うしお)” の例文
「そらよ、こっちがだんの分。こりゃお源坊のだ。奥様おくさんはあらが可い、煮るともうしおにするともして、天窓あたまかじりの、目球めだまをつるりだ。」
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
これは眼科のうしお教授の代理として云うのだが、時枝という看護婦が眼科に居た事もたしかだが、四箇月ばかり前からやめているので
空を飛ぶパラソル (新字新仮名) / 夢野久作(著)
猛烈な呼吸と呻声うめきとが私達の耳を打った。附添の女は走って氷を探しに行った。お房の気息いきは引いて行く「生」のうしおのように聞えた。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
墨のような松かぜが、松林の中を、ぐわっとうしおみたいに鳴って行った。小次郎の鋭敏な若さは頭の中ですぐ活動の目標へ変化を取る。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西の空は金色こんじきの光に被われ、地球の上に金のうしおを流しているようでした。その光の中に、飛ぶ鳥の姿が黒々と浮んで見えました。
そう思って彼女は何とかせねばならぬともだえながらも何んにもしないでいた。あわおののく心はうしおのように荒れ狂いながら青年の方に押寄せた。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
戦はうしおの河に上る如く次第に近付いて来る。鉄を打つ音、はがねきたえる響、つちの音、やすりの響は絶えず中庭の一隅に聞える。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
近くは深沈としたブリュウブラックのうしおめんに擾乱する水あさぎと白の泡沫。その上をおおきな煙突の影のみがはしってゆく。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
不図ふと前方をみればこは如何に、越の大軍がうしおの如く我に向って前進中である。正に「暁に見る千兵の大牙を擁するを」だ。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そう理宗りそう皇帝のとき、浙江せっこううしおがあふれてこう州の都をおかし、水はひさしく退かないので、朝野の人びとも不安を感じた。
新宿駅前の、洪水のように吐き出されてきて四方へ散っていくあの人間のうしお! そして市内電車。草色の市営乗合自動車。水色の市営乗合自動車。
或る嬰児殺しの動機 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
あすこの三つ二つ、三つ二つは今しも大きな塊りとなってうしおのように前に押寄せ、丁字街の口もとまで行くと、突然立ち停まって半円状にむらがった。
(新字新仮名) / 魯迅(著)
さかんなることはうしおのように、今もこうしてわたしの身肉に食い入って、わたしをこんなに浮動させている悩ましいこの存在を、お前は知らないの?
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
権兵衛は釜礁かまばえの上の方へ往った。人夫たちは釜礁を離れて其の右側の大半砕いてある礁の根元を砕いていた。其処には赤どろんだ膝まで来るうしおがあった。
海神に祈る (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
生徒はぞろぞろとうしおのように集まってはいって来た。女教員は教員室を出ようとして、じろりと清三を見て行った。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
「いいえ、そうじゃないですよ。あすこはうしおさんという若い学生さんが一人で借りているんです。ところが潮さん、この頃ずっと見えないそうで……」
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
門飾の笹竹ささだけが、がさがさとくたびれた神経に刺さるような音を立て、風のむきで時々耳に立つ遠くの町の群衆の跫音あしおとが、うしおでも寄せて来るように思いされた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
人々の希望が日を逐うてうしおの如く高まると共に、上飯台の連中や幹部連の凄惨な顔色は弥々いよいよ深くなる。只でも油断のない眼は耀ひかりを増し、耳は益々尖って来る。
監獄部屋 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
法廷へと続く階段を人々がどっとうしおのように速く駈け上って行くので、彼もその中に一緒に運ばれて行った。
十二隻の艨艟もうどう一縦列をなして、午後五時大同江口を離れ、伸びつ縮みつ竜のごとく黄海のうしおを巻いて進みぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
所へ、向運のうしおに乗って、九十郎を訪れて来たものがあり、それが外ならぬ、沙翁記念劇場の建設だった。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
運動時間などはわァわァと子供の声がうしおの如く私の書斎に響いて来ては、子無しの私共に力をつけます。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
風なく波なく、さしくるうしおの、しみじみと砂をひたす音を翁はまなこ閉じて聴きぬ。さすらう旅のうきもこの刹那せつなにや忘れはてけん、翁が心、今ひとたび童の昔にかえりぬ。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
十字架の上にイエスが息絶えるまで、御自身の目をおおい耳をふさいでこらえてい給うた父なる神は、いまやうしおのごとき愛をイエスにそそぎ始めておられたのです。
そのくせ、心のなかには、うしおのように、温かいなにかが、ふツふツとき、くるってくるのでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
沼のようなこの部屋へも、時々観衆のざわめきと、拍手がうしおのような高低を持って、伝わって来た。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
久しく隠れたる尼の発心、再び寡婦の胸に浮びしはこの沈黙の折にてありし、さりながら機会すでに過ぎ感情のうしおまたすでに退き一方には里方の頑固がんこ、他方には道なき絶峰
