夜更よふけ)” の例文
だがその行先はしばら秘中ひちゅうの秘としてあずかることとし、その夜更よふけ、大学の法医学教室に起った怪事件について述べるのが順序であろう。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
哲郎は何かたべ物でも買って往きたいと思いだしたが、さて何を買って好いやら、この夜更よふけに何があるものやらちょと思いだせなかった。
青い紐 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
七十幾つとか言つても、まだ飛んだ達者な婆さんでしたが、夜更よふけに急にお産があるといふ使で出かけたつきり、堀へちて死んでゐたのを
と云う……人を見た声も様子も、通りがかりに、その何となくしおれたのを見て、下に水ある橋の夜更よふけ、とおやじが案じたほどのものではない。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
女は全身のなまなましいからだから放つ紙のような白さを、夜更よふけの冴えた電燈にさらしながら、ながい間見つめているうちに
香爐を盗む (新字新仮名) / 室生犀星(著)
よく芸者などが客や朋輩ほうばいうわさをしていました。夜は仕事をしまった男たちが寄って来て、歌うやら騒ぐやら、夜更よふけまでにぎやかなことでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
この夜更よふけに、この寒さに、こんな所を通る人はあるまいと思うのに、折しもコツコツと歩道を踏んで来る人影がありました。
計略二重戦:少年密偵 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
妻は夜更よふけに彼を外に誘った。一歩家の外に出ると、白いほこりをかむったトタン屋根の四五軒の平屋が、その屋根の上にかわききった星空があった。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
今まで多少静まっていた暴風雨あらしが、この時は夜更よふけと共につのったものか、真黒な空が真黒いなりに活動して、瞬間も休まないように感ぜられた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
主「ごまかして時々出掛けるね、併し今夜は小言を云いません、夜更よふけの事だから、向後きょうごたしなみませんといけませんよ」
文七元結 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
その夜更よふけである。土藏の裏手へ一つの影が忍び込んで來た。それは其日の夕方警察の留置場から出された周三であつた。
天国の記録 (旧字旧仮名) / 下村千秋(著)
夜更よふけである。宮庭の宴会から細君の手を執つて帰つて来たモリエエルの顔は蒼醒あをざめて居る。薄暗い楽屋の板間で突然アルマンの手にすがる男がある。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
「えらい濟んまへんなあ。そやけどなあ、そないえらさうに云はんかてよろしおまつしやろ。夜更よふけでも夜あけでも、人を泊めるのが宿屋の商賣だつせ。」
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
父はこの淀井を伴い、田崎が先に提灯ちょうちんをつけて、蟲のの雨かと疑われる夜更よふけの庭をば、二度まで巡回された。
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
(こんな夜更よふけに暗がりの庭に私を出で立たせるやうな落着けない、興奮した氣分をかもしたのには、無論この二つの事情があづかつてゐるのではあるが。)
案事あんじけれどもお菊がなさけひかされて毎夜々々通ひはなすものゝ何時もとまる事なく夜更よふけて歸りけるが今夜も最早もはや丑刻やつすぎ頃馬喰町へぞ歸りける然るに先刻さきより樣子を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
もう繁った笹に霜が降ったころです、こんなに夜更よふけにお帰りにならずに、暁になってからにおしなさい、といって、女が男の帰るのを惜しむ心持の歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
そうかと思うと二、三日風呂にも行かず夜更よふけまで机へすがったきりでコツコツ何か書いたり読んだりする。
まじょりか皿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
お小夜はまた例の三郎のことに屈托くったくしてか、とぎれとぎれにとうん……とうんと杵をおろしてる。力の弱い音に夜更よふけの米搗、寂しさに馴れてる耳にも哀れに悲しい。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
時節は五月雨さみだれのまだ思切おもいきり悪く昨夕ゆうべより小止おやみなく降りて、欞子れんじもとに四足踏伸ばしたるねこものうくしてたんともせず、夜更よふけて酔はされし酒に、あけ近くからぐつすり眠り
そめちがへ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
気にする人も絶えてない夜更よふけに、ぽつり/\と二つの人影が寄りそうて、ピツタリ一つになつて行く
世帯休業 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
夜更よふけから暁方あけがたへかけて、こうして扮装みなりを変えて毎夜のように尋ねてみるが、ついぞ出会でっくわし申さぬ。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
その夜更よふけになって、布引氏の上にも鳥井青年の上にも、申合わせた様に、非常な事件が起った。
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
雲根志うんこんし灵異れいいの部に曰、隣家となり壮勇さうゆうの者あり儀兵衛といふ。或時田上谷たがみだにといふ山中にゆき夜更よふけかへるに、むかうなる山の澗底たにそこより青く光りにじの如くのぼりてすゑはそらまじはる。
夜更よふけまで、その講義録の中の数行が目にちらついて消えなかった。それは次の文字である。
