けむ)” の例文
これはそも驚くまじき事か、火のが降るやうに満面に吹き附けて、すぐ下の家屋の窓からは、黒くきいろけむと赤い長い火の影とが……
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
波は漾々ようようとして遠くけむり、月はおぼろに一湾の真砂まさごを照して、空もみぎは淡白うすじろき中に、立尽せる二人の姿は墨のしたたりたるやうの影を作れり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
おしの強い事ばかり云つて。ひとの気も知らないで」と梅子は誠吾の方を見た。誠吾はあかまぶたをして、ぽかんと葉巻はまきけむいてゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
焼かれた家々の火は雨が来るまでくすぶりけむっていた、一日二夜を経て荒野に逃げうせていた老女たちはしのび泣きながら帰って来た。
剣のうた (新字新仮名) / フィオナ・マクラウド(著)
矢田はけむに巻かれて何とも言えず、おとなしく二階へ上り、帽子もとらずとこうしろ胡坐あぐらをかいて不審そうに座敷中を見廻していた。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
またエウロに最もわづらはさるゝ灣のほとりパキーノとペロロの間にて、ティフェオの爲ならずそこに生ずる硫黄の爲にけむる 六七—
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
それはこの劇の主人公が団十郎であったためでもあろう、また一面にはただ何がなしにけむに巻かれてしまったためでもあろう。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
春芽をふくにも他の落葉樹よりあとからけむるような緑の色で現われて来、秋は他の落葉樹よりも先にあっさりと黄ばんだ葉を落としてしまう。
松風の音 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
ては半燒酎なほしむらたのんでひにつて、それをみながら大氣焔だいきえんく。留守居るすゐ女中ぢよちうけむまかれながら、ちやれてす。菓子くわしす。
何か知らぬがだ/\金ピカ/\の本が大きな西洋書棚に一杯あるさうで、大抵な者は見たばかりでけむに巻かれるさうだ。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
が、やがて一つの小窓から灯りがさして、ぼうっとけむったような光りが柵を照らして、我等の旅人に門の所在を示した。
岩をり抜いて作られたがんから、獣油の灯が仄かに射し、石竹せきちく色の夢のような光明が、畳数にして二十畳敷きほどの、洞窟の内部なか朦朧もうろうけむらせ
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
夫人はさすがに、緊張した。やさしくけむっているまゆを、一寸ちょっとしかめながら、信一郎が何を云い出すかを待っているようだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
山城屋(菜飯屋)などの火焔の煽りで熱くなって、その酒に濡れた衣物が乾いて、けむが出ているのに気が附きました。
ちろちろと舌でなめるが如く、はりあいのない呑みかたをしながら、乱風の奥、黄塵にけむる江の島を、まさにうらめしげに、眺めていたようである。
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
江戸中の顏の良い御用聞も、五人十人と集まつて來て、夕方には、それが二三十人になり、打ちしめつた樣子で、ポツポとけむる灰を掻かせて居ります。
そして妻は青い一本の草のようなもののさきに、火をけむらせていた。笏は、その妻の顔色が真青であるのに驚いた。
後の日の童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ああ、興奮はよくないよ、アスファルトなどのけむりたつような興奮はよくないよ……今度僕は三間の部屋のある家を
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
そうして日を経て行くうちに、お君がいよいよ殿様のお気にかなってゆくことを、家来の人たちはねたみもけむたがりもせずに、恐悦してゆくのでありました。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「おやッ」といぶかしく、運んでくれた助手にたずねてみようと、表に出てみると、もう自動車は、白いけむりが、かすかなほどはるかの角を曲るところでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
「は、はア、頭腦が惡いな。」と今更いまさらのやうに氣が付くと、折角出掛かツた考がけむのやうにすうと消えて了ふ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
と塗枕の比翼紋の、男の紋の方へ火箸をあて、ジーッと力に任せて突ッ通すと、プーとけむが顔へかゝりました。
帰って見ると、お父様がいつもと違ってけむたい顔をして黙っておられる。お母様も心配らしい様子で、僕に優しい詞を掛けたいのを控えておいでなさるようだ。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
かかるめでたき世に生れ合はせ、天下安泰、黎戸れいこけむり戸ざさず。生前の思ひ出、ありがたき次第にこそ——
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これで原料は出来上りました。別にフライ鍋へサラダ油でもあるいは上等のヘットでも沢山入れて弱い火へ掛けますと暫くする内に油からけむが立ち上ります。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
