たに)” の例文
旧字:
我が越後にも化石渓あり、魚沼郡うをぬまこほり小出こいでざい羽川はかはといふたに水へかひこくさりたるをながししが一夜にして石にくわしたりと友人いうじん葵亭翁きていをうがかたられき。
かくて仲善き甲乙ふたり青年わかものは、名ばかり公園の丘を下りて温泉宿へ帰る。日は西に傾いてたにの東の山々は目映まばゆきばかり輝いている。
恋を恋する人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
たには狭い、信州上高地のように、湯に漬りながら雪の山を見るという贅沢ぜいたくは出来ない、明日は七曲峠の上で白峰を見たいものだと思う。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
御やすみになっているところを御起しして済みませんが、夜前やぜんからの雨があの通りひどくなりまして、たににわかふくれてまいりました。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
哀れを止むる馬士歌の箱根八里も山を貫きたにをかける汽車なれば関守せきもりの前にひたい地にすりつくる面倒もなければ煙草一服の間に山北につく。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
水力電気の工事でせき留められた木曾川の水が大きなたにの間に見えるようなところで、私はカルサン姿の太郎と一緒になることができた。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そこにきました当座とうざは、そとて、やまや、たに景色けしきをながめてめずらしくおもいましたが、じきに、おな景色けしききてしまいました。
町のお姫さま (新字新仮名) / 小川未明(著)
樹にでも、石にでも、当れば当れ、川にでもたににでも陥らば陥れ、彼はさうした必死的デスペレエトな気持で、獣のやうに風のやうに、たゞ走りに走つた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
それがまたあまりに悲しがりまして、生きていられないというふうなので、今朝けさたにへ飛び込むのでないかと心配されました。五条の家へ使いを
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
たにの水で咽喉のど湿うるおして、それから一里半ばかりも登りますと、見上げる程の大樹ばかりで、両人ふたり草臥くたびれたから大樹の根にどっかり腰を掛けて
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
藤葛ふじかずらじ、たにを越えて、ようやく絶頂まで辿りつくと、果たしてそこに一つの草庵があって、道人はつくえに倚り、童子は鶴にたわむれていました。
藤かずらをじ、たにを越えて、ようやく絶頂までたどりつくと、果たしてそこに一つの草庵があって、道人は机にり、童子どうじは鶴にたわむれていた。
世界怪談名作集:18 牡丹灯記 (新字新仮名) / 瞿佑(著)
丹治はもう山におるのがいやになった。そこから向うのたにへ降りる捷径ちかみちわかれている。丹治は銃を引担ひっかついでそのみちの方へ往きかけた。鶴は動かなかった。
怪人の眼 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
谷川橋の断崖きりぎしきわにある道しるべ石の文字が、白い残月に、微かに読まれて、その後はただ、たにの水音と風だった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もし私の記事によってこのたにを探勝せられるものがあるなら、こいねがわくは自然の愛護を忘れぬようにして欲しい。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
心持こころもちよほどの大蛇と思った、三尺、四尺、五尺四方、一丈余、だんだんと草の動くのが広がって、かたえたにへ一文字にさっとなびいた、はてみねも山も一斉にゆらいだ
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
梨の実の出盛りに庭阪に行き、または葡萄酒ぶどうしゅの仕入時にローヌのたになどをあるいて見ると、盗まれて見なければ豊年の悦喜えつきが、徹底せぬような顔した人がいる。
街道筋からそれて、森の中、たにの間、くまもなく探し廻ったのです。河野も私も、ゆきがかり上じっとしている訳には行きません。手を分って捜索隊に加わりました。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
松柏しょうはく月をおおひては、暗きこといはんかたなく、ややもすれば岩に足をとられて、千仞せんじんたにに落ちんとす。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
パラパラ墓と称する墓場を、雨夜に隠火の出づると言う森と、人魂の落ちこみしと伝うる林を右左にうけて通りこし、かの唐碓のたにの下流なる曲淵まがりぶちの堤に出でたり
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
で、或る晩、———と云うのは、あの異常な経験をしてから二日目の晩、法師丸はこっそり城の裏山のたにへ降りて、そこから城廓の外へ通ずる間道を伝わって行った。
一つはたにに沿った街道で、もう一つは街道の傍から渓に懸った吊橋つりばしを渡って入ってゆく山径だった。街道は展望を持っていたがそんな道の性質として気が散り易かった。
筧の話 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
「あんなことを言っている、白馬ヶ岳から高山の花をんだり、雪のたにを越えたりして、越中の剣岳つるぎだけや、あの盛んな堂々めぐりを、いい気になってながめて来たくせに」
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
小屋のうしろは直ぐ深い大きなたにで、いつの間にか此処らに薄らいだ霧がその渓いっぱいに密雲となって真白に流れ込んでいる。空にもいくらか青いところが見えて来た。
青年僧と叡山の老爺 (新字新仮名) / 若山牧水(著)
軌道より左に折れてもとの街道をゆくに、これもえたる処あれば、山をたにを渡りなどす。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのたにでて蜿蜿えんえんと平原を流るゝ時は竜蛇りゅうだの如き相貌そうぼうとなり、急湍きゅうたん激流に怒号する時は牡牛おうしの如き形相を呈し……まだいろ/\な例へや面白い比喩ひゆが書いてあるけれど……
