此處ここ)” の例文
新字:此処
「あゝとこだ、よう、おつぎ、ちつ此處ここまでてくんねえか」といつた。かれ百姓ひやくしやうあひだにはうまいてある村落むら博勞ばくらうであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
此處ここは人の出入りがはげしくて、とても見張つては居られませんから、二十四日の晩からお糸は向島のれうへやつて置くつもりです。
『あなたはいま重態ぢうたいなんですから、おをおちつけて、しづかにしてゐなければいけませんのよ、此處ここ? 此處ここですか……』
彼女こゝに眠る (旧字旧仮名) / 若杉鳥子(著)
「此處かえ。」と老人は、洒嗄しやがれた、重くるしい聲で、「此處ここはの、螢が多いから、螢谷といふ處だ。」
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
年季ねんあけるといつて何處どこかへ料簡れうけん此處ここはおまへさんのうちではないか、このほかにくところもからうではないか、わからぬことふものではありませぬとしかられて
うつせみ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
徳太郎君此處ここへも到り夜々よな/\あみおろされける此事早くも山田奉行やまだぶぎやう大岡忠右衞門きゝて手附の與力よりきに申付召捕めしとるにはおよばず只々嚴重げんぢう追拂おひはらふべしと申ふくめければ與力よりき兩人その意を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「うん、それもさうだが、なにしろおれはもうねむくて閉口へいこうだ。此處ここらでゴロリとやつちまひたいな‥‥」
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
ふとまなこつたのは、いまこのふね責任せきにん双肩さうけんになへる船長せんちやうが、卑劣ひれつにも此時このとき舷燈げんとうひかり朦朧もうろうたるほとりより、てんさけび、ける、幾百いくひやく乘組人のりくみにんをば此處ここ見捨みすてゝ
五月山さつきやまが一ぽん々々/\かぞへられるやうになると、池田いけだまちながさかしたおろされた。此處ここからはもう多田院ただのゐんへ一開帳かいちやうにぎはひは、この小都會せうとくわいをもざわつかしてゐた。
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
をとこもさうすればわたしの太刀たちに、ことにはならなかつたのです。が、薄暗うすぐらやぶなかに、ぢつとをんなかほ刹那せつな、わたしはをとこころさないかぎり、此處ここるまいと覺悟かくごしました。
藪の中 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
翫具おもちや一箇ひとつりやしないわ!それで、お稽古けいこばかり澤山たくさんさせられてさ!あァうしやう、わたし松子まつこさんだつたら此處ここうしてとゞまつてやう!他人ひとあたま接合くツつけたつて駄目だめだわ
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
ここにやまとあやあたへの祖、阿知あちの直、盜み出でて、御馬に乘せまつりて、やまとにいでまさしめき。かれ多遲比野たぢひのに到りて、寤めまして詔りたまはく、「此處ここ何處いづくぞ」と詔りたまひき。
それに次いで契冲の「和字正濫抄わじしやうらんせう」、これは元祿六年の序があります、十七世紀の頃であります。是等が先づ復古の初りでありまして、其の後の歴史は私が此處ここで述べる必要はありませぬ。
仮名遣意見 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
その時わが身はここに、此處ここは星の
独絃哀歌 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
乞食野郎奴こちきやらうめ親爺おやぢやがれ、われこた醫者いしやれてくぜにつてけつかつて、此處ここさは一でもやがんねえ畜生ちきしやうだから、ろう。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「俺は暫らく此處ここを動きたくねえ。お幾と二人の内弟子が何處へ行つたか知らねえが、それに逢つてきたいことがある」
何處どこまでゝも——けれど、それがもしあなたの御迷惑ごめいわくになるとでも仰有おつしやるなら、わたし此處ここでおわかれします。でも、うちへはもうかへらない覺悟かくごです。』
彼女こゝに眠る (旧字旧仮名) / 若杉鳥子(著)
ひかけてふがい、なんなら此處ここへでもび給へ、片隅かたすみつてはなしの邪魔じやまはすまいからといふに
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
今日けふ貴樣達きさまたち此處ここあつめたのはほかでもない。このあひだはら途中とちうおこつたひとつの出來事できごとたいするおれ所感しよかんはなしてかせたいのだ。それは其處そこにゐる中根なかね等卒とうそつのことだ。
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
「おや、おや、變な處へ來たぜ。此處ここ何處どこだらう、何處へ來ちやツたんだらう。」
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
「今日は此處ここに留まりて、まづ大臣の位を賜ひて、明日上りまさむ」とのりたまひて、その山口に留まりて、すなはちかり宮を造りて、俄に豐のあかりして、その隼人に大臣の位を賜ひて
かぞへつゝたくみも深き御堀端ほりばた此處ここぞと猶豫ためらふ一番町たやすく人は殺せぬ物と田安たやす御門も何時いつか過ぎ心もくらうしふちを右にのぞみて星明ほしあかり九段坂をも下り來て飯田町なる堀留ほりどめより過るも早き小川町をがはまち水道橋すゐだうばし
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
えたから、此處ここりまする。』
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
蜀黍粒もろこしつぶおつこつてあんすぞ、さうすつと此處ここけたのまた何處どこへかつてつちやつたな」被害者ひがいしやはいつた。巡査じゆんさ首肯うなづいた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
それもどうものぞみはないらしいですがね、それよりもかねことですよ。先刻さつきぼく此處ここはひらうとすると、れいのあの牧師ぼくしあがりの會計くわいけい老爺おやぢめるのです。
彼女こゝに眠る (旧字旧仮名) / 若杉鳥子(著)
「久留馬登之助は何處どこかへ廻つたのでせう。いづれ此處ここへ來るに違ひありません。入つて待つて居ませう」
と思はず知らず叫んで、びツくりしたといふよりは、あきかへツて見てゐると無量幾千萬の螢が、まりのやうにかたまツて飛違ツてゐる。それに此處ここの螢は普通の螢の二倍の大きさがある。
水郷 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
そうしてスガのところにおいでになつて仰せられるには、「わたしは此處ここに來て心もちが清々すがすがしい」と仰せになつて、其處そこに宮殿をお造りになりました。それで其處をば今でもスガというのです。
致せしおぼえ更に是なしと云に家主はコレサ此處ここにて何を云ともやくには立ず覺えなければ早くたり御奉行樣の前にて辯解いひわけいたされよと家主は吉五郎をうながして名主の玄關へ同道なせしに正面しやうめんには大岡殿を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
さあ、みんなけ、此處ここだ‥‥
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
此處ここに皆んな揃つてゐることに氣が付かないんだね。生垣いけがきの外に立つて、まだいちや付いてやがる」
「和助とお舟は、昨夜ゆうべ別々に此處ここを出て、お曾與を殺すつもりで行つたんだらう」
「へエ——、私も師匠も、此處ここから外へ一と足も出ませんよ」
此處ここで降りて歩かなきアなりません。駕籠で行つてはまづい」
「すると、此處ここから——」
此處ここに居りました」