高輪たかなわ)” の例文
高輪たかなわの巴屋は名物を失ひましたが、臆病者の與茂吉が、綺麗なお絹の婿になつて、又新しい名物にされたことは言ふ迄もありません。
勝川春亭しゅんていの「品川沖之鯨高輪たかなわより見る之図」や、歌川国芳くによしの「七浦捕鯨之図」「宮本武蔵巨鯨退治之図」などが挿入そうにゅうされてあった。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
(これは実際はどこの烟であったか知らない。青山は焼けなかったはずである。方角からいえば高輪たかなわ御殿の烟だったとも思われる)
地異印象記 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
この老婆ろうばは以前は大塚おおつか坂下町辺さかしたまちへん、その前は根岸ねぎし、または高輪たかなわあたりで、度々私娼媒介ししょうばいかいかどで検挙せられたこの仲間の古狸ふるだぬきである。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
芝の高輪たかなわの辺だというのですが、運転手も町の名を知らないのです。もう一度行ってみればわかるだろうというのだそうです。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
巖谷氏いはやし住所ぢうしよころ麹町かうぢまち元園町もとぞのちやうであつた。が麹町かうぢまちにも、高輪たかなわにも、千住せんぢゆにも、つこと多時たじにして、以上いじやう返電へんでんがこない。今時いまどきとは時代じだいちがふ。
春着 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
高輪たかなわの海岸にさしかかったのは夜の五ツ(午後八時)を過ぎた頃で、暗い海に漁船の篝火かがりびが二つ三つ寂しく浮かんでいた。
半七捕物帳:04 湯屋の二階 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「僕達は急に仲が好くなってしまって、もう始終一緒だった。あの頃君は高輪たかなわにいたね。きたない下宿だったじゃないか?」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「おい、この間高輪たかなわの御殿山で猫又さんに會つたぜ。」何かの話が途切れた後で、得能はふと思ひ出したやうに云つた。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
よく捨吉は岡つづきの地勢に沿うて古い寺や墓地の沢山にある三光町さんこうちょう寄の谷間たにあい迂回うかいすることもあり、あるいは高輪たかなわの通りを真直まっすぐ聖坂ひじりざかへと取って
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
透谷庵主、透谷橋外の市寓にみて、近頃高輪たかなわの閑地に新庵を結べり。樹かすかに水清く、もつとも浄念を養ふに便あり。
我牢獄 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
「さいしょは品川の万字相模さがみ」と政は喉の詰った声で云った、「ゆんべは高輪たかなわの松葉屋という安宿です」
あすなろう (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
東海道から江戸へ入るには、是非ともさしかかる山口やまぐち高輪たかなわの浦あたり——、その辺に、必殺の策を伏せておいて、ばらしてしまおうという二人が大体の目算もくさん
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これも昼火事でございましたね。火元は青山の権太原ごんだわらで、麻布三軒家から、広尾、白金、高輪たかなわまで、百二十六カ町というものを焼き尽したんですから大したものです。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
兼「なに今時分は北風が吹くと船頭に聞いておりますからじきかれます、そして追風おいかぜうございます、高輪たかなわから乗ると造作はございません、入らっしゃいましよ/\」
そうでない日はちょうど会社の退けた時刻に大井町で待ち合わせて、蒲田かまた、大森、品川、目黒、主としてあの辺の郊外から、市中では高輪たかなわや田町や三田あたりを廻って見て
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いつも私達が相手にならなかった高輪たかなわのお前のおばが、この夏もまた新しい縁談を私のところに持ってきたが、丁度森さんが北京でお亡くなりになったりした時だったので
楡の家 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
