みなと)” の例文
「じゃあ、何だぜ、お前さん方——ここで一休みするかわりに、みなとじゃあ、どこにも寄らねえで、すぐに、汽船だよ、船だよ。」
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
これはみなと川へのぞむ前のあのかなしい諦観ていかんと苦憂の半ばにあって、ただ永劫えいごうへかけての和と人の善智とを信じようとしていた当時の正成を
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みなとを出て西に向かった水戸浪士は、石神村いしがみむらを通過して、久慈郡大子村くじごおりだいごむらをさして進んだが、討手うっての軍勢もそれをささえることはできなかった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
夏中上総のみなと海岸で廿名ばかりの子供れんを遊ばせてゐる少年臨海団といふ一つの団体がある。団長は例の裸頭跣足主義で名高い高木兼寛氏である。
いでわれみづから往いて求めんとて、朝まだきに力強き漕手こぎて四人をやとひ、みなと舟出ふなでして、こゝかしこの洞窟より巖のはざまゝで、名殘なごりなく尋ね給ひぬ。
蒲原かんばら郡の新潟にひがたは北海第一のみなとなれば福地たることろんまたず。此余このよ豊境はうきやうしばらくりやくす。此地皆十月より雪る、そのふかきあさきとは地勢ちせいによる。なほすゑろんぜり。
「御津」は難波のみなとのことである。そしてもっとくわしくいえば難波津よりも住吉津即ち堺であろうといわれている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
八十やそみなとといふのは、ひょっとすると、土地とち名前なまへで、いま野洲川やすかは川口かはぐちをいつたのかもれません。さうすると、うた意味いみが、しぜんかはつてます。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
天保八年の秋、枕山は鉄砲洲から武州金沢がよいの船に乗った。鉄砲洲は江戸時代には諸国の廻船かいせんの発著するみなとである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
今試みに常陸の那珂のみなとを出発地とし、陸地測量部の五万分一図の上において、紅鉛筆あかえんぴつをステッキに代え、那珂川の岸を川上の方へ旅行するとすれば
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
客のなかのみなとというのは、五十過ぎぐらいの紳士で、濃い眉がしらから顔へかけて、憂愁の蔭を帯びている。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
是故にみな己が受けたる本能に導かれつゝ、存在の大海おほうみをわたりて多くの異なるみなとにむかふ 一一二—一一四
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
此身おりゃお前をだいて毎日々々みなとの部屋(勧進元かんじんもと)に相撲の稽古を見にいった、その産婆さんのうち彼処あすこじゃ湊の稽古場は此処こっちの方じゃと、指をさして見せたときには
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
一、十七八里程の島の高さ、伊豆大島の山より稍々高き程、みなとに可成所一ヶ所、西南に向ひ、広さ三町程、船二三十艘も繋ぎ可申、深さ干潮にて二尋、満潮にて四尋斗
ボニン島物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
津村正恭の『譚海たんかい』二に、丹後の由良のみなと逆沓さかぐつという故事あり、つれ王丸という冠者、三荘太夫がもとを逃れて京へ登る時に、雪中に沓を跡になし穿きて逃れたる故
立退たちのきまづ西濱さして急ぎゆけり此西濱と云はみなとにて九州第一の大湊おほみなとなり四國中國上方筋かみがたすぢへの大船はいづれも此西濱より出すとなりしかるに加納屋利兵衞方にて此度このたび天神丸てんじんまると名付し大船を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
松平大膳大夫の領内防州小郡ばうしうをごほりみなとから上陸し萩城を一覽する所存で、一の坂を越え、蟹坂かにざかまでノコノコやつて行つたところを毛利の家中に發見され、生捕つて江戸表へ訴へ出
それから一ときあまりのち。伊東七十郎と里見十左衛門は、石巻の妓楼で酒を飲んでいた。北上川の川口の西を石巻、東岸をみなと町と呼び、その妓楼はうしろが河岸に面していた。
みなと村のうち、石井村の島田平四郎が稲荷の信者なるを聞き込み、夫婦して同家へ出かけ
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
つひに道ふみたがへて、石の巻といふみなとに出づ。こがね花咲くと詠みて奉りたる金花山、海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、かまどの煙たちつづけたり。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
茨城県みなと町の鮪船まぐろぶねが四そう、故郷の港を出て海上五百キロの沖に、夜明を待っていた。
空襲警報 (新字新仮名) / 海野十三(著)
五五ぬば玉の夜中よなかかたにやどる月は、五六鏡の山の峯にみて、五七八十やそみなと八十隈やそくまもなくておもしろ。五八沖津嶋山、五九竹生嶋ちくぶしま、波に六〇うつろふ六一あけかきこそおどろかるれ。
運よくばまんの身代十万に延して山梨県の多額納税と銘うたんもはかりがたけれど、ちぎりしことばはあとのみなとに残して、舟は流れにしたがひ人は世に引かれて、遠ざかりゆく事千里、二千里、一万里
ゆく雲 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
両側の家の軒燈けんどうのまたたいて居る大道だいだうを、南へ南へと引いて行かれるのでした。みなとの橋を渡りますと正面に見える大きい家でにはとりきました。何時いつにか私は母にりかかつて眠りました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
おぬい 那珂なかみなとの叔父さんの処で、兄さん本当に堅くなっておくれよ。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
雲のみなと漁火いさりび
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
金石かないわみなと、宮の腰の浜へ上って、北海のたこ烏賊いかはまぐりが、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽おかしな昔話がある——
