行燈あんどん)” の例文
新字:行灯
たゞならぬ樣子を見て、平次は女をみちびき入れました。奧の一間——といつても狹い家、行燈あんどんを一つ點けると、家中の用が足りさうです。
行燈あんどんの光に照された、古色紙こしきしらしいとこの懸け物、懸け花入はないれ霜菊しもぎくの花。——かこいの中には御約束通り、物寂びた趣が漂っていました。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そっと帰って来て、行燈あんどんの下で頭巾ずきんを取ろうとした時にお銀様は眼がめました。醒めてこのていを見ると怪しまずにはおられません。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
細字さいじしたためた行燈あんどんをくるりと廻す。綱が禁札、ト捧げたていで、芳原被よしわらかぶりの若いもの。別にかすりの羽織を着たのが、板本を抱えてたたずむ。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして武の案内で奥の一間に入りますと、ここは案外小奇麗になっていまして、行燈あんどんの火が小さくして部屋の隅に置いてありました。
女難 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
前句は新畳あらだたみを敷いた座敷である、それを通して前々句を見るとそこには行燈あんどんがあり、その中から油皿あぶらざらの心像がありありと目に見える。
連句雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私は佗しい行燈あんどんのしたで、姉のことを考えたり、母のことを思い出したりしながら、いつまでも大きな目をあけていることがあった。
幼年時代 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
行燈あんどんの明りを、あごから逆にうけたのが怖ろしい容貌ようぼうにみえた。しばらく、黙然として、うたた寝の美しい寝顔を見下ろしている……。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
紙帳の中へ引き入れられてある行燈あんどんの、薄黄いろい光は、そういう男女を照らしていたが、男女を蔽うている紙帳をも照らしていた。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
小さな猪牙ちよき船に行燈あんどんをのせたうろうろ船が、こゝぞとばかり釘付けになり合つた見物人の船々の間を敏捷に漕ぎ廻つて、あきなひする。
花火の夢 (新字旧仮名) / 木村荘八(著)
行燈あんどん草双紙くさぞうしのようなものを読んでいた。それは微熱をおぼえる初夏のであった。そこは母屋おもやと離れた離屋はなれの部屋であった。
水面に浮んだ女 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そのころ、まだ燈火の種類がさまざまだったので、花瓦斯ガスが店の屋根にチカチカ燃ているかと思うと家の中は行燈あんどんであったりする。
「それからんだぜ。火がおこったら、ぐに行燈あんどん掃除そうじしときねえよ。こんなァ、いつもよりれるのが、ぐっとはええからの」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
行燈あんどんが一つ、あがばたに置いてあるだけで、そこらはうす暗い。その半暗はんあんを乱して、パッ、奥の廊下を渡って来た風のような人影がある。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
行燈あんどんがまたたいた。油が少なくなったのだろう、行燈が生き物のように、明るく暗くまたたきをし、油皿で油の焦げる音がした。
おさん (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
昼あんどんといふのは、人をめた言葉ではない。行燈あんどんは火をともして夜、部屋の中を明かるくする道具で、昼間は何の役にも立たない。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
「それがしが、さきほど手のひらに載せたのは、たしかに十枚の小判。行燈あんどんのひかり薄しといえども、この山崎の眼光には狂いはない。」
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
もぬけのからなりアナヤとばかりかへして枕元まくらもと行燈あんどん有明ありあけのかげふつとえて乳母うばなみだこゑあわたゞしくぢやうさまがぢやうさまが。
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
従来は附木つけぎだけはあったが「はや」なる形容詞をかぶせて通用させようとしても通用しなかった。「ランプ」を行燈あんどんとも手燭てしょくとも翻訳ほんやくしない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
亭「はい/\明けますよ、これ婆さん、旦那様だよ、これサ寝惚けちゃアいけねえぜ、行燈あんどんを提げてぐる/\廻っちゃアいけねえって事よ」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
格子戸こうしどのなかで、旅籠屋はたごやらしい掛け行燈あんどんを張り替えていた。頼む用事があって来た半蔵を見ると、それだけでは済まさせない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
角刈の男は、行燈あんどんの中に石油ランプをめ込んだのを提げて案内して来て、それを古畳の上に置いて、純一の前に膝をいた。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
行燈あんどんのすすけた灯が暗い部屋ににじみ出ていた。とこの間を背にして、座蒲団が置かれ、胴丸の手焙てあぶりにいけた炭火がいやに赤々と見えた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
家事に疲れた僅かの時間を行燈あんどんのもとでひっそりと芸術にささげるのでは、女の才能が伸びる可能もまことにおぼつかない。
階下したでは、老父母としよりも才次夫婦も子供達も、彼方此方あちらこちらの部屋に早くから眠りに就いて、階子段はしごだんの下の行燈あんどんが、深い闇の中に微かな光を放つてゐた。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