正午、日はうらうらと桃花畑に照り渡り、けむり拡がっているのであった。兄は妹と長い堤を歩いて居た。
兄妹 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
さも貴女と御新造さんがけむまかれて赤い舌でめられていなさるようで、わっし身体からだへ火がつくようだ。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と、ヒョイッと見ると向側の足袋屋たびやの露地の奥から、変なものが、ムクムクとあがる。アッ、けむだ。
越後獅子 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
そこに、けむったい主人夫婦の帰った後の、解放されたびやかな心持が、もくもく湧返わきかえって来た。
九月一日 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
二十四の年に流行病はやりやみで両親を失ってからというもの、永年勤めていたけむたい番頭をい出し、独天下ひとりてんかで骨の折れる廻船問屋の采配を振り初めたところは立派であったが、一度
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
彼は依然暗い顔のままで、無暗むやみたばこけむにしながら考えにふけっていた。——博士ドクターファウスト別名エーリアスオットカール・レヴェズが、人生を煙のように去った。しかし、それは何故であるか。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それはあだかも昔の七つさがり、すなわ現今いまの四時頃だったが、不図ふと私は眼を覚ますと、店から奥の方へ行く土間のすみの所から、何だかポッとけむの様な、楕円形だえんけい赤児あかんぼの大きさくらいのものが
子供の霊 (新字新仮名) / 岡崎雪声(著)
細雨にけむ長汀ちょうていや、模糊もことして隠見するみどりの山々などは、確かに東洋の絵だ。
柔かい青葉に充ちた外の色に対してたゝずむと、何だかその青い色が、人の感情を吸ひ集めでもするやうに、すが/\しい中にも何となく物の哀れになつかしいやうな心持がけむつて、なんでもない
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
あやしさよとばかさとし燈下とうかうでみしが、ひろひきしは白絹しろぎぬ手巾はんけちにて、西行さいぎやう富士ふじけむりのうたつくろはねどもふでのあとごとにきたり、いよいよさとりめかしきをんな不思議ふしぎおもへば不思議ふしぎかぎりなく
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
たづねけれ共相應の口もなくたくはへの路用をつかひ切詮方せんかたなく或人の世話せわにて本郷三丁目に裏店うらだなかりおのれは庄兵衞と改名しお梅はとよと改ため庄兵衞日雇ひやとひとなりほそけむりを立つゝ二三ヶ月くらしけれ共天道惡事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「火の点いた葉巻シガアからはけむが出る。私はけむには堪へられない。」
それから一すじ細ぼそと白いけむりが立ち昇っている
鳥料理 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
黒いむせぼつたい重いけむりを吐きつつあるのだ
太陽の子 (旧字旧仮名) / 福士幸次郎(著)
跡は他愛たわいのないけむのような物になって了う。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
ただけむに巻いて遣るようにすれば好い。
吾が身もやがてけむうち
北村透谷詩集 (旧字旧仮名) / 北村透谷(著)
母親もちょっとけむに巻かれた形で進物しんもつの礼を述べた後、「きれいにおなりだね。すっかり見違えちまったよ。」といった。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
母の手紙はあとでゆつくりる事として、取り敢ず食事を済まして、烟草をかした。其けむを見ると先刻さつきの講義を思ひ出す。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
そのしづかな村落にもく/\と黒くきいろけむが立昇つて、ばち/\と木材の燃え出す音! 続いて、寺の鐘、半鐘の乱打、人の叫ぶ声、人の走る足音!
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
もつとも小言をいひ乍らも平次は、粉煙草のけむを輪に吹き乍ら、天下泰平の表情で、八五郎の話を享樂して居るのです。
奥二階の八畳の座敷に陣取って、雨にけむる青葉を毎日ながめながら、のんびりした気持で河鹿の声を聞いたのさ。
河鹿 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
緑楊りょくよう水にひたり若草けむるが如き一隅にお人形の住家みたいな可憐な美しい楼舎があって、いましもその家の中から召使いらしき者五、六人、走り出て空を仰ぎ
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
僧「形は絵にいたようなものだ、朦朧ぼんやりとして判然はっきり其の形は見えず、只ぼうと障子やからかみへ映ったり、上の方だけ見えて下の方はけむのようで、どうも不気味なものじゃて」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
大学の外交記者を半年やれあ、大抵の医者はけむに捲けるぜ。……しかし念のために、吾輩を崇拝している二三の看護婦に当って見ると、内科の早川さんと正月頃からコレコレと云うんだ。
空を飛ぶパラソル (新字新仮名) / 夢野久作(著)