たえ)” の例文
たちまち、チクリと右の手の甲が痛み出した。見ると毒虫にいつの間にやらされていた。駕龍の中にはたえなる名香さえ焚いてあるのだ。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
寺は堤下の低地、ぼくらは門内の“西行の歌碑”と、遊女のたえの碑を見ていたが、「いますか、坊さんかたれか」と、あとにいてゆく。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あまりたえなるに、いぶかしさは忘れたるが、また思い惑いぬ。ひそかに見ばや、小親を置きて世に誰かまたこのおんの調をなし得るものぞ。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
長い間その楽器は皇帝に秘蔵せられていたが、その弦からたえなるをひき出そうと名手がかわるがわる努力してもそのかいは全くなかった。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
みずはか、山姫か、奇しくたえなる姿は底なしの淵の底までも照している。私はおぼえずよろめいて手にした桶をとり落した。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
子供の時分にたえちゃんといういもとと毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被布ひふ平生ふだん着て、人形のように髪を切り下げていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
露子つゆこには、それらの楽器がっきだまっているのですが、ひとつひとつ、いい、しいたえな、音色ねいろをたてて、ふるえているようにえたのであります。
赤い船 (新字新仮名) / 小川未明(著)
西の空に紫の雲がたなびき、珍しい匂が部屋中に満ちあふれ、たえなる楽の音が聞えてくる中を、昇天されたのであった。
踊り連のたえなる手ぶりで、蟻も通わせぬようになっているから、さすがの米友も、その一方を突破するに当惑しました。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あの太陽や青空を、珍しい鳥や獣のすんでいる豊かな森を、あの砂漠さばくを、あのたえなる南国の夜を、思い出したのです。
さす手ひく手のたえ、面白の振りの中にびた禅味がたゆとうとて珍重ちんちょうされたのは、鯉魚庵の有力な檀越だんおつとなって始終、道味聴聞どうみちょうもんの結果でありました。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ちなみにわが国の神官の間に伝わる言い伝えに、人間の霊魂は「たえまろき」たまであるという考えがあるそうである。
ルクレチウスと科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
折しも微吹そよふく風のまにまに、何処いずくより来るとも知らず、いともたえなるかおりあり。怪しと思ひなほぎ見れば、正にこれおのが好物、鼠の天麩羅てんぷらの香なるに。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
神はあしたに命を下し黎明にその所を知らしめて、その造り給える宇宙にたえなる活動を与えつつあるのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
「な、たえよ、妙よ。わるかったな。おとうさんはもうすっかり了見を変えたから、おまえもよく見て迷わずに成仏しろよ。かわいそうにな、かわいそうにな……」
さてその四つの部屋であるが、東南にある一室には、九郎右衛門の病身の妻、おたえというのが住んでいた。またその反対の西南の部屋には、娘のお艶が住んでいた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そのたえなる顔は紫ビロードの帽子に縁取られ、その身体は黒繻子くろじゅす外套がいとうの下に隠されていた。長い上衣の下からは絹の半靴はんぐつにしめられた小さな足が少し見えていた。
それは私に、まだ見たこともない海の彼方かなたの国々や、世にもたえなる異国の花園を想い出させました。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その原因は誰にも分りすぎるほど分っていた。それはかの帯刀の愛娘まなむすめたえに失恋したためだった。
くろがね天狗 (新字新仮名) / 海野十三(著)
空のうるわしさ、地の美しさ、万象のたえなる中に、あまりにいみじき人間美は永遠を誓えぬだけに、もろき命にはげしき情熱の魂をこめて、たとえしもない刹那せつなの美を感じさせる。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
だから極楽に生まれ、浄土へ行っても、自分独りが蓮華はすうてな安座あんざして、迦陵頻伽かりょうびんがたえなる声をききつつ、百飲食おんじきに舌鼓を打って遊んでいるのでは決してありません。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
人の生まるる始めのこと、死にてのちの理などを推慮おしはかりにいうは、いとやくなきわざなれば、ただに古伝説を守りて、人の生まるることは、天津神あまつかみくすしくたえなる産霊むすび御霊みたまによりて
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
朝日岳と本山をつなぐ雪の頂稜を、駆けるように渡りきって、本山の脇腹——烈風の死角デットアングルに逃げ込んで、初めてゆるやかに息を吐く……。四辺はすでにたえなる天上の大花園だ。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
その癖を彫らんとするはもっとも難き事なり、癖を正さんとして自ずから癖の彫られたるはあるべしといいければ、阿波守物の上手そのたえなるを感じて小柄を彫らすを止めたり
おぎの波はいと静かなり。あらしの誘う木葉舟の、島隠れ行く影もほの見ゆ。折しも松の風を払って、たえなる琴の音は二階の一間に起りぬ。新たに来たる離座敷はなれの客は耳をかたぶけつ。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
