ななめ)” の例文
台所の流槽ながしの傍に女がむこうななめに立って、高くあげた右の手に黒い長い物をだらりとさげていた。登はなんだろうと思って注意した。
雑木林の中 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
胴体は勿論、顔も、手も、なんにもなくて、ただ太腿からの両脚だけが、煙突の縁を支えにして、ななめに突込んであるばかりであった。
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
電信の柱長く、ななめに太き影のよことうたるに、ふと立停たちどまりて、やがてまたぎ越えたれば、鳥の羽音して、高く舞い上れり。星は降るごとし。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
先に立ちたるは、かち色のかみのそそけたるをいとはず、幅広き襟飾えりかざりななめに結びたるさま、が目にも、ところの美術諸生しょせいと見ゆるなるべし。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
婆さんはお千代が怒りもせず泣きもせず、すこし身をななめにして顔さえ赤くした様子に、此方の言った事は十分通じたものと思った。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
金眸もななめならず喜びて、「そはおおいなる功名てがらなりし。さばれなんじ何とてかれを伴はざる、他に褒美ほうびを取らせんものを」ト、いへば聴水は
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
足許に白蟻ほどの小粒なのが、空から投げだされて、さんみだして転がっている。よく見るとひょうだ。南はななめ菅笠冠すげがさかぶりの横顔をひんなぐる。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
慎太郎は体をななめにして、驚いた視線を声の方へ投げた。するとそこには洋一が、板草履を土に鳴らしながら、車とすれすれに走っていた。
お律と子等と (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
黒い素袍すおうの肩から背中へかけて、ななめに口を開いていた。そこからほとばしる血には、痛いとも斬られたとも、何の感じもないのである。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どこの表通りにもかかわりのない、金庫のような感じのする建物へ、こっそりと壁にくっついた蝙蝠こうもりのように、ななめに密着していた。
淫売婦 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
エルシノアの砲台にぽっちり見えていた旗も、一せいにななめに倒れていた砂原の小松林も、段々に砕ける浪の線も、もう完全に過去へ歿した。
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
ななめにこっち向きに寝かされた死美人の全長一尺二三寸と思われる裸体像で、周囲が白紙になっているために空間に浮いているように見える。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
つなぎ合せて肩をおおえる鋼鉄はがねの延板の、もっとも外に向えるが二つに折れて肉に入る。吾がうちし太刀先は巨人の盾をななめってかつと鳴るのみ。……
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と、本流の水はまた一つの三角洲を今度は左に押しつめて、広く広くななめに、河幅を右へ右へと開いてゆく。おお、また渺々びょうびょうとして模糊もこたる下流。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
そこで彼は手綱を振って、大音声だいおんじょうをあげて、今度はななめに向わずに、怪物のおそろしい真正面めがけて、天馬を進めました。
それは、屋根からといをつけて、その中に雪を入れて下へすべらせるのである。樋はななめに遠くまでやっておき、その樋の内側に蝋をひいておくのである。
(新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
その窓の下のところに並べてあった事務机や椅子がひっくりかえり、その中に見覚えのない大きな箱が、稜線りょうせんななめにしてあぶない位置をとっている。
四次元漂流 (新字新仮名) / 海野十三(著)
揷圖中、右の上(根岸武香氏藏)、其下(加藤某氏藏)、其ななめに左の下(人類學教室藏)三個は第二種の好例かうれいなり。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
検死のために露出された胸部には、同じ様な土色の蚯蚓腫みみずばれが怪しくななめに横たわり、その怪線に沿う左胸部の肋骨ろっこつの一本は、無惨にもヘシ折られていた。
デパートの絞刑吏 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
暑い日脚ひあしななめになって、そこらで蜩が鳴き出す。もう鞠場の日もかげって涼しくなったから、少し鞠でも蹴ようとして沓を穿く、という風に解せられる。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
兇器は洋式短剣ダッガーですよ。創道は環状軟骨の左二センチ程の所から最初刃を縦にしてえぐりながらななめ上に突き上げているのですから気道は水平の刃で貫いてあります。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
しんの首をななめしげて嫣然えんぜん片頬かたほに含んだお勢の微笑にられて、文三は部屋へ這入り込み坐に着きながら
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
驚破すはや、障子を推開おしひらきて、貫一は露けき庭にをどり下りぬ。つとそのあとあらはれたる満枝のおもては、ななめ葉越はごしの月のつめたき影を帯びながらなほ火の如く燃えに燃えたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
外の椽側えんがわに置いた手燭てしょくが暗い庭をななめに照らしているその木犀もくせいの樹のそば洗晒あらいざらしの浴衣ゆかたを着た一人の老婆が立っていたのだ、顔色は真蒼まっさおで頬はけ、眼は窪み
暗夜の白髪 (新字新仮名) / 沼田一雅(著)
