あやぶ)” の例文
宮はあやぶみつつ彼の顔色をうかがひぬ。常の如く戯るるなるべし。そのおもてやはらぎて一点の怒気だにあらず、むし唇頭くちもとには笑を包めるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
段をのぼると、階子はしごゆれはしまいかとあやぶむばかり、かどが欠け、石が抜け、土が崩れ、足許も定まらず、よろけながらのぼった。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
二葉亭の作を読んで文才を疑う者は恐らく決してなかろうと思うが、二葉亭自身は常に自己の文才をあやぶんで神経的に文章を気に病んでいた。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
勝平の鉄のようなかいなが何となく頼もしいように思えた。逗子ずしの停車場から自動車で、危険な海岸伝いに帰って来ることが何となくあやぶまれ出した。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
我足の尼寺の築泥ついぢの外に通ふこと愈〻繁く、我情の迫ること愈〻切に、われはこの通路かよひぢの行末いかになるべきかをあやぶまざること能はざるに至りぬ。
教育にあたるのが男であるから、いくぶんおとなしさが少なくなりはせぬかと思われて、その点だけを源氏はあやぶんだ。
源氏物語:08 花宴 (新字新仮名) / 紫式部(著)
何処どこまで歩いて行っても道は狭くて土が黒く湿っていて、大方は路地ろじのように行き止りかとあやぶまれるほど曲っている。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「そんでお内儀かみさん、どのくれえしたもんでがせうねぜには、たんとんぢやはあやうねえが」勘次かんじあやぶむやうにいつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
自分は点頭して得心の意を示した。母は自分の顔を見てあやぶむ風で「おまえ泊れるかい夜半時分に泣出しちゃ困るよ」
守の家 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
... 知らぬからだ合点が行かぬと云う丈の事」判事は目科の横鎗にて再び幾分のあやぶむ念を浮べし如く「今夜早速さっそく牢屋へ行きとくと藻西太郎に問糺といたゞして見よう」
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
(二)みどりが気分が悪いと云ったときに彼が非常に狼狽ろうばいしたのは、彼がこまに塗りつけた毒物がみどりを犯したのではないかとあやぶんだせいではあるまいか。
麻雀殺人事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
作者はその驚くべき人物を、はたしてよく扱いこなせるかどうかをみずかあやぶむ程であるが、そこがまた本篇執筆について作者が一層興味を感じている所以ゆえんでもある……
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
僅に残つた親友の大川をはじめ二三の人々は、亨一の将来を気づかひ、あの儘にしておけば彼は屹度終りを全くすることが出来なくなると云つて、其前途をあやぶんだ。
計画 (新字旧仮名) / 平出修(著)
お葉はゆるんだ帯を結び直して、店口みせぐち有合ありあう下駄を突ッ掛けると、お清はいよいよあやぶんで又抑留ひきとめた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかし先生は果して志村をて行くであらうか。わたくしは頗これをあやぶんだ。何故と云ふに、剛強の人は柔順の人を喜ぶ。先生の門下には竹内立賢たけのうちりふけんの如き寵児がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その場を体よく、夫の視線避けけるも、書中なかの子細のあやぶまるるを、先づ秘かにと思へるなるべし。
移民学園 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
けれどもまだあやぶんで汽車は一と息に乘り通してはいけないといふ條件での上であつた。
赤い鳥 (旧字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
勘定のあやぶまれた二階の客の、銀貨銅貨取り混ぜた払ひをあらためて、それから新らしい客の通した麦酒ビールと鮒の鉄砲和てつぱうあへとを受けてから、一寸のひまを見出したお文は、うしろを向いてかう言つた。
鱧の皮 (新字旧仮名) / 上司小剣(著)
あのときばかりは、いかに武運ぶうんめぐままれた御方おんかたでも、今日きょう御最後ごさいごかとあやぶまれました。
諸将これをあやぶみてものいえども、王かず。いで蕭県しょうけんを略し、淮河わいかの守兵を破る。四月平安小河しょうかに営し、燕兵河北かほくる。総兵そうへい何福かふく奮撃して、燕将陳文ちんぶんり、平安勇戦して燕将王真おうしんを囲む。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それほど弱々しい人で、しかも水いじりは勿論もちろん、針を持つことさえ覚束おぼつかないというほど手のわずらいに附纏つきまとわれているような人で、どうしてこのまま家庭の人と成ることが出来ようかとあやぶまれた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ただ白鳥はくてう君には髭が無いけれどマス君にはうしろねた頤髭あごひげがある。見物人には一撃のもとにマス君がやぶられさうあやぶまれたが、しかしマス君は見掛に寄らず最後まで勇敢に戦つて立派に名誉を恢復くわいふくした。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
ご亭主は、私の、あの嘘を半ばはあやぶみながらも、それでもかなり信用していてくれたもののようで、夫が帰って来たことも、それも私の何か差しがねに依っての事と単純に合点している様子でした。
ヴィヨンの妻 (新字新仮名) / 太宰治(著)
私がひかるあやぶみますのは異性に最も近い所で開く性の目覚めざめです。
遺書 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
『さうか。』と云ツたが、楠野君はまだ何となくあやぶむ樣子。
漂泊 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
かえって双方の解釈の共に誤っていることもあやぶまれる。