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それらの者には一顧いっこもせず、そうかといって迎えに来ている知人もないらしく、美少年は小猿をかついで、真っ先にこのみなとから姿を消してしまった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蒲原かんばら郡の新潟にひがたは北海第一のみなとなれば福地たることろんまたず。此余このよ豊境はうきやうしばらくりやくす。此地皆十月より雪る、そのふかきあさきとは地勢ちせいによる。なほすゑろんぜり。
あのみなとでの合戦かっせん以来、水戸の諸生党を応援した参政田沼玄蕃頭げんばのかみは追討総督として浪士らのあとを追って来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
越前坂井郡に蘆原あわらという有名な温泉がある。三国のみなとの少し上流であって、また川の積土の上に開かれた新地の村である。美濃、飛騨などには最も多くの阿原がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「磯の埼ぎたみゆけば近江あふみ八十やそみなとたづさはに鳴く」(巻三・二七三)、「吾が船は比良ひらの湊に榜ぎてむ沖へなさかりさふけにけり」(同・二七四)がある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
もと播州ばんしうむろの津にいたりけり當所は繁華はんくわみなとにて名に聞えたるむろ早咲町はやざきまちなど遊女町いうぢよまちのきつらねて在ければ吾助は例の好色かうしよく者と言ひ懷中には二百兩の金もあり先此處にてつかれを慰めうつ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
みなと村の内石井村の島田平四郎が稲荷の信者なるを聞き込み、夫婦して同家へ出かけ
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
つひに道ふみたがへて、石の巻といふみなとに出づ。『こがね花咲く』と詠みて奉りたる金花山海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、かまどの煙たちつづけたり。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
同じ作者の『みなとの花』には、思う人に捨てられた女が堀割に沿うた貧家の一間に世をしのび、雪のふる日にも炭がなく、唯涙にくれている時、見知り顔の船頭が猪牙舟ちょきぶねいで通るのを
雪の日 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
うんよくはまん身代しんだいまんのばして山梨縣やまなしけん多額納税たがくのうぜいめいうたんもはかりがたけれど、ちぎりしことばはあとのみなとのこして、ふねながれにしたがひひとかれて、とほざかりゆくこと、二千、一萬
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
参府さんぷの折も、松平大膳大夫だいぜんのだいぶの領内防州小郡ぼうしゅうおごおりみなとから上陸し萩城を一覧する所存で、一の坂を越え、蟹坂かにざかまでノコノコやって行ったところを毛利もうりの家中に発見され、生捕って江戸表へ訴え出
石州浜田六万四千石……船つきのみなとを抱えて、内福の聞こえのあった松平某氏なにがしが、仔細しさいあって、ここの片原五万四千石、——遠僻えんぺきの荒地に国がえとなった。
灯明之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
総滝そたきとは新潟にひがたみなとより四十余里の川上、千隈川ちくまかはのほとり割野わりの村にちかき所のながれにあり。信濃しなの丹波島たんばじまより新潟にひがたまでを流るゝあひだながれたきをなすはこゝのみなり。
みなと出発以来、婦人の身でずっと陣中にある大納言だいなごん簾中れんちゅうも無事、山国親子も無事、筑波つくば組の稲右衛門、小四郎、皆無事だ。一同は手分けをして高島陣地その他を松明たいまつで改めた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
是などは新潟の次のみなと酒田さかたとか新湊しんみなととか、能登のと小木おぎ宇出津うしつとかの歌であろう。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
がいして、この地の建物も住民の皮膚も、中央や東国の民よりは、はるかに豊かで健康らしく思われた。玄海の磯の香、みなとの風物、異国的な色調の橋やら客館など、尊氏には物なべて
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飼飯の海は、淡路西海岸三原郡みなと町の近くに慶野松原がある。其処そこの海であろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
福松の頭には、浮いたみなとの三国の色町の弦歌の声が波にのって耳にこたえて来る。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
運よくは萬の身代十萬に延して山梨縣の多額納税と銘うたんも斗りがたけれど、契りし詞はあとのみなとに殘して、舟は流れに隨がひ人は世に引かれて、遠ざかりゆくこと千里、二千里、一萬里
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
途中、氷見ひみみなとを通るとき、折からの満潮で、深さが見当つかない。義仲は、咄嗟とっさに鞍を置いた馬十匹を水の中に追い放った。水は丁度、鞍とはしとすれすれのところで、無事に十匹は向う岸に着いた。
それにまた、磋磯之介は、烏山からすやまを去ってから、越後に隠れ、後にまた、常州のみなとの戦乱に参加して、ほとんど、世人の思い出しそうな所には、一日も身を置いていなかったせいもある。
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
江州の長浜といってみなとになってるんだから、船つきも、船の出どころも、いくらもあるよ、どこがりんこの渡してえんだか、おいらは知らねえが、竹生島というのは眼と鼻の先なんだ
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
みなとという村にも以前は二つまで弘法大師の清水があって、今ではその一つは手取川の堤の下になってしまいましたが、これも大師が杖のさきで、突き出した泉であるといっておりました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)