垂直の平行線と水平の平行線とが垂直性および水平性を失って共にななめに平行線の二系統を形成する場合、碁盤縞はその具有していた「いき」を失うのを常とする。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
今まで私は往来の左の方を通て居たのを、ななめに道の真中へ出掛けると、彼方の奴もななめに出て来た。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
と細君は主人がななめならず機嫌きげんのよいので自分も同じく胸が闊々ひろびろとするのでもあろうか、極めて快活きさくに気軽に答えた。多少は主人の気風に同化されているらしく見えた。
太郎坊 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
生月駿三は、黙ってななめに上の方を指しました。井戸の側に繁った桂の大木の枝に、ブツリと突立ったのは、青光りのするきりへ、真新らしい紙を巻いた真物ほんものの吹矢です。
古城の真昼 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
もう少しななめにおりろ。〕おりるおりる。どんどん下りる。もう水へ入った。〔どうしたのです。〕「先生。河童捕りあ※すた。ガバンも何も、すっかりぬらすたも。」
台川 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
棚の上には小さき、の長き和蘭陀オランダパイプをななめに一列に置きあり。その外小さき彫刻品、人形、浮彫のしなとうあり。寝椅子のすえの処に一枚戸の戸口あり。これより寝間ねまる。
吊った鎖が外れた途端、今ななめにぶら下っているあの梁が、その職人の跨がっている梁に衝突したのだ。あのガーンという恐しい音響は、その時一男の耳を撃ったのであった。
秋空晴れて (新字新仮名) / 吉田甲子太郎(著)
ななめに貼られてあった家を、(ここですよ)と、一度見せてもらったぎり、落成するまでは見に来ないで下さい、という準之助氏の言葉を、堅く守った故、どんな家になっているか
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その頂上のくびれ目に、ななめに付いた太い眉と、魚の形の長い眼と、けずったような高い鼻と、なかば開いた唇とを持った、能面が載っているということは——しかも暗夜の荒野あれのの中を
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ひざの上には遠目にも何か編みかけらしい糸の乱れが乗っていて、それへななめにうっとりとした女の子がもたれかかっていた。それはおよそ復一の気持とは縁のない幸福そのものの図だった。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
時々西の方で、ある一処雲がうすれて、探照燈たんしょうとうの光めいた生白なまじろい一道のあかりななめに落ちて来て、深い深いいどの底でも照す様に、彼等と其足下の芝生しばふだけ明るくする。彼等ははっと驚惶おどろきの眼を見合わす。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
一〇五これは美濃の国を出でて、みちの一〇六いぬる旅なるが、このふもとの里を過ぐるに、山のかたち、水の流のおもしろさに、おもはずもここにまうづ。日もななめなれば里にくだらんも一〇七はるけし。
稲、黄いろく色づき、野の朝の雨ななめなり。夜は学校にとまる。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
この雨に暮れむとするやひもすがら牡丹のうへを横しななめ
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
戸板はななめに傾きてなかば沈まんとしたり。
片男波 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
そいつが、光線のようにななめに走った。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
日はななめ関屋のやり蜻蛉とんぼかな
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
雨はななめに降りしきる
雨情民謡百篇 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
真紅しんくへ、ほんのりとかすみをかけて、新しい火のぱっと移る、棟瓦むねがわら夕舂日ゆうづくひんださまなる瓦斯暖炉がすだんろの前へ、長椅子ながいすななめに、トもすそゆか
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
広栄はななめにぴょいぴょいと往って長櫃のうえへ眼をやった。そこには小さな玩具おもちゃのような三寸位の富士形をした微白ほのじろい物があった。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
横手の桟敷裏さじきうらからななめ引幕ひきまくの一方にさし込む夕陽ゆうひの光が、その進み入る道筋だけ、空中にただよう塵と煙草の煙をばありありと眼に見せる。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
真赤な光線が彼の汗ばんだ額をななめにサッと切る。そして遂に、彼の目は吸い寄せられる様に、小さな穴に、ピタリと喰っついてしまった。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
僕はしかたがないからなるべく跡まで待っていて、残った下駄を穿いたところが、歯のななめに踏みらされた、随分歩きにくい下駄であった。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それまでじっとしていらっしったのが、扇をななめに相手の方を、透かすようにして御窺いなさいますと、その時その盗人の中にしわがれた声がして
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
すこぶる天子の御意ぎょいに召して、御機嫌ななめならず、芸術家としての無上の面目を施した上に、黛子たいこさんという別嬪べっぴんの妻君を貰った。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と、これよりき、中流に中岩というのがあった。振り返ると、いつになく左後ろななめに岩は岩と白い飛沫しぶきをあげている。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)