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
そうしてこの浜の小石というのは、本来はただの数取かずとりではなかったのである。すなわち海のうしおをもって、まず身と心をきよくしてから、祈りを神に申すという意味があった。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
と、やがて、その殺戮さつりくし合う人の団塊は叫喚しながらくれないとなって、延び、縮み、揺れ合いつつ次第に小さくって行くと、にわかに長羅の動かぬ一団の方へうしおのように崩れて来た。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
が、さいわい、その時開会を知らせるベルが鳴って、会場との境のがようやく両方へ開かれた。そうして待ちくたびれた聴衆が、まるでうしおの引くように、ぞろぞろその扉口とぐちへ流れ始めた。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
鉛色なまりいろをした、ふゆあさでした。往来おうらいには、まだあまり人通ひとどおりがなかったのです。ひろみち中央ちゅうおう電車でんしゃだけが、うしおしよせるようなうなりごえをたて、うすぐらいうちから往復おうふくしていました。
波荒くとも (新字新仮名) / 小川未明(著)
ものさびしいうちに一種の興味を感じつつもその愉快な感じのうちには、何となしはかなく悲しく、わが生の煙にひとしき何もかも夢という思念が、うしおみなぎりくるを感ずるのである。
紅黄録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
ここに少憩して付近のしょうを探ぐり、はるかに左方春日山かすがやま城跡じょうせきおいで、曠世こうせいの英傑上杉輝虎てるとらの雄図をしのび、夕陽せきよう斜めに北海の怒濤どとうてらすの夕闇に、うしおりの物凄き響きをききつつ
さまざまな玩具おもちゃを手にさげたその中には根下ねさがりの銀杏返いちょうがえしや印半纏しるしばんてんかしらなどもまじっていて、幾艘いくそう早舟はやぶねの音をそろえ、碇泊ていはくした荷舟にぶねの間をば声を掛け合い、しずかうしおに従って流れて行く。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
街の興行区は無数の電燈と瓦斯の光にはなやぎ、いろ/\の絵看板が両側につらなつてゐた。目新らしい曲馬の見せ物の楽隊の囃子はやしが夜空にえ渡つてゐた。人のうしおがゆるやかに流れてゐた。
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
これで、実に気のいた出汁ができています。量はどれくらいるかは、実習いたしますと、すぐおわかりになります。この出汁は、たいのうしおなどのときは、ぜひともこれでなくてはなりません。
日本料理の基礎観念 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
春のうしおのように、新しい幸福が、胸に押し寄せて来るのでありました。
シンデレラ (新字新仮名) / 水谷まさる(著)
あの靄の輪廓りんかくに取り巻かれているあたりには、大船おおぶねに乗って風波ふうはを破ってく大胆な海国かいこくの民の住んでいる町々があるのだ。その船人ふなびとはまだ船のき分けた事のない、沈黙のうしおの上を船で渡るのだ。
運河の土手の、したたるような青草のしげみに身をうずめて浮び来り、浮び去る重たげな舟をながめる。すると、かぐわしい夏花の匂いと、爽やかなうしおの香とが、混り合って、漂って来るのでした。
心の生活は深くたたえたるうしおであり、詩は表面の波であるともいえる。『句日記』は私の生活の表面に現れた波であって、善読せらるる方は、この波を透して私の生活をよく諒解りょうかいせらるるかも知れない。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
うしおに濡れて僕はぼんやり家へ帰る。
海の霧 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
それみろ、と何かや、勝ち誇った気構きがまえして、蘆の穂を頬摺ほほずりに、と弓杖ゆんづえをついた処はかったが、同時に目の着くうしおのさし口。
海の使者 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
将来性も十分にあるし、同じ乗るなら、こういう親船に乗って新時代のうしおへ、生涯のかじを向けてゆくことこそ賢明だと考えていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのビール瓶は、この島のまわりをめぐる、うしおの流れに連れられて、ズンズンと海中わだなか遠く出て行って、二度とこの島に帰って来ませんでした。
瓶詰地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
同時に、この仙郷せんきょうのような三浦半島の漁村へも、そうした世界の新しい暗いうしおが遠慮なく打ち寄せて来ていることを思わせた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
唄〽ときに不思議や、一天にわかに掻きくもり、うしおはどうどうと怒り立ち、百千の悪鬼羅刹らせつは海の底よりあらわれたり。
平家蟹 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
けれども先刻さっきからお延の腹の中にどんなうしお満干みちひがあったか、そこにまるで気のつかずにいた叔父は、平生の細心にも似ず、全く無邪気であった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
うしおのようにどよめきだした群衆の中から、茶色の作業服を着た中年の男が叫ぶようにして巡査の前へ出ていった。
街頭の偽映鏡 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
試みに風ぎたる日、いわの上にたたずんで遠く外洋そとうみの方をながむる人は、物凄き一条のうしおが渦巻き流れて、伊豆の方へ向って走るのを見ることができましょう。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一月より二月にかけて威海衛落ち、北洋艦隊ほろび、三月末には南のかた澎湖ぼうこ列島すでにわが有に帰し、北のかたにはわが大軍うしおのごとく進みて、遼河りょうが以東に隻騎の敵を見ず。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)