高輪たかなわ泉岳寺せんがくじが今の倍数ほどの借家を建て、同時に門前のお土産みやげ屋が一軒もなくなったとて、府や市が石の榜示を立てなければ、四十七士の墓所の不明になる危険はないはずだ。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
八山下やつやましたの夜がけて、品川の海の浪も静まり、高輪たかなわ一帯の大名屋敷に、灯火一つまばたいてもいず、遠くで吠える犬の声や、手近で鳴らす拍子木の音が、夜の深さを思わせる頃
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
例えば善宗流ぜんそうりゅうの沖鈎、宅間玄牧たくまげんぼく流のはやぶさ鈎、芝高輪たかなわの釣師太郎助たろすけ流の筥鈎などと、家伝かでんによりましていろいろ型がござりますが、……しかし、これなぞは、普通、見越鈎といわれる
顎十郎捕物帳:04 鎌いたち (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
心持ちの解けあわない事があって出演しなかったが(彼らは川上の望んでいた芝高輪たかなわ泉岳寺の四十七士の墓所の下へ別に師の墓を建て、東京における新派劇団からの葬式を営んだ)
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
彼等の言を聞けば、政府にて決答を躊躇ちゅうちょするときは軍艦より高輪たかなわ薩州邸さっしゅうてい砲撃ほうげきし、らに浜御殿はまごてん占領せんりょうして此処ここより大城に向て砲火ほうかを開き、江戸市街を焼打やきうちにすべし云々うんぬんとて
余は三時過ぎから、ある事の為にある若い婦人を伴うて、粕谷から高輪たかなわに往った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
立出みちすがら昨夜ゆうべの相方は斯々かく/\なりなどと雜談ざふだんを云つゝ一本のかさに三人が小雨こさめしのぎながら品川を後にして高輪たかなわよりふだつじの方へ差掛さしかゝりける處に夜の引明なれば未だ往來わうらい人影ひとかげもなく向ふを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
高輪たかなわの宿屋で、亭主が石地蔵と心中をしたなどという種は、八五郎に言われるまでもなく、江戸始まって以来の珍捕物になりそうです。
安政あんせい末年まつねん、一人の若武士わかざむらいが品川から高輪たかなわ海端うみばたを通る。夜はつ過ぎ、ほかに人通りは無い。しば田町たまちの方から人魂ひとだまのやうな火がちゅうまようて来る。
雨夜の怪談 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
芝浦しばうらの月見も高輪たかなわ二十六夜待にじふろくやまちも既になき世の語草かたりぐさである。南品なんぴんの風流を伝へた楼台ろうだいも今はたゞ不潔なる娼家しやうかに過ぎぬ。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
上京後の来助老人が仕事場は芝の高輪たかなわにできましたから、今度はわたしのほうからたずねて行ったことがあります。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
わしの懇意な者が高輪たかなわに茶店を出して、旧幕時分で、可笑しかった、帆かけ船は見えるし、二十六の月を見て結構でしょうと云うと、左様そうでない、通るものは牛馬うしうまばかりで
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
番人乞食が犬を追い散らしてくれた故、高輪たかなわの漁師町のうらにはいりて、海苔取船のりとりぶねがあったから、それをひっくり返して、その下に寝たが、あんまり草臥くたびれたせいか、翌日は
堀内伝右衛門は、町住居まちずまいだった。いつも馬で、若党に仲間ちゅうげんをつれ、高輪たかなわから細川家の上屋敷に近い町まで、わが家の寝床を思いながら、緩慢な馬蹄ひづめの音を楽しんで戻るのだった。
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
辺幅へんぷくを修めない、質素な人の、住居すまいが芝の高輪たかなわにあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所在地まで徒歩するのがならいであったが
売色鴨南蛮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
本郷に移り下谷に移り、下谷御徒町おかちまちへ移り、芝高輪たかなわへ移り、神田かんだ神保町じんぼうちょうに行き、淡路町あわじちょうになった。其処で父君を失ったので、その秋には悲しみの残る家を離れ本郷菊坂町きくざかちょうに住居した。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
