おそ)” の例文
早鐘をくような動悸どうきだった、おちつこうとしても、跡をけられてはいないかというおそれで、ついのめるような足早になっていた。
金五十両 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
奴らは見張みはりをしていたのだ。生意気に「宮本だ」と、平常親よりおそれ、また敬っている自分へ、冷たく云い放ったときも、あの眼だ。
(新字新仮名) / 徳永直(著)
「きっと太郎たろううみのあっちへいって、自分じぶん味方みかたれてくるんだろう。そして、かたきうちをするんだろう。そうするとおそろしいな。」
雪の国と太郎 (新字新仮名) / 小川未明(著)
厚い唇をおそろしくぎゆツと噛み締めた顔を見ると、私は一も二もなく観念して眼を足もとに落した。二人は一寸の間無言で相対した。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
おそれるというではないが……いささか心がかりになる。今もその番町の親戚とやらにおるか、折もあらば聞き届けておくがよい」
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
可哀かわいそうな子家鴨こあひるがどれだけびっくりしたか! かれはねしたあたまかくそうとしたとき、一ぴきおおきな、おそろしいいぬがすぐそばとおりました。
我々が林中の木を一本一本に叙述するのはんを避けて、自然をおそれて逃がれんとするがごとくもてなすと、ますます自然に近くなります。
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
また南洲なんしゅう自身についていえば、ようによりては外貌がいぼうおそろしい人のようにも思われ、あるいは子供も馴染なじむような柔和にゅうわな点もあった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
といいつつ今にも倉地がそこに現われて来るかとひたすらそれをおそれるふうだった。葉子はわざと夫人の言葉を取り違えたように
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
こんなやつをこのままおくと、さきざきどんなおそろしいことをしだすかわからない。今のうちに手早くかたづけてしまってやろう。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
あのけわしい山中にさえ、近頃は、かやの屋根にしのすだれを垂れ、よる見たらむしろおそろしげな遊女の宿が何軒もできているそうである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
且つ誤るということの不利損失をさとらしめるのが本来の目的で、つまりは笑われることをおそれる人情を利用した設計のようである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
腹もっていた。寒気は、夜が深まるにつれて、身に迫っていためつけて来た。口をけば、残り少ない元気が消えてしまうのをおそれた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
何故つて、樂園だと思つてゐたその家から、私を追ひ出してしまつた災難といふのが、本當に不思議なおそろしい性質のものでしたから。
細君は顔色を変えておそれた。王成は老婆に義侠心ぎきょうしんのあることを説明して、しゅうとめとしてつかえなければならないといったので、細君も承知した。
王成 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
山は二段になっていて、頂上に本統の城のあとがあるという話であったが、其処はおそろしくて、とても子供たちの行ける場所ではなかった。
簪を挿した蛇 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
夫婦は愛し合うと共に憎み合うのが当然であり、かかる憎しみをおそれてはならぬ。正しく憎み合うがよく、鋭く対立するがよい。
悪妻論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
彼は子供がいつの間にそんなことを云ふまでになつたかを信じられないやうな、またおそろしいやうな気持で母への返事を書いた。
哀しき父 (新字旧仮名) / 葛西善蔵(著)
承りしにより父彦兵衞のほかに人殺有らばをしへてくれる樣にと涙を流して頼むにつき何故人もおそるゝ鈴ヶ森に夜中居たるやと尋ね候へばちゝほね
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「へエ——さう仰しやられると、滿更考へたことがないでは御座いませんが——、あまり事件が大きくて、私はおそろしいやうな氣がします」
誰も通らない星あかりのくらい通りを、墓地の方へ歩いてみる。おそろしい事物には、わざと突きすすんでふれてみたいような荒びた気持ちだ。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
しかしてたとへばしとやかなる淑女が、心におそるゝことなけれど、他人ひと過失おちどをたゞ聞くのみにてはぢらふごとく 三一—三三
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
げきしているのでも無く、おそれているのでも無いらしい。が、何かと談話だんわをしてその糸口いとぐちを引出そうとしても、夫はうるさがるばかりであった。
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
だって貴方は、おそれを知らぬ武人——その方にこよなく愛されて、それに貴方は、墺太利全国民の偶像だったのですものね。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「実は」と長左衛門はおそる怖る代官様の顔を見て、「あの子は訳あってあの太郎右衛門が拾い上げて、これまで育てて参りましたもので……」
三人の百姓 (新字新仮名) / 秋田雨雀(著)