あやぶむといふやうにして女は言つた。
モウタアの輪 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
吹雪ふゞきに、なんつてそとようと、放火つけび強盜がうたう人殺ひとごろしうたがはれはしまいかとあやぶむまでに、さんざんおもまどつたあとです。
雪霊続記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
何処どこまで歩いて行つても道はせまくて土が黒く湿しめつてゐて、大方おほかた路地ろぢのやうにどまりかとあやぶまれるほどまがつてゐる。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
欧化気分がマダ残っていたとはいえ、沼南がこの極彩色の夫人と衆人環視の中でさえも綢繆ちゅうびゅう纏綿てんめんするのを苦笑してひそかに沼南の名誉のためあやぶむものもあった。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
兎に角筋道すじみち丈け話してしまおう。おれはその為にわざわざ出かけて来たんだから。君は何だかおれの精神状態をあやぶんでいる様子だが、その点は心配しなくてもいい。
疑惑 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
これではいよいよ入場がむずかしいかも知れないとあやぶみながら、入口の窓口へ行って訊いてみると、若い女が窓から首を出して、会員以外でも入場させないことはない
米国の松王劇 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
允成は抽斎の徳にしたしまぬのを見て、前途のためにあやぶんでいたので、抽斎が旅に立つと、すぐに徳に日課を授けはじめた。手本を与えて手習てならいをさせる。日記を附けさせる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
こうしたつれづれな生活に何年も辛抱しんぼうすることができるであろうかと源氏はみずからあやぶんだ。
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
逗子の停車場から自動車で、危険な海岸伝ひに帰つて来ることが何となくあやぶまれ出した。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
ぢいくんねえか」與吉よきちあやぶむやうにいつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
その、貴下あなた、その貴下あなた、霊魂が何だか分らないから、迷いもする、悟りもする、あやぶみもする、安心もする、拝みもする、信心もするんですもの。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
路地はどうかすると横町同様人力車くるまの通れるほど広いものもあれば、土蔵どぞうまたは人家の狭間ひあわいになって人一人やっと通れるかどうかとあやぶまれるものもある。
重太郎はうも考えた。けれども、自分の姿を見ればただちに追跡する警官等が、その理屈をいてれるや否やをあやぶんだ。警官等は自分の敵であると彼は一図いちずに信じていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その上発覚をあやぶむ理智において欠けています。存外やりかねないことです。彼は風呂焚きですからね。死体を隠す必要に迫られた場合、考えがそこへ行くのはごく自然ですよ。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
既にして二、三のこれに同意を表するものも出来たので、五百いおあやぶみつつこの議をれたのである。比良野貞固さだかたは初め昌庵に反対していたが、五百が意を決したので、また争わなくなった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
すすきの霜に入残る、有明月の消え行くさまのぞいている顔が彼方かなたへ、茅萱ちがやの骨に隠れんとした、お鶴は続けさまに呼び留められ、あえてあやぶむ様子もなく
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
浅草寺境内せんさうじけいだい弁天山べんてんやまの池も既に町家まちやとなり、また赤坂の溜池も跡方あとかたなくうづめつくされた。それによつて私は将来不忍池しのばずのいけまた同様の運命に陥りはせぬかとあやぶむのである。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
この女は狐か狸の変化へんげではないかとあやぶまれたが、女はいつまでも立去りさうにもしないので、亭主はなんだか薄気味悪くもなつて来て、今更とんだことを云つたと後悔した。
小夜の中山夜啼石 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
ただ、このお芝居で、私の最もあやぶんだのは、これらのドラマチックな方面ではなくて、最も現実的な併し全体から見ては極めて些細ささいな、少し滑稽味こっけいみを帯びた、一つの点であった。
二銭銅貨 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「下剤を用ゐて見てはいかがでせう。」これは父があやぶみつつ問ふのであつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
要するに、麗しきおんなは塔婆の影である。席に見えないとすると、坊主、坊主が別亭へ侵入して、蚊帳を乱していはしないかとあやぶんだためなのであった。
露萩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
片側かたかわは樹と竹藪に蔽われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ落ちはせぬかとあやぶまれるばかり
今度こそはその蝋燭ろうそくのひかりが何かの不思議を照し出すのではないかともあやぶまれて、夫婦は一面に云ひ知れない不安をいだきながらも、いはゆる怖いもの見たさの好奇心も手伝つて
平生へいぜい金銭に無頓着むとんじゃくであった抽斎も、これには頗る当惑して、のこぎりの音つちの響のする中で、顔色がんしょくは次第にあおくなるばかりであった。五百ははじめから兄の指図をあやぶみつつ見ていたが、この時夫に向っていった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)