彼処あすこ)” の例文
旧字:彼處
行き合ふ人や後から来る人に顔を見られても、彼処あすこまで行つてしまへば何処から来たのだか分るまいと云ふやうな気がするのである。
買出し (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
さ「はい、業平橋と云う所は妙見様みょうけんさまく時通りましたが、あゝ云う処へお住いなすっては長生ながいきをいたしますよ、彼処あすこがお下屋敷しもやしきで」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
わしは林檎りんごの樹の下へ行っているから、お前もたばねが済んだら彼処あすこへ来てくれないか。あぜを歩くんだぞ、麦を倒すとけないからな
麦畑 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
してその時私は考へた、都会は美くしいが実に怖ろしい処だ、彼処あすこには黄金、酒、毒薬、芸術、女、すべてが爛壊らんえに瀕してゐる。
新橋 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「君、君、今日は井口君がしょげている。彼処あすこ最早もうソロ/\小競合の始まる時分だ。何しろ中川夫人が軍師についているからね」
髪の毛 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
なんでも奥様が御一緒に買物を遊ばしまして——ホラ、電車通に小間物を売る店が御座いましょう——彼処あすこなんで御座いますよ。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私が前へ便所はばかりへ往くようにして出て往って、彼処あすこ三叉路みつまたの処で待っておる、お前も後から便所へ行くと云って出て来て、三叉路の処へお出で
白い花赤い茎 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
もっと彼処あすこへは、去年の秋、細君だけが引越ひきこして参ったので。ちょうわたくしがお宿を致したその御仁ごじんが……お名は申しますまい。」
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
コレクション全部を市の道路局にでも寄付して、日比谷の公会堂へ行くがいい。彼処あすこでは音楽の刺身がふんだんに聴かれる。
誰れか彼処あすこで、ダンスを踊っていたんじゃあないかと言う、極めて漠然とした、だが非常に有力な暗示にぶつかったんだ。
花束の虫 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
あれ叡山えいざんです。彼が比良です。彼処あすこう少し湖水に出っぱった所に青黒あおぐろいものが見えましょう——彼が唐崎からさきの松です」
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
今度日本の軍艦が来たからその接待をさかんにしなければならぬとうので、彼処あすこに陸軍の出張所を見たようなものがある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「あ、彼処あすこに灯が見える。彼処に誰かが住んでいるのだ。あの人家が見え出したからには、もうき町へ着くだろう」
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それで、母も孔雀さんも、前々から、身体だけは馴らして置いた方がいい——と云うものですから、彼処あすこの廻転椅子で、その稽古をする気になりました。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
………彼処あすこで、止せば可いのに可加減いいかげん飲んでね。雀部さん達はまだわしより若いから可いが、俺はこれ此の通りさ。
(新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「急にそう思うような宿はうせ見付からない。松林館に行ったら屹度きっとあるかも知れぬ。彼処あすこならば知った宿だから可い。今晩一緒に行って見ましょう。」
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
そして、達子から君に恋人ラヴァーがあるということを聞いた時、何故かそれを思い出して、実はすぐに彼処あすこへ内々探りに行ったものさ。すると果してそうなんだ。
野ざらし (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
芳子が今日は先生少し遅くなりますからと顔をあかくして言った。「彼処あすこに行くのか」と問うと、「いいえ! 一寸ちょっと友達の処に用があって寄って来ますから」
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
停車場ステエシヨンの駅夫にロダン先生の家へく道を聞くと、彼処あすこをずつとけばいと云つて岡の下の一筋道を教へてれた。馬車などは一台もない停車場ステエシヨンである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
「素晴らしい庭ですな。彼処あすこの杉林から泉水の裏手へかけての幽邃な趣は、とても市内ぢや見られませんね。五十万円でも、これぢや高くはありませんね。」
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
「あ、彼処あすこだ。」と、二人はおどって飛び降りた。岩はさながら獅子が口を明いたような形で、のどとも云うべき奥の処から、怪しき金色こんじきの光を発するのであった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼処あすこのうちの台所は、とても立派な、調理用ストーブが並んでいるし、井戸は坐っていてめるように、台所の中央まんなかにあるし、料理は赤堀先生の高弟で、洋食は
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
おのれやれ是が味方であったら……此処からわめけば、彼処あすこからでもよもや聴付けぬ事はあるまい。なまじいに早まって虎狼ころうのような日傭兵ひやといへいの手に掛ろうより、其方がい。
それはまだ私の学校時代の事だから、彼処あすこらも現今いまの様ににぎやかではなかった、ことにこの川縁かわぶちの通りというのは、一方は癩病らいびょう病院の黒い板塀がズーッと長く続いていて
白い蝶 (新字新仮名) / 岡田三郎助(著)
そう云えば彼処あすこの息子と来たら綽名あだなを喇嘛王と云われるだけあって、そりゃ素敵に気高うがす。そして何んでも十八年ぶりに邂逅めぐりあったとか云うことですよ。しかも拉薩の都でね