このあたりの名寺なる東禅寺は境広く、樹古く、陰欝として深山しんざんに入るのおもひあらしむ。この境内に一条の山径やまみちあり、高輪たかなわより二本榎に通ず、近きをえらむもの、こゝを往還することゝなれり。
鬼心非鬼心:(実聞) (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
たとえば『談海集』巻二十二、寛文十一年九月九日、摂州芥川あくたがわ仇討あだうちの物語のうち、松下助五郎が東海道を上るとて江戸を発足する条に、芝を過ぎて高輪たかなわを通るとて同行者岩崎覚左衛門が狂歌
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
三人連にて立出高輪たかなわへ來りし時仁左衞門大音だいおんあげコレ三吉汝は先年せんねん甲州にて金子配分はいぶんせし砌方々申合せしを一向に用ひず我等兩人へ無體むたい難儀なんぎを懸る事度々たび/\に及ぶ如何に惡逆無道あくぎやくむだうものなり共恥を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
高輪たかなわの巴屋は名物を失いましたが、臆病者の与茂吉が、綺麗なお絹の婿になって、また新しい名物にされたことは言うまでもありません。
多年出入りをしている商人あきんどなどの家で、あるいは青山、あるいは高輪たかなわ、更に本所深川などであるから、いかに若い元気で無茶苦茶に駈けまわっても
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
芝浦しばうらの月見も高輪たかなわ二十六夜待にじゅうろくやまちも既になき世の語草かたりぐさである。南品なんぴんの風流を伝えた楼台ろうだいも今はただ不潔なる娼家しょうかに過ぎぬ。
その晩、岸本はまだ旅から帰りたての客のような形で、兄の義雄と同じ蚊屋かやの内に寝た。高輪たかなわにあるこの新開の町ではもう一月も前から蚊屋をるという。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あの座敷に寝ころんで見たら、房総ぼうそうの海も江戸の町も、一望ひとめであろうと思われる高輪たかなわ鶉坂うずらざかに、久しくかかっていた疑問の建築たてものが、やっと、この秋になって、九分九厘まで竣工できた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
短慮功を為さずと遺言され、それからちっとばかりおとなしくなったが、気のあれえのは性質うまれつきだから止まねえのよ、今日高輪たかなわから乗合船のりえいぶねで客を送り、深川へ上げて佐賀町の友達の処で用を
ば後になし歸ると聞しとらもんも歸らぬ旅にゆくそらの西の久保より赤羽あかばねの川は三としらかべ有馬ありま長家も打過て六堂ならねどふだつじ脇目わきめふらず急ぎしか此程高輪たかなわよりの出火にて愛宕下通りあたらし橋邊まで一圓に燒原やけはらとなり四邊あたり曠々くわう/\として物凄ものすごく雨は次第に降募ふりつのり目先も知ぬしんやみ漸々やう/\にして歩行あゆみける折しもひゞかね
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
高輪たかなわの邸で、学校出の若い社員と、今でも竹刀しないを握ります。ゴルフもこの頃、はじめたが、とても撃剣のようには行きません」
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
くもった寒い日、私は高輪たかなわの海岸に立って、灰色の空と真黒の海を眺めた。明治座一月興行の二番目を目下起稿中で、その第三幕目に高輪海岸の場がある。
一日一筆 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
久しく別れた人たちに会おうとて、自分は高輪たかなわなる小波さざなみ先生の文学会に赴くため始めて市中の電車に乗った。
霊廟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
高輪たかなわの家にある叔父さんの著書をここへも持って来てこのわびしい時のなぐさめとしたいのであるが、人に見られることを気遣きづかって見合せたと書いてよこした。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
就きまして只今では高輪たかなわ八ツ山の前におりょうなどに往らしった時分、お馴染の船宿の二階を借りて居らっしゃいまして、御帰参のお支度にかゝって居りますが、故郷へは錦を飾れの比喩たとえゆえ
その間違いの原因おこりは、実に十五夜の当日、高輪たかなわの月見茶屋から友達とれて、そのまま、大山へ詣り、箱根熱海と遊び廻って立ち帰りますと、死んだ主人あるじが戻ったというわけで、私の方こそ
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平次と八五郎は、その夜のうちに、高輪たかなわに向いました。留守は隣の女房に頼んで、近いところから駕籠かごを二梃、女二人の乗物を中に挟んで宙を飛びました。