きわ)” の例文
あの世には悩みも恨みもこれあるまじく、父の手を執りて由利どのを追い、共に白玉楼中はくぎょくろうちゅうの人となるが、いまはのきわの喜びに御座候。
「のう、小坂部。父と叔父とが大事なきわじゃ。むかしの恨みは捨て置いて、今度だけは……。わしも共々に頼む。いてくりゃれ。」
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
慈恩の笄でございます、母性愛の光でございます、子をうりょうる孫兵衛の母が、いまわのきわの意見を縫いつけた呪縛じゅばくの針でございます。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
翌日の晩方自分は父ともろともに、叔父と娘とを舟へ乗り込むまで見送ッたが,別れのきわに娘は自分に細々こまごま告別いとまごいをして再会を約した。
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
あえぎ/\車のきわまで辿たどり着くと、雑色ぞうしき舎人とねりたちが手に/\かざす松明たいまつの火のゆらめく中で定国や菅根やその他の人々が力を添え
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
新しいものを築きはじめるのに多分の興味と刺戟しげきとを感ずる彼女は、きわどいところで、思いもかけない生活の弾力性を喚起よびおこされたりした。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
たたかいは必死のきわにおし詰められている、浜松に敵の一兵もいれてはならぬのだ、評定は出陣ときまった、いずれもすぐその用意につけ
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
男の人って、死ぬるきわまで、こんなにもったい振って意義だの何だのにこだわり、見栄みえを張ってうそをついていなければならないのかしら。
おさん (新字新仮名) / 太宰治(著)
御仮屋の北にあたるらちきわに、源の家族が見物していたのですが、両親の顔も、叔母の顔も、若い妻の顔すらも、源の目には入りません。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
糸子はきわどいところを少し出過ぎた。二十世紀の会話は巧妙なる一種の芸術である。出ねば要領を得ぬ。出過ぎるとはたかれる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
がしかし楠の木のきわまで行くと、ヒューッと風を切る音がして電光のように白征矢そやが、楠の木の蔭から飛んで来て鷲の翼につき刺さった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
まして、戸口に消えるきわに、ふりかえった姫の輝くような頬のうえに、細く伝うもののあったのを知る者の、あるわけはなかった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
仕事にもぐりこもうとあせっているとか、借金からぬけ出そうともがいているとか、しょっちゅうきわどいところに立っている。
でも、私は目的の土蔵の窓の下にたどりつくと、丁度その土塀のきわにあった一つの岩を小楯こだてに身を隠して、じっと、あたりの様子を窺った。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と出掛けては見たが、今母上が最後のきわだからき切れないで、又帰って来ますと、気丈な母ですから血だらけで這出しながら、虫の息で
秋の日の夕暮近いころで、電車を幾つも乗り換え北沢へ着いたときは、野道の茶の花が薄闇うすやみの中にきわ立って白く見えていた。
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
臨終いまわきわに、兼てより懇意こころやすくせし、裏の牧場まきばに飼はれたる、牡丹ぼたんといふ牝牛めうしをば、わが枕ひよせ。苦しき息をほっ
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
寝る時はまた、お台所のきわの板張りの上に薄い薄い蒲団ふとんを敷いて、たった一人ふるえながら寝なければなりませんでした。
キキリツツリ (新字新仮名) / 夢野久作海若藍平(著)
足のさきまで、秋の日照りにえた唐辛とうがらしさやのように鋭く、かっと、輝き出し、彫り込んだようにきわ立ち、そして瞬間のうちに散ってしまった。
ヒッポドロム (新字新仮名) / 室生犀星(著)
花房の背後うしろに附いて来た定吉は、左の手で汗を拭きながら、げて来た薬籠やくろうの風呂敷包を敷居のきわに置いて、台所の先きの井戸へ駈けて行った。
カズイスチカ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
臨終の床でこの子と別れの言葉を交わした時の樣子といったら……そのきわになって平生胸の底に押し包んでいたことを
そういう変人たちは、往々きわ立った知力と天性とをもちながら、傲然ごうぜんと孤立してるうちに、狂的なくだらない事柄にそれを使ってしまうものです。
「入湯のきわだがね、このコスモスてえ花は——」と峰吉は矢鱈やたらに人をつかまえて講釈をするのだ。コスモス——何という寂然たる病的な存在だろう。
舞馬 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
生命いのちり取りというほどのことには至らなくても、きわどい喧嘩場などに一方の立物たてものとなったりしたことがあります。
二人ふたりは、花屋はなやまえで、しばらくはなて、たのしませると、まどきわからはなれ、かたならべて、ふたたび自動車じどうしゃってはたらくためにったのです。
ガラス窓の河骨 (新字新仮名) / 小川未明(著)
私はこの意外な答に狼狽ろうばいして、思わずふなばたをつかみながら、『じゃ君も知っていたのか。』と、きわどい声でたずねました。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それにもかかわらず寺院は今なお市中何処いずこという限りもなく、あるいは坂の上がけの下、川のほとり橋のきわ、到る処にその門と堂の屋根をそびやかしている。
