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焼打
彼等の言を聞けば、政府にて決答を
躊躇するときは軍艦より
先ず
高輪の
薩州邸を
砲撃し、
更らに
浜御殿を
占領して
此処より大城に向て
砲火を開き、江戸市街を
焼打にすべし
云々とて
だんだん
伺って
見ると、
数限りもない
御一
代中で、
最大の
御危難といえば、
矢張り、あの
相摸国での
焼打だったと
申すことでございます。
姫はその
時の
模様丈は
割合にくわしく
物語られました。——
まずちょっとおもいだしたところでも、春
早々、
甲斐の
武田が
亡ぼされ、六月には、
信長が
本能寺で
焼打ちにあった。