たて)” の例文
多分、幾太郎が縛られたと聽いて、驚いて身代りの祕密を打明けたお桃の言葉を聽くと、矢もたてもたまらず、平次を呼んだのでせう。
親仁おやぢわめくと、婦人をんな一寸ちよいとつてしろつまさきをちよろちよろと真黒まツくろすゝけたふとはしらたてつて、うまとゞかぬほどに小隠こがくれた。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
それだけでもしゃくさわってたまらないのに、彼奴め、自分の非をわすれて、先頃、お金蔵の金子が台帳と少々合わないのをたてに取って
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
気に病み、さりとて正面からおれにたてをつく勇気もない、ぼそぼそとなにか申しては、尻すぼまりに引込んでしまう、いっそものを
この人と、この人をつ時世とを見て泣いた時から、子路の心は決っている。濁世だくせのあるゆる侵害しんがいからこの人を守るたてとなること。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
とにかく今の少年と一手を争い、次にこの先生のお手のうちを拝見するも一興であろうと、竜之助はたてもたまらなくなりました。
そうしてペンキ塗の交番をたてに、巡査の立っている横から女の顔をねらうように見た。そうしてその表情の変化にまた驚ろかされた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「そない僕にたてついたら今に難儀することあるで。あんたが証文書かんかて、オドスつもりやったら此処に何ぼでも材料あるねん」
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
母を喜ばしむ、ぜんよりも一層真心をめて彼女かれを慰め、彼女をはげまし、唯一のたてとなりて彼女を保護するものは剛一なりける
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
しかし私は、矢もたてもたまらない程書いて見たくって、松洲先生やお嬢さんには隠れて、墓石の上や、草原の中で書いたりした。
ははや、ちちや、ともだちや、あそんだもりや、野原のはらこいしくなりました。こいしくなると、かれ性質せいしつとしてたてもたまらなくなりました。
海へ (新字新仮名) / 小川未明(著)
天下に、この俺にむかってたてをつくものがあろうかと思っている鼻さきを、嫌というほどにへし折って、そのあげくの口上がこれである。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
天使たちはみな、かしらにはかぶとをいただき、手にはたてとやりをもっていました。天使の数はだんだんふえるばかりでした。
……事によったらお今はもうよそへお嫁に行ったかも知れない、などと思うたら、もう矢もたてもなくお今が恋しくなってたまらなくなった。
六月 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
フランス魂の幻像——たてをもってる窈窕ようちょうたる処女、やみの中に輝く青い眼のアテネ、労働の女神、たぐいまれなる芸術家、または
なるほどドラペリーを両側につけたたての中には獅子ライオン、王冠、白鳥、不死鳥フェニックス等、現グリュックスブルグ王家の紋章が、浮き彫りになっている。
グリュックスブルグ王室異聞 (新字新仮名) / 橘外男(著)
矢もたてもなく、富岡はおせいの裸が恋しかつた。後姿にそそのかされた。いきなり、富岡もその方へ泳いで行き、おせいのそばに上つて行つた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
この礎のみぞかれらのとなへしところなる、されば信仰をもやさん爲に戰ふにあたり、かれらは福音をたてとも槍ともなしたりき 一一二—一一四
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
あるものは持って廻った捏造物ねつぞうぶつだ、あるものは虚偽矯飾の申しわけだ、あるものはたての半面に過ぎず、あるものはただの空華幻象に過ぎない。
ふだんならば一も二もなく父をかばって母にたてをつくべきところを、素直すなおに母のするとおりになって、葉子は母と共に仙台にうずもれに行った。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
菜穂子の病状をたてにして、例の剛情さで何かと反対をとなえるだろう事を思うと、もううんざりして何んにも云い出す気がなくなるのだった。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
そのたての鏡に映った女怪の影を顧み見ると同時に、女神の手でペルセウスの刀持った手を持ち添え、見事にメズサをくびはねた。
彼は居酒屋を出ると、ほとんど駆け出さないばかりに歩いた。ドゥーニャと母親を思う心が、なぜか矢もたてもたまらない恐怖を呼びさました。
世の中のどんなに偉い学者達が、どんなに精密な考証をたてにこの説を一笑に付そうとしても、作者はただもう執拗しつように主張し続けるだけなのです。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
互にたてを突き合ふやうな不愉快な時間が幾度かかさなつた。或る時は首藤に質問された「かりかる」の用法で、先生は一時間を苦しめられた。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
いくらお初が証人に立っても、母の顔が猫にみえたという奇怪な事実をたてにして、親殺しのとがを逃がれることはできない。
半七捕物帳:12 猫騒動 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
すべての国の弱き者、しいたげられおる者のために、その希望たりたてたる特性すなわちこれである。こはこの大英国の栄光中最も赫耀かくようたる霊彩を