杯の廻りに日暮れ、情話のうちに夜も更けゆき、外ゆく人全く絶え、行燈あんどんは油尽きて、影くらくなりて、ついに消えたり
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
板の上に四方を紙で張った、小さな行燈あんどんみたいなものを拵え、中に蝋燭をともして、波打際から、沖へ押し流すのです。
松を焚いて燈火とするための石の平鼎ひらがなえを用いていたのが、それからの二十四、五年間に行燈あんどんからカンテラ、三分心・五分心・丸心のランプをへて
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
表の古びた紅殻塗べんがらぬりの千本格子には「本願寺参詣人定宿××詰所」と書いた煤けた掛行燈あんどんが薄暗い光を放つて掛つて居た。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
すれすれに横たわっていても指一つ触れるのではなかった。電気行燈あんどんほのかな光りのなかで、二人は仰むきにていた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
又は嚥下物えんかぶつの不消化等に依る頭痛、嘔気等を訴えて家人に怪しまれ、仏壇、又は行燈あんどんの油の減少せる等の事実と、想像とが結び付けられたる結果
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
お千代もお熊も夢中で蚊帳をころげ出して、台所から行燈あんどんをつけて来ると、お由は寝床の上に蜿打のたうって苦しんでいる。
半七捕物帳:55 かむろ蛇 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それが戸の隙間すきまから見えぬやうに忍び込んで行燈あんどんの紙をしめらしてゐる。湯鑵の水はすつかりなくなつて、ついでに火鉢の火の気も淡くなつてゐる。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
未開みかい温泉宿おんせんやどでは、よる谷川たにがわおとこえてしずかだった。行燈あんどんしたで、ずねをして、おとこどもが、あぐらをんで、したいて将棋しょうぎをさしていた。
公園の花と毒蛾 (新字新仮名) / 小川未明(著)
季節でもないこの夜更けに、ボート遊びをしているような物好きもなく、暗い川面かわもには、彼らのほかに貸ボートの赤い行燈あんどんは、一つも見当らなかった。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
知った者の一人もいない家の、行燈あんどんか何かついた奥まった室に、やわらかな夜具の中にゆっくり身体を延ばして安らかな眠りを待ってる気持はどうだね。
燈芯とうしんのうすい行燈あんどんの灯が破れた障子にうつる。土門をはいると野良着のままでまきを割っている藤作の姿が見えた。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
百樹もゝきいはく丁酉の夏北越ほくゑつに遊びて塩沢に在し時、近村に地芝居ありときゝて京水とともに至りしに、寺の門のかたはらくひたてよこなが行燈あんどんあり、是にだいしていはく
しかも左の眼はつぶれて居つて口は左の方へ曲つてをる、この二人の後の方に行燈あんどんが三つかためて置いてある。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
僕は台所へは顔も出さず、直ぐと母の寝所へきた。行燈あんどんも薄暗く、母はひったり枕に就いてせって居る。
野菊の墓 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
行燈あんどん灯影ほかげにうずくまりつつ老眼のやにを払い払い娘のもとへこまごまと書きつづっていたであろう老媼ろうおうの姿が、そのたひろにも余る長い巻紙の上に浮かんだ。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
まず私はほどよい行燈あんどんのあかりに照された座敷に人形のように坐ってた点茶の太夫たゆうと、この菓子皿を手にうけて金魚みたいに浮いてきたかわいい子を思いだす。
小品四つ (新字新仮名) / 中勘助(著)
「相模屋」と古めかしい字体で書いた行燈あんどんの紙までがその時のままですすけていた。葉子は見覚えられているのを恐れるように足早にその前を通りぬけた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
のつそつしながらすすびたる行燈あんどんの横手の楽落らくがきよめば山梨県士族山本勘介やまもとかんすけ大江山おおえやま退治の際一泊と禿筆ちびふであと、さては英雄殿もひとり旅の退屈に閉口してのおんわざくれ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
鼻の先きへは多少の白粉おしろいが施され、私の頭の上には蝋燭ろうそくともった行燈あんどんがくくり付けられ、手には団扇を持たされた上、さあ、近所へ行って見せて来いといわれた。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
かけめししる兼帶けんたいの樣子なり其外行燈あんどん反古張ほごばりの文字も分らぬ迄に黒み赤貝あかゞひあぶらつぎ燈心とうしんは僅に一本を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
行燈あんどんの向こうからこちらへ背を向けて、うつらうつらとまどろんでいたと思ったればこそ、つい心を許して口ざみしさのあまりに読むともなく読みあげていたのを
この辺で俗伝に安珍清姫宅に宿り、飯を食えばはなはうまし。ひそかにのぞくと清姫飯を盛る前必ずわんむる、その影行燈あんどんに映るが蛇の相なり。怪しみおそれて逃げ出したと。
街子まちこの父親は、貧しい町絵師でありました。五月幟ごがつのぼりの下絵や、稲荷いなり様の行燈あんどんや、ビラ絵をいて、生活をしているのでありました。しかし、街子はたいそう幸福でした。
最初の悲哀 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
立って金三郎は撫川団扇なつかわうちわバタバタと遣い散らし、軒の燈籠とうろうの火を先ず消した。次いで座敷の行燈あんどんの火も消した。庭の石燈籠の火のみが微かにこちらを照らすのであった。
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)