ひそか)” の例文
こう思った林右衛門は、ひそかに一族のうちを物色した。すると幸い、当時若年寄を勤めている板倉佐渡守さどのかみには、部屋住へやずみの子息が三人ある。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ひそかにおもひに堪へざりしことの今なほ記憶に新たなるものあり、キイツが「いかばかり、われは愛づるよ、うるはしき夏のゆふべに」
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
それは、家中の女房で艶名のあるものをひそかに探らしめて、その中の三名を、不時に城中に召し寄せたまま、帰さなかったことである。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ほ一層の探索と一番の熟考とをげて後、きたくは再び来らんもおそからず、と失望のうち別に幾分の得るところあるをひそかに喜べり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
関羽が、持たないというと、告文がなければ、ひそかに都を逃げてきたものにちがいない。立ち去らねばからめ捕るのみと——豪語した。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今は「四十年前少壮の時、功名いささひそかに期する有り。老来らず干戈かんかの事、ただる春風桃李のさかずき」と独語せしむるに到りぬ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
ひそかに文学を志していたのであったが、一日も早く父母の生活を支えねばならぬという立場から、奨められて電機学校に籍を置く。
簡略自伝 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
物の貴き所以ゆえんはこれを得るの手段難ければなり。ひそかに案ずるに、今の学者あるいはその難をてて易きにつくの弊あるに似たり。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
積薪せきしんひそかあやしむ、はてな、此家このいへ納戸なんどにはよひからあかりけず、わけて二人ふたりをんな別々べつ/\へやはずを、何事なにごとぞとみゝます。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
その僕これをあやしみひそかにその被いを開くと、皿上に白蛇あり、一口むるとたちまち雀の語を解し得たので、王の一切智の出所をさとったという。
かれ後にはな佐久夜さくや毘賣、まゐ出て白さく、「はらみて、今こうむ時になりぬ。こは天つ神の御子、ひそかに産みまつるべきにあらず。かれまをす」
御米は小六と差向さしむかいに膳に着くときのこの気ぶっせいな心持が、いつになったら消えるだろうと、心のうちひそかに疑ぐった。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
文三ははらうちで、「毒がないから安請合をするが、その代り身を入れて周旋はしてくれまい」と思ッてひそかに嘆息した。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
ただに故の我なるのみでは無い、予はその後も学んでいて、その進歩は破鼈はべつの行くが如きながらも、一日を過ぎれば一日の長を得て居る。予はひそかに信ずる。
鴎外漁史とは誰ぞ (新字新仮名) / 森鴎外(著)
紋三はそれを夫人のためにひそかに喜んでいたのだが、併し彼女に好意を寄せれば寄せる程、夫人に対するあの恐しい疑いは却て益々深まって行くのだった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
その度に母の様子を間接にきき、彼女が、あの時、逢わずに死ぬかも知れないと云われたような切迫した心持では居ないらしいのを聞いて、ひそかに安心する。
二つの家を繋ぐ回想 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
我に返りてのち其声を味へば、凡常の野雀のみ、然るも我が得たる幽趣は地にけるものならず。爰に於てひそかに思ふは、感応は我を主として、他を主とせざるを。
山庵雑記 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
次に聖書の窃盗につき予審判事が訊問すると、彼は聖書をひそかに会社から盗出した事実は肯定したが、書記と黙契があったので必ずしも窃盗ではないと申立てた。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
経久ひてとどめ給ふとも、ひさしきまじはりを思はば、ひそかに商鞅叔座がまことをつくすべきに、只一三八栄利えいりにのみ走りて一三九士家しかふうなきは、すなはち尼子の家風かふうなるべし。
たとえば後にもふれる長屋王ながやおうの変のごとき、その理由は「ひそかに左道を学んで国家を傾けんとす」というのであるが、「左道」とは何か、今もって史家の見解は定らない。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
【縁の】指輪を與へて後、妻に迎ふること正しき結婚の慣例なればピーアはそのひそかにネルロに嫁せるにあらざるを示せるなりとの説採るべきに似たり、異本異説倶に多し
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
心を留めて聞くとひそかな人語が其方向から洩れて來た。其屍を守る人の濕やかな私語と聞かれた。
十三、四の頃から畫伯のB——門に學んで、美術學校の日本畫科に入つてゐる頃は秀才の名を得てゐたが、ひそかに油繪に心を寄せて、其の製作を匿名で或私設の展覽會に出した。
我等の一団と彼 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
たしかに此故とは申難きことなれども、ひそかに是を考へ思ふに、さて御奉行ともうすは日々に諸方の公事訴訟を御裁判被成、御政務の御事繁く、平人と違ひ、年中に私の御暇有る事稀也
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
捕卒は銀錠をって臨安府の堂上へ搬んできた。許宣はそこで盗賊の嫌疑は晴れたが、素性の判らない者からひそかに金をもらったというかどで、蘇州へ配流ついほうせられることになった。
雷峯塔物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
古よりこの窟に入りて出ずることを窟禅定と呼びならわせる由なるが、さらばこの窟を出でたる時の心地をば窟禅定の禅悦ともいうべくやなどと、ひそかに戯れながら堂の前に至る。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