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
「既にこういう詔書みことのりが出たからはもしこれをたてに取って英国人がここに入って来たらどうするか。」「なあに入れるものか」「どういう訳で。」
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
きょうの私もまた、この言葉をたてる。もう一作拝見、もう一作拝見、てうかしがましい市場の呼び声に私は答える。
さうかと思ふと、仏蘭西フランスの女の兵隊と独逸ドイツの兵隊とが対峙たいぢしてゐる、独逸の兵隊はとりこにした幼児をたてにしてひかへてゐる。
近頃の幽霊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
しかし後になっておいおいにわかって来たことであるが、漱石にたてをついていた先輩の連中でも、皆それぞれに漱石に甘える気持ちを持っていた。
漱石の人物 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
サアそう成るとお勢は矢もたてたまらず、急に入塾が仕たくなる。何でもかでもと親をがむ、寝言にまで言ッて責がむ。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
漢学者のやうにのたまわくで何か事あれば直ぐに七去しちきょおしえたてに取るやうな野暮な心ならば初めから芸者引かせて女房にするなぞは大きな間違ならんと。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
数馬はこう思うと、矢もたてもたまらない。そこで妻子には阿部の討手を仰せつけられたとだけ、手短てみじかに言い聞かせて、一人ひたすら支度を急いだ。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
平家の勢の中に播磨はりま国の住人福井庄の下司げし、次郎太夫友方ともかたと云ふ者、たて続松たいまつにして、在家に火をぞ懸けたりける。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
それは衣川ころもがわの役を主題としたもので、源義家と安倍貞任あべのさだとうとが戦中に立て引きをする処、……例の、衣のたてはほころびにけりという歌の所であります。
われらみなかし老木おいきたてにしてその陰にうずくまりぬ。四辺あたりの家々より起こる叫び声、泣き声、おちかたに響く騒然たる物音、げにまれなる強震なり。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
いざとなったら、次の間の壁をたてとして、とびかかってくるやつを一人一人片っぱしから斬り倒すだけのことである。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
武士たちは、こわごわちかづいて見ると、高麗錦こまにしきくれあや倭文織しずおりかとりたてほこゆきくわなどのたぐいで、いずれも権現から紛失した宝物であった。
築地ついじたてとし家をとりでとする戦闘はそのの周囲でことに激烈をきわめたという。その時になって長州は実にその正反対を会津に見いだしたのである。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
忠太郎 (垣の内へ入り、かまどたてに往来から見えぬように位置し)ゆうべここの門口まで一緒に来た忠太郎という男の事を、にいさんは話さなかったか。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
突きでているがっしりした煖炉の上に、よろいを着て、白い馬のかたわらに立った武士の肖像がかかっており、反対側の壁にはかぶとたてやりが掛けてあった。
あの聖堂のなかに何か容易ならぬなぞがひそんでゐるやうな気がしきりにしだして、矢もたてもたまらなくなりました。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
二三月来飄零ひょうれいの結果ようやく東京に前途の光明を認め始めたのに、それを捨てて去るに忍びぬということなぞをたてとして、頻りに帰国の不可能を主張した。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
矢もたてもたまらずにねらいをつけた異性へと飛びついて行くのであったが、やがて生活が彼女の思いあがった慾望に添わないことが苦痛になるか、または
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
さうして矢もたてもたまらない、郷愁に似たやうな名づけやうのない心が、その何処とも知れない場所へ、自分自身を連れて行けとせがむのであつた……。
すなわち今の事態を維持いじして、門閥の妄想もうそうを払い、上士は下士に対してあたかも格式りきみの長座ちょうざさず、昔年のりきみは家を護り面目めんもくを保つのたてとなり
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
たてに受ると見えしが無慘むざんや女は一聲きやつとさけびしまゝに切下げれば虚空こくうつかんでのたうつひまに雲助又もぼう追取おつとり上臺がひざを横さまにはらへば俯伏うつふしに倒るゝ所を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
文教をたてとして天下を治めんとしたる徳川政府は、早くも文教をとして、おのれに向い弓をくものを見出しぬ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
彼は杖をもって身構え、背嚢をたてとなし、そしてうまく犬小屋から出ることができた。もとより、そのために衣服の破れは更に大きくなったのではあるが。