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
画は青緑せいりょく設色せっしょくです。たにの水が委蛇いいと流れたところに、村落や小橋しょうきょうが散在している、——その上に起した主峯の腹には、ゆうゆうとした秋の雲が、蛤粉ごふんの濃淡を重ねています。
秋山図 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
昨日高城が花田と会ったのは、両側から草山の斜面が切れこんだたにあいの小さな部落で、その小屋にはもはや同盟の記者はいない。食糧と塩を求めて東海岸方面に出発したという。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
深いたにや、高い山を幾つとなく送ったり迎えたりするあいだに、汽車は幾度いくたびとなく高原地の静なステーションにとどまった。旅客たちは敬虔けいけんなような目をそばだてて、山の姿を眺めた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
あの、黒い山がむくむくかさなり、そのむこうにはさだめない雲がけ、たにの水は風よりかる幾本いくほんの木はけわしいがけからからだをげて空にむかう、あの景色が石の滑らかなめんに描いてあるのか。
チュウリップの幻術 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
そこに一つの洞穴があって、入口にたにの水が流れ、それに石橋をかけてあった。
翩翩 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
そして人間というものは誰でも海とか空とか砂漠とか高原とか、そういうはてのない虚しさを愛すのだろうと考えていた。私は山ありたにありという山水の風景には心の慰まないたちであった。
石の思い (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
それから仁和寺にんなじの前を通って、古い若狭わかさ街道に沿うてさきざきに断続する村里を通り過ぎて次第に深いたにに入ってゆくと、景色はいろいろに変って、高雄の紅葉は少し盛りを過ぎていたが
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
松の色と水の音、それは今全く忘れていた山とたにの存在をおもい出させた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
よ、看よ、木々の緑も、浮べる雲も、ひいづる峰も、流るるたにも、そばだいはほも、吹来ふきくる風も、日の光も、とりの鳴くも、空の色も、皆おのづから浮世の物ならで、我はここにうれひを忘れ、かなしみを忘れ、くるしみを忘れ
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
山が急なために、道は色々に折れて、たにに沿いながら登って行く。アメリカの活動によく、広々した高原を見渡しながら、自動車が山腹を縫って走るところがあるが、丁度あのような所なのである。
由布院行 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
髪ながきおんかげたにを深う落ち流に浮きぬしろがね色に
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ことごとく四十たにを越えぬまに寂しくなりぬ千山の路
凍みひびくたにがはの岩床の大岩床の間近まぢかくに寝る
風隠集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
たに行く水はにわかに耳立ちて聞えぬ。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
我が越後にも化石渓あり、魚沼郡うをぬまこほり小出こいでざい羽川はかはといふたに水へかひこくさりたるをながししが一夜にして石にくわしたりと友人いうじん葵亭翁きていをうがかたられき。
親指が没する、くるぶしが没する、脚首あしくびが全部没する、ふくらはぎあたりまで没すると、もうなかなかたにの方から流れる水の流れぜいが分明にこたえる。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
にでも、石にでも、当れば当れ、川にでもたににでもおちらば陥れ、彼はそうした必死的デスペレエトな気持で、獣のように風のように、たゞ走りに走った。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そこで、あくる日、約束の時刻に行ってみると、果たしてたにの北方から風雨あらしのような声がひびいて来て、草も木も皆ざわざわとなびいた。南の方も同様である。
「落ちれば、わしから先だ。しかしつまらん骨折りをやったものさ。……おおだいぶたにが狭くなったな」
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
然し前年の場所へ行くは却って思出の種と避けてたにの上へのぼりながら、途々「縁」について朝田が説いた処を考えた、「縁」は実に「哀」であると沁み沁み感じた。
恋を恋する人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
土地の者は魏法師のことばに従って、藤葛ふじかずらたにを越えて四明山へ往った。四明山の頂上の松の下に小さな草庵そうあんがあって、一人の老人がつくえによっかかって坐っていた。
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
遠州へは信濃しなのから、伊勢の海岸へは飛騨ひだの奥から、寒い季節にばかり出てくるということも聴いたが、サンカの社会には特別の交通路があって、たにの中腹や林の片端かたはし
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
やがて大きな沢や、幾つかのたにを越えて、細い細い山途に差しかかると、山のを離れて月の光りが渓川の水に宿やどっている。二人は黙ったまんまで途を歩いている……
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)
人夫の背負うていた私の写生箱は、いつか細引のいましめを逃れて、カラカラと左のたにへ落ちた。ハッと思って下をのぞくと、幸いに十数間の下で樹の根にさえぎられて止まっている。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)