エークス鉱泉レ・バン駅に約十分滞留したのち、汽車はブウルジェの湖畔の、水陸間一髪というきわどいところを走っている。
編物をしながら一きわ目立って立っていた例の一人の婦人は、運命の如き堅実さをもってなおも編物をし続けていた。
仏教のいわゆる「久遠劫来くおんこうらい尽未来際じんみらいさい」(久遠劫から、未来のきわの尽くる)まで、不生不滅なることが知れます。
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
橋がかりのきわの、私の居まわりにも、羽織袴だの、洋服だので、合図をかわしていました。気がついて、はっと思いました時が、母のあの騒ぎなんです。
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
……『雁鍋がんなべ』の屋根に飛んでいた漆喰しっくい細工の雁のむれを、不忍から忍川の落込むきわの「どん/\」の水の響きを、ああ、われわれはいまどこにもとめよう。
上野界隈 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
その頃にはサンキス号もきわどい急回頭を終わっていた。先刻までは右舷から差し込んでいた夕陽が、今は反対に左舷から脅かすような光を投げこんでいる。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
いや私もやはり巡礼者だがあの山のきわに私共の父、母及びその同伴つれの者が沢山居るからあそこへお越しなさい。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
まきを使った鉱泉に入って、古めかしいランプの下、物静かな女中の給仕で沼のこいふなの料理を食べて、物音一つせぬ山の上、水のきわの静かな夜のねむりに入った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
我が奥常念は一ときわ高い、ことに蝶ヶ岳に向って低く下っているところは、波の如き山を躍らすこと七、八峰、峰は皆磐石を畳んだもので、石は皆裂け、偃松と
奥常念岳の絶巓に立つ記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
その作にはきわ立った道徳的の文字など用いてなくとも、その作の裏を流れている、あるいはむしろ作者の人格を支配しているところの、人間性の深い、悲しい
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
八幡の社を出て米友は三の堀を、くるわの中へと行きました。廓を抜けて町の方へ行こうとして、竪町たてまちの正念寺の角を曲って二の堀のきわを歩いて行くうちに、米友は
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
目の先七八間の所は木の蔭で薄暗いがそれから向うは畑一ぱいに月がさして、蕎麦の花がきわ立って白い。
野菊の墓 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
こうして、法水の推理によって、人形を裁断する機微が紙一枚のきわどさに残されたけれども、今聴いた音響こそは、まさしくそれを左右する鍵のように思われた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
むねはわくわくと上氣じようきして、うでもけられぬもんきわにさりとも見過みすごしがたき難義なんぎをさま/″\の思案しあんつくして、格子かうしあいだよりれをものいはずいだせば
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
電車の出来たてに犬がかれたり、つるみかけている猫が轢かれたりした光景をよく見たものであるが、鉄道馬車の場合にはそんなきわどい事故は起らぬのであった。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
恋人のお滝が、必死のきわに引摺り込まれていることが、新吉にわからなかった筈もありません。
銭形平次捕物控:245 春宵 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
挑戦の面白味もきわ増して来るのと、読者の側になんとなく落着いた気分が与えられて来るのとでその挿入が甚だ時宜を得ており、非常に効果的であると思って感心した。
クロノメーターの刻音を数えながら目的の星が視野に這入って来るのを待っている、そのきわどい一、二分間を盗んで吸付ける一服は、ことに凍るような霜夜もようやく更けて
喫煙四十年 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
仮令たとえわたしには数万金すまんきんを積むとてかえがたき二品ふたしななれど、今のきわなれば是非も一なく、惜しけれど、ついに人手にわたすわが胸中は如何いかばかり淋しきおもいのするかはすいしたまわれ、されど
二面の箏 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
打ちすてて置けば、遠からずわからなくなったかも知れぬ、末期のきわにきていたらしい。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
若者一個庭前にて何事をかなしつつあるを見る。こいし多きみちに沿いたる井戸のかたわらに少女おとめあり。水枯れし小川の岸に幾株の老梅並びてり、かきの実、星のごとくこの梅樹うめきわより現わる。
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
火はすぐ畑の側まで襲って来ていたものらしく、きわどい処で、姉の家は助かっている。が、へいゆがみ、屋根は裂け、表玄関は散乱していた。私は裏口から廻って、縁側のところへ出た。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
「苗字と名前とがまるでこしらえものの冗談のようにきわどく釣合っているのが、私は無性に恥しいんです。それにどうもそれは私にとってはいろいろと縁起でもない、これまでのことが……」
鬼涙村 (新字新仮名) / 牧野信一(著)