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がくしや
秦王後に
之を
悔い、
人をして
之を
赦さしむれば、
非已に
死せり。
申子・
韓子は
皆書を
著はし
後世に
傳ふ、
(一二一)學者多く
有り。
さうして
學者も
文學者も、かならずしも
上流社會の
人々ばかりでなく、かへって
低い
位置の
人の
方に
中心が
移つて
來るようになりました。
なさん是
却て
罪人多くならん
媒也とあざけりし人多しとかや
是非學者の
論なりといにしへより
我朝の
掟にぞかゝる事なけれども利の
當然なり
新法を
主墳では
有るまいが、
人氣の
緩んで
居る
折柄とて、
學者も、
記者も、
高等野次馬も、
警官も、
悉く
此所へ
集まつて、
作業の
邪魔となる
事夥多しい。
此方は
眞から
盡す
氣でも
取りやうに
寄つては
面白くなく
見える
事もあらう、
勇さんだからとて
彼の
通り
物の
道理を
心得た、
利發の
人ではあり
隨分學者でもある
學問は
社會へ
出るための
方便と
心得てゐたから、
社會を一
歩退ぞかなくつては
達する
事の
出來ない、
學者といふ
地位には、
餘り
多くの
興味を
有つてゐなかつた。
……
學者の
術語ばなれがして、
商賣によつて
賢しである、と
思つたばかりは
二人組かけ
合の
呼聲も、
實は
玄米パンと、ちんどん
屋、また
一所になつた……どぢやう、どぢやう
かように
人類の
文化の
三階段があるといふことを
初めて
唱へた
人は、
今日から
百年ばかり
以前に
生きてゐた、デンマルクの
學者トムゼンであります。
然るに
第二の
方面に
於ては、
歐洲特にドイツ
邊に
優秀な
學者が
多く
現れ、
近年わが
國は
此點について
彼に
一歩を
讓つてゐたかの
感があつたが、
大正十二年關東大地震以來
吾助は
大層な
學者にて
何ごとも
知らぬ
事なく、
西洋だの
支那だの
天竺や
何かのことも
宜く
知りて、
其話しが
面白ければ
姉樣にも
是非お
聞かせ
申たし、
從來の
爺と
違ひ
僕を
可愛がりて
姉樣を
賞めて
男と
女の
別は
現されてゐますが、ことに
女の
土偶がたくさんにありますのは、この
時分には
女の
神さまを
崇拜したゝめに
造つたものだといふ
學者もあります。
ところが、このお
歌よりも、
遙かに
新しい
時代のたくさんな
歌が、けっしてあなた
方ばかりでなく、
大人の、しかも
專門の
學者たちにさへも、わからないものが
多いのです。
但しある
意味に
於ける
世界第一のこの
火山に
於て
一の
觀測所をも
有しないことは、
外國の
學者に
對しても
恥かしく
思つてゐたが、
今は
京都帝國大學の
觀測所がこゝに
設立されてゐる。
何うで
我れは
此樣な
活地なし、
馬車は
思ひも
寄らぬ
事、
此後辻車ひくやら
知れた
物で
無ければ、
今のうち
身の
納りを
考へて、
利口で
物の
出來る、
學者で
好男子で、
年の
若いに
乘かへるが
隨一であらう