喇嘛の行衛 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「解らんぢやありませんか。親い御交際の間でもない私に資本を出して下さる。さうしてその訳はと云へば、貴方も彼処あすこを出る。解らんぢやありませんか。どうか飯を下さいな」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
お前の竿の先の見当の真直まっすぐのところを御覧。そら彼処あすこに古い「出しぐい」がならんで、乱杭らんぐいになっているだろう。その中の一本の杭の横に大きな南京釘ナンキンくぎが打ってあるのが見えるだろう。
蘆声 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しかし「竹伐山」という言葉からしても、全体の調子のはっきりした印象を人に与える点から言っても、青々とした竹山は折節彼処あすこにも此処ここにも人夫が這入って竹を伐っておる
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
彼処あすこから私は直ぐ、家へ戻って見ましたが、伯父はまだ帰宅して居りませんでした」
P丘の殺人事件 (新字新仮名) / 松本泰(著)
モスクワへも、ペテルブルグへも、ワルシャワへも……ワルシャワはじつによいところです、わたし幸福こうふくの五年間ねんかん彼処あすこおくったのでした、それはいいまちです、是非ぜひきましょう、ねえきみ
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
憤らせてしまふことも効があつたが彼女は静かに「帰りにお父さんの処に寄らないことにしませうよ。寄ると駄目だわ、どうしてもあなたは彼処あすこで夕方まで眠つてしまふんだもの!」
F村での春 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
「旦那、わしが今迄稼いでたあのステンショね、彼処あすこからもう余程よつぽど来ただんべえか?」
椋のミハイロ (新字旧仮名) / ボレスワフ・プルス(著)
嘘では無いよ何時かお前が言つた通り上等の運が馬車に乗つて迎ひに来たといふ騒ぎだから彼処あすこの裏には居られない、吉ちやんそのうちに糸織ぞろひを調こしらへて上るよと言へば、厭やだ
わかれ道 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
彼処あすこの釣を見ては、竿や綸鈎いとはり善悪よしあしなどを論じてるのは、馬鹿げきツてるです。
元日の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
風聞にれば総角そうかくの頃に早く怙恃こじうしない、寄辺渚よるべなぎさたななし小舟おぶねでは無く宿無小僧となり、彼処あすこ親戚しんせき此処ここ知己しるべと流れ渡ッている内、かつて侍奉公までした事が有るといいイヤ無いという
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
「もとはそら彼処あすこたきがあって、みんな夏になるとく出掛けたものですがね」
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
来てお泊りな裏から三人で逃出さアネ、イエ正直な所は私しも最う彼処あすこに居るのは厭で/\ならないのお前達と一緒に逃げれば好かッた、アヽ時々そう思うよ今でも連れて逃げてくれれば好いと
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
彼処あすこの森をったというから、電車は、あの池の上辺を通っているだろう。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
それからしたはうへかけて、カリフォルニヤがい坂道さかみちを、断間たえまなく鋼索鉄道ケーブルカー往来わうらいするのがえる。地震ぢしんときけたのが彼処あすこ近頃ちかごろてかけた市庁しちやうあれと、甲板かんぱんうへ評定ひやうぢやうとり/″\すこぶやかましい。
検疫と荷物検査 (新字旧仮名) / 杉村楚人冠(著)
そら、あの悪魔が巣くふところは彼処あすこだ! 奴めが金銀を貯へてをるとすると……。もうぢき十字架の傍を通りすぎる筈だが——あれは墓場だ! あの下で奴の穢れた先祖どもが腐つてをるのだ。
わざと知らせて馬鹿ばかがらせてよろこばせれば、大面先生おほづらせんせい横平よこひらたく、其面そのつらまはし、菊塢きくう可笑をかしやつだ、今度の会は彼処あすこもよほしてやらうと有難ありがたくない御託宣ごたくせん、これが諸方しよはう引札ひきふだとなり、聞人達もんじんたち引付ひきつけ
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
『三越へ電話で頼んで頂戴よ。彼処あすこにはあるに決つて居るのだから。』
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
「阿母さんは、一体いつまで私を彼処あすこで働かしておくつもりだろう」
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
もうすつかり新緑になりましたね、此頃は毎日染井そめいが思ひ出されます。本当に彼処あすこの晩春から初夏にかけての殊に夕方のよさつたらありませんね、私たちもまた、彼処へかへつてゆきたくなりました。
私信:――野上彌生様へ (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
「いいえ——彼処あすこは、お由羅様の、御生家でござりましよう」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
「むろんあれも彼処あすこに在ったままだ」
海浜荘の殺人 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
行き合う人や後から来る人に顔を見られても、彼処あすこまで行ってしまえば何処どこから来たのだか分るまいと云うような気がするのである。
買出し (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ありゃア酔ったまぎれにツイ摘食つまみぐいをしたので、己がわるかったから堪忍してくれろ、もう二度と彼処あすこきさえしなければいだろう
彼処あすこまで乃公おれの釣竿が届くかしらと思ったのが、そもそも非常な誘惑であった。そして其の釣竿が届いたのが飛んだ災難の原因もとになった。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
それから市村さんの宿へ行つて見ると、彼処あすこにも居ません。ひよつとすると、こりや貴方あなたところかも知れない、斯う思つてやつて来たんです。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)