夢の殺人 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
その中一名は宿屋に入って鶏の足を暖め、夜更よふけに時を作らせて、まだ暗い中に出立させた。
彼は夜更よふけの電燈の下に彼の勉強を怠らなかつた。同時に又彼が以前書いた十何篇かの論文には、——就中なかんづく「リイプクネヒトを憶ふ」の一篇にはだんだん物足ものたらなさを感じ出した。
或社会主義者 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
「それにしても……」と、私はその夜更よふけ、一人で帰途を急ぎつつ、考へにふけつた。私の未だ無経験な頭には、その時、ふと、次の如き詩句が強い力で湧き起つて来るのだつた。
アリア人の孤独 (新字旧仮名) / 松永延造(著)
やみ夜更よふけにひとりかへるわたぶね殘月ざんげつのあしたに渡る夏の朝、雪の日、暴風雨あらしの日、風趣おもむきはあつてもはなしはない。平日なみひの並のはなしのひとつふたつが、手帳のはしに殘つてゐる。
佃のわたし (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
夕日ゆふひしづころ櫻木大佐さくらぎたいさ武村兵曹たけむらへいそうも、いたつかれてかへつてたが、終日しうじつ延氣のんきあそんだ吾等われら兩人りやうにんかほの、昨日きのふよりは餘程よほどすぐれてへるとて、大笑おほわらひであつた。この夜更よふけまで色々いろ/\快談くわいだん
夜更よふけまで所々をうろついて珍らしい光明面と闇黒面とを味ふのである。パリイのやうな大都会にはこの両面があつて、吾々のやうな局外の観察者には無限の興味を感ぜさせるのである。
どうしてこんな夜更よふけにとたずねると、ぜひお話したいことがあって来たという。
顎十郎捕物帳:20 金鳳釵 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
に入つてから、ト或る山の下へ来た。山の上は町で、家が家におぶさつたやうにかさなり合つてゐて、燈火あかりが星のやうに見える。もう夜更よふけだのに、何処でか奏楽のがして、人通りが絶えない。
椋のミハイロ (新字旧仮名) / ボレスワフ・プルス(著)
たとえ警察の力をりないとしても、この夜更よふけではどう捜す方法もない。
劇団「笑う妖魔」 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
『おかしいな? 伝馬の者が、こんな夜更よふけにこっそり訪ねて来るなんて』
魚紋 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高次郎氏の師匠はさらにこの歌集の巻末に、加藤君はある夜役所の帰りに突然私の所へ来て、雑誌に出た自身の歌を全部清書したいからと云い、端座したまま夜更よふけまでかかって清書をし終えた。
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
その悲壮な泣き声が、古い洋館の夜更よふけの闇を物凄くふるわせるのだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
つ四五日前にも、』と信吾は言葉を次いだ。『突然つて來て大分夜更よふけまで遊んで行つた。今度の問題に就いちや別段話もなかつたが、(俺も二十七ですからねえ。)なんて言つてゐたつけ。』
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
小説的かも知れんけれど、八犬伝はつけんでん浜路はまじだ、信乃しの明朝あしたは立つて了ふと云ふので、親の目を忍んで夜更よふけひに来る、あの情合じやうあひでなければならない。いや、妙だ! 自分の身の上も信乃に似てゐる。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
彼は何をしにこんな夜更よふけ、新聞社の屋上に上ってきたのだったか。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
かれあき大豆打だいづうちといふばんなどには、唐箕たうみけたりたはらつくつたりするあひだに二しようや三じよう大豆だいづひそかかくしていておしなうちつてつた。さうして豆熬まめいりかじつては夜更よふけまではなしをすることもあつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ある夜更よふけすでに三時に近づいてをり客は私と男と二人であつた。
いづこへ (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
この夜更よふけに、わたしの眠をさましたものは何の気配けはひか。
詩集夏花 (新字旧仮名) / 伊東静雄(著)
夜更よふけらしいしずかな趣が想像される。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
夜更よふけの逗子の町は閑寂ひっそりしていた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その時刻のことは、はっきりしなかったが、とにかく、かなり夜更よふけになって、新田先生は、ごうんごうんという遠雷のような響を耳にした。
火星兵団 (新字新仮名) / 海野十三(著)
夜更よふけの事とてたれも知らず、あしたになりて見着みつけたる、お春の身体からだは冷たかりき、蜘蛛のへりし跡やらむ、縄にてくびりし如く青きすぢをぞゑがきし。
妖怪年代記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
その島田は以前と違って、大抵はうちにいない事が多かった。彼の帰る時刻は何時も夜更よふけらしかった。従って日中は滅多に顔を合せる機会がなかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夜更よふけが急に籐椅子とういすの上にすべちている。隣の椅子で親切な友人はギラギラした眼の少女と話しあっている。(おなかがすいたな、何か食べに行かないか)
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
電車もなくなって仕舞ったので、慶三は人力車くるまの上から夜更よふけの風に吹かれながら、更に再びお千代と怪しい男との間に潜んだ情交の真相を知らんと苦しんだ。
夏すがた (新字新仮名) / 永井荷風(著)