あの美術のように、時としておそれを以て迫る場合はない。いつも器は愛を招く。どこまでも吾々に交わりたいねがいが見える。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
或る日主人あるじわれにも新しききぬ着よといひしが、そのをりその男の我を見て笑ひし顔、何となくおそろしく、子供心にもうれしとはおもはざりき。
うたかたの記 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
僕がどんなにみじめだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷たくなったのが、僕はおそろしい、あり得べからざることのような気がする。
聞く者その威容いようおそれ弁舌におどろ這々ほうほうていにて引き退さがるを常としたりきと云っているもって春琴の勢い込んだ剣幕けんまくを想像することが出来よう。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それは丁度ちやうど罪悪の暗い闇夜あんやに辛うじて仏の慈悲の光を保つてゐるやうに、又は恐ろしい心の所有者が闇の中におそをのゝいてゐるかのやうに……。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
私は彼女が気が狂ったのではないかと、おそれながら肩の痛さに堪えて、彼女の気色をうかがった。自分でも気がつくくらい、私の唇も慄えていた。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
支那しな産のねこの小さくかわいいのを、少し大きな猫があとから追って来て、にわかに御簾みすの下から出ようとする時、猫の勢いにおそれて横へ寄り
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
災難をおそれて、それをいたずらに回避することではなく、あくまでその災難にぶつかって、これにうち克ってゆくことです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
『さう、眞箇ほんとうに!』おそれて尻尾しツぽさきまでもふるへてゐたねずみさけびました。』わたし斯麽こんなことはなしたが最期さいごわたしの一家族かぞくのこらずねこ仇敵かたきおもふ。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
すると間もなく美留藻の姿は鏡の表から消え失せまして、今度は醜い、おそろしい、骸骨のような化物の姿が現われました。
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
たといついたにしても、病人が好い博士はかせの診断をおそれるように、彼はできるだけその感情から逃避するよりほかなかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
このおそるべき韃靼だったん族が一たび訓練を経て文明的に軍隊を組織したならば、如何いかなる優勢の大軍をも編成し得ると思った。
三たび東方の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
それまでは数知れぬおそれと気づかわしさとが血管ちくだの中を針の流れるように刺しまわって、小さなめばたきをするにも乳までひびくようでございましたが
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
さすがの僕も、今度こそは、おそろしくなって眼をつむった。氷山と鯨は、刻々にその距離を狭めていくようだ。万事休矣ばんじきゅうす
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
男らしい洒落しやらくな性格の細君のの一面にはおそろしく優しい所があつて、越して来て五目にかぜを引いて僕が寝て居ると
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
彼女は、じっとひとみこらして、それが自分のおそれているごとく、恋人の直也ではありはしないかと、闇の中を見詰めていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それで、現にそうした新しい感覚の源をなした当の彼女かのじょに会うのが、むしろおそろしくなって、できることなら会いたくない、と思ったほどであった。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
今まで一挙一動を注視していたような気のするあの西班牙犬はじっと私の帰るところを見送っている。私はおそれた。
彼女の手の荒れや顔の荒れをおそれ、それを防ぐようにいう貞時はもはや筒井の手も顔も、そうしてその心も彼自身のもののように思われるからだった。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
気むずかしい苦り切ッたおそろしい顔色をして奥坐舗おくざしきの障子を開けると……お勢がいるお勢が……今まで残念口惜しいと而已のみ一途に思詰めていた事ゆえ
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
そうして学校へ着いてからも、他の見知らぬ生徒たちの間に一人ぼっちに取残されることをおそれ、授業の終るまで、母に教室のそとで待っていてもらった。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
そして彼がまだ話し出さないあいだ、私はしばらくなかばあわれみの、なかばおそれの情をもって彼を見まもった。
しかし、赤い野薔薇ばらの実はいつまでも取られずにいる。最後になくなるのだろう。名前がおそろしいのと、心臓形ハートがたの実に毛がいっぱいえているからである。
中でも私の好きなのは、あくまで白く塗った妖味ようみ豊かなろくろ首の女であった。おそろしいのだが、見たいのだ。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
「そんなことはありません、余程あなたは世間をおそれているのですね、なあに、やってみるまでのことです」
冬日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)