御行 (もはやえかねたような詠嘆調えいたんちょうにて)ああ、何と云うたえなる楽の音だ。……これが、このあじけない現世うつしよのことなのだろうか?………いいや、これはもう天上の調べだ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
「春の日の霞める時に、住吉すみのえの岸に出で居て、釣舟のとをらふ見れば、いにしえの事ぞおもはる」と歌い出し、浦島の子が海神のたえなる殿に神のおとめと二人いて、老いもせず死にもせずに
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
やさし美しいとおしの、姿や妖婉あで女郎花おみなえし、香ばしき口にたえの歌、いとも嬉しき愛のぬし、住むふるさとの極楽に、まされるわらわの楽しみを、受け給わねば世の中に、これより上のおろかなし
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
浄明寺じょうみょうじの出陳である。舟型光背ふながたこうはいにつつまれた、明快で優にたえなる御姿である。技巧は極めて繊細であるが、よく味ってみれば作者のゆるみなき神経が仏像を一貫して、活きて顫動せんどうしている。
浜は昼間のにぎわいに引きかえて、月の景色のたえなるにもかかわらず人出少し。
女難 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
それからまたしばらくするとおしどりたちはくちばしを胸毛むなげの中に収めて、あおぐろい丸いをおのおのとじた。水の底から老人のふきならす、たえなるふえ音色ねいろがひそやかにのぼりはじめたらしい。
おしどり (新字新仮名) / 新美南吉(著)
対髑髏たいどくろ にしても若しあれを紅葉山人が書かれたものとしたら、そう云う題もつけなさらなかったろうし、又あの女主人公のおたえを「隣の女」のお小夜の様な凄い腕の女にされたかもしれない。
紅葉山人と一葉女史 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
さすがの美人がうれいしずんでる有様、白そうびが露に悩むとでもいいそうな風情ふぜいを殿がフト御覧になってからは、ゆうたえなお容姿ようすに深く思いをよせられて、子爵の御名望ごめいぼうにもかえられぬ御執心と見えて
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
ほばしら索綱つなの黒い影の上に遥か高く、南国の星座が美しく燃えていた。ふと、古代希臘ギリシャの或る神秘家の言った「天体のたえなる諧音」のことが頭に浮かんだ。賢いその古代人はこう説いたのである。
はいっただけでも心がふるえるような天井の高い室、ひげの生えたふとったりっぱな体格をした試験委員、大きなピヤノには、中年の袴をはいた女が後ろ向きになってしきりにたえな音を立てていた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
世間にはなほ端厳うつくしたえなるもののなきにあらず、道を守りて心を正し、父母につかへては孝に君に事へては忠に、他に対しては温和にして、心におおいなる慈悲をいだくものあらばその端厳さ千万倍なり
印度の古話 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
「やかましいぞ。おたえ! われア何も、泣くこたアねえじゃねえか」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
わが艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさは、ながるゝあせ押拭おしぬぐひつゝ、滿顏まんがん微笑びせうたゝえて一顧いつこすると、たちまおこる「きみ」の軍樂ぐんがくたえいさましきそのひゞきは、印度洋インドやうなみをどらんばかり、わが軍艦ぐんかん」の士官しくわん水兵すいへい
哀傷の姫はたえなる言葉にわれをよび
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
たえなる器を再び地上に投げつける。
ルバイヤート (新字新仮名) / オマル・ハイヤーム(著)
「おたえさん、鰻がどうした」
水籠 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
いともたえなる声をもて
たえなるながれ
明智氏は亡んだが、桔梗ききょうの根は諸家に分脈されている。そのうちにもたえなるものは、後に伽羅沙がらしゃとよばれた細川忠興夫人である。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みち近い農家の背戸に牡丹の緋に咲いてしべの香に黄色い雲の色をたたえたのに、舞う蝶のはね袖のびの影が、仏前に捧ぐるたえなる白い手に見える。
遺稿:02 遺稿 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
三十一文字みそひともじたえなる調べもて編み出し、水茎のあとうるわしく草紙物語を綴る婦人も珍しいとはしないが、婦人にして漢詩をよくするという婦人は極めて珍しい。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あなとうとや観世音菩薩ぼさつかたじけなや勢至菩薩。筏のへさきに立って、早や招いていらるるぞ。やっしっし、やっしっし、それ筏は着くぞ。あのたえなる響は極楽鳥の鳴き声じゃな。
或る秋の紫式部 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
土屋庄八郎昌猛はこれほど勝れた人物であったが家庭的には不幸の人で、高坂こうさか弾正の娘であり己が妻であるおたえの方を信ずることが出来なかった。お妙の方には恋人があった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
背のあたりに金色の毛混りて、たえなる光を放つにぞ、名をばそのまま黄金丸こがねまると呼びぬ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
自分の口からいうは変でござりまするが、その娘のたえめが、どうしたことやら、少しばかり器量よしでござりましてな、それゆえ、いくらか人さまの目にもついたのでございましょう。