまい。
紙の歴史 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)
苦悶くもんはいよいよ勝るのみ、されど、しょうあながちにこれを忘れんことを願わず、いななつかしの想いは、その一字に一行に苦悩と共に弥増いやますなり。懐かしや、わが苦悶の回顧。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
しかながら現今でも欧洲の多くの婦人は「お守りアミユレツト」を懸けて居り、これはよく彼地かのちの小説の中に出て来るから「お守り」の由来を知つて置くのもあながち無益でないと思ふ。
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
受出申べし我等は隱居いんきよを致さんと泣々なく/\申けるを忠兵衞は是を聞御道理だうりやうなれ共先々まづ/\受出して御覽あるべしあながち女郎と申ても畜生同樣の者ばかりも是なしと段々母親を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
秩父山は依然たる大きな謎の塊で、幾多の峰は夫々解き難き一の謎のように想われた。自分が遠望して山奥深く迷い込んだと書いたのも、あながち無理ではあるまいと思う。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
父母の生みなして、死ぬれば、そのたま永く幽界かくりよおもむきおるを、人これを祭れば、来たりうくることと、ありのままに心得おりて、あながちにその上を穿鑿たずねでもあるべきものなり
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
床下の弗函ドルばこしまってあると云う有金だけでも、少い額ではなかろうと云うのであった。その中には幾分例の小判もあろうという推測も、あながうそではなかろうと思われた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
何故なら、事件発生の直前には、その火術弩は箭をつがえたまま、窓の方へ鏃を向けて掲っていたのだし、その操作は、女性でもあながち出来得ないこともないからであった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
と言って帰りは帰ったが、どう思うても急にほかへは行きたくなかった。というのはあながちお前のおっかさんの住んでいる家——お前の傍を去りたくなかったというのではない。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
前途を測るに当って、一通り過去を振り返ってみるのもあながちに無益なわざではないかも知れない。
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
されば、故人を知つてゐた人々にそれを伝へるのは、今日となつてはあながち無用の事でもない。
して見れば、未開の社会に無生物動植物を罰する法があったとて、あながち怪しむには足るまい。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)