しきりと耳を振って、露深い秋草を踏散して、いななく声の男らしさ。ひそかに勝利を願うかのよう。清仏しんふつ戦争に砲烟ほうえん弾雨の間を駆廻ったおやの血潮は、たしかにこの馬の胸を流れておりました。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
余は従来一箇の冀望きぼういだけり。その冀望とは他なし、余が生前に在ってが微力を尽して成立せし一箇の大学校を建て、これを後世にのこし、ひそかに後人を利するあらんと欲する、これなり。
祝東京専門学校之開校 (新字新仮名) / 小野梓(著)
すると、その連中の中に、この事を口惜くやしがり、富五郎の芸をそねむものがあって、ひそか湯呑ゆのみの中に水銀をれて富五郎に飲ませたものがあったのです。そこは素人の悲しさに、湯くみがない。
よく言った言葉だと私はそれをきいたときひそかにうなずいた。
三人の師 (新字新仮名) / 上村松園(著)
... 云うな賽転などなら誰が見ても証拠品と思うワな己の目附めっけたのは未だズット小さいものだ細い者だ」大鞆は益々詰寄つめより「エ何だれ程細い者だ(谷)きかせるのじゃ無いけれど君だから打明けるが実は髪の毛だ、夫も唯一本アノ握ッた手に附て居たから誰も知らぬ先に己がコッソリ取ッて置た」大鞆は心の中にてひそかに笑を
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
フランシス上人の後へついて、殊勝らしく、そこいらを見物して歩きながら、悪魔は、ひそかにこんな事を考へて、独り会心の微笑をもらしてゐた。
煙草と悪魔 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
忠次は、心の中で、ひそかに選んでいる三人が、入札の表に現われて来るのが、嬉しかった。乾児達が自分の心持を、察していてくれるのが嬉しかった。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
御米およね小六ころく差向さしむかひぜんくときのこのぶつせいな心持こゝろもちが、何時いつになつたらえるだらうと、こゝろうちひそかうたぐつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
貫一は篤学のみならず、性質もすぐに、おこなひただしかりければ、この人物を以つて学士の冠をいただかんには、誠に獲易えやすからざる婿なるべし、と夫婦はひそかに喜びたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
若しそうだとすれば、数年以前彼の心の奥底に、ひそかかれた種が、今菰田の死に遇って、始めてハッキリした形を現したとも考えられぬことはありません。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「国民之友」つて之を新題目として詩人に勧めし事あるを記憶す、まことに格好なる新題目なり、彼の記者の常に斯般しはんの事に烱眼けいがんなるは吾人のひそかに畏敬する所なれど
国民と思想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
アノ帯をアアしてコノ衣服をこうしてとひそかに胸算用をしていたに相違ない。それが文三が免職に成ッたばかりでガラリトあてが外れたので、それで失望したに相違ない。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
船員曰く、君らの志は善し、しかれども二国交親せんと欲するの今日において、ひそかに君らを載せ去る、二国の国交を如何せんと。万里鵬挙ほうきょの志またここにおいて蹉跎さたたり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
この前亜米利加に行く時にはひそか木村摂津守きむらせっつのかみに懇願して、その従僕と云うことにして連れていっもらったが、今度は幕府に雇われて居て欧羅巴ゆきを命ぜられたのであるから
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
余はひそかに思ふやう、我母は余を活きたる辭書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辭書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。
舞姫 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
年始にAの行かれないこと、若し行って誰かに会ってきかれるかと思うと、切角行っても、いそいでかえらなければならないこと、其等が、先から自分にはひそかに苦となって居た。
諸王の為にひそかに謀る者を誰となす。曰く、諸王のゆうを燕王となす。燕王のに、僧道衍どうえんあり。道衍は僧たりといえども、灰心滅智かいしんめっち羅漢らかんにあらずして、かえってれ好謀善算の人なり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
捕卒は銀錠をって臨安府の堂上へはこんで来た。許宣はそこで盗賊の嫌疑は晴れたが、素性の判らない者から、ひそかに金をもらったと云うかどで、蘇州そしゅう配流ついほうせられることになった。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
父は磯良が五九切なる行止ふるまひを見るに忍びず、正太郎を責めて押籠おしこめける。磯良これを悲しがりて、六〇朝夕のつぶねことまめやかに、かつ袖が方へもひそかに物をおくりて、まことのかぎりをつくしける。
亭主ひそかに、あの犬の名は虎だから虎とさえ呼ばば懐き来る、何ぞ虎という語の入った経文を唱えたまえとおしえる。因ってその僧が南無なむきゃらたんのうとらやあ/\と唱えるや否や犬出家にれ近づく。
その後、造酒之助は故あって、主家よりいとまを賜わり、江戸に出ていたが、中務大輔逝去せいきょおもむきを伝え聞くや、大坂に在った武蔵を訪うてひそかに永別のさかずきを汲み、姫路に下って追腹おいばらを切って果てたのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うらやすし、愁ひはひそかに這ひ出でて
有明集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
素戔嗚はひそかきばを噛んで、一尺でも彼に遅れまいとした。しかし相手は大きな波が、二三度泡を撒き散らす間に、苦もなく素戔嗚を抜いてしまつた。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
放埒ほうらつがたび重なるにつれて、幕府の執政たる土居大炊頭利勝おおいのかみとしかつ、本多上野介正純こうずけのすけまさずみは、ひそかに越前侯廃絶の策をめぐらした。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)