本郷ほんごう)” の例文
先の自動車は、相当の速力で菊屋橋を過ぎ車坂くるまざかに現れ更に前進して上野広小路うえのひろこうじの角を右にカーブして、本郷ほんごう方面に疾走して行きました。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
東京の留守宅は本郷ほんごう森川町というところにありましたから、急いで行って見ましたが、ざんねんなことにはもう間に合いませんでした。
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
眉山の家は本郷ほんごう春木町はるきちょうの下宿屋であった。学校から帰ると、素裸すっぱだかになって井戸の水を汲込くみこみつつ大きな声で女中を揶揄からかっていた。
本郷ほんごう駒込こまごめ吉祥寺きちじょうじ八百屋やおやのお七はお小姓の吉三きちざに惚れて……。」と節をつけて歌いながら、カラクリの絵板えいたにつけた綱を引張っていたが
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「きょうは少し装置が狂ったので晩の実験はやめだ。これから本郷ほんごうの方を散歩して帰ろうと思うが、君どうです、いっしょに歩きませんか」
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「そうかもしれませんな。こっちも宿題をやらない会議だ。あんまりむりなことをいうようなら、僕いって本郷ほんごう叔父様おじさまに訴えてやります」
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「親分も知っていなさるでしょう。相手は本郷ほんごう二丁目の平松屋源左衛門の義理の娘ですが、まずその親父おやじのことから話さなきゃわかりません」
銭形平次捕物控:282 密室 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
するとたちまち思い出したのは本郷ほんごうのある雑誌社である。この雑誌社は一月ひとつきばかり前に寄稿を依頼する長手紙をよこした。
十円札 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
鹿島氏は本郷ほんごう三丁目の交叉こうさ点に近く住んでいるということを聞き、また写真屋を開業していて薬が爆発して火傷やけどをしたというような記事が新聞に載り
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
「君は、目黒の笹木光吉の情婦じょうふである赤星龍子が本郷ほんごう小柴木こしばぎ病院で毎日耳の治療をうけているのを知っているか」
省線電車の射撃手 (新字新仮名) / 海野十三(著)
本郷ほんごう西片町にしかたまちには、山野夫人の伯父に当る人が住んでいた。両親をなくした彼女には、この人が唯一の身内だった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
深川ふかがわ、浅草、日本橋にほんばし京橋きょうばしの全部と、麹町こうじまち、神田、下谷したやのほとんど全部、本郷ほんごう小石川こいしかわ赤坂あかさかしばの一部分(つまり東京の商工業区域のほとんどすっかり)
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
なおその火の支流は本郷ほんごうから巣鴨すがもにも延長し、また一方の逆流は今の日本橋区にほんばしくの目抜きの場所を曠野こうやにした。
函館の大火について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
あの時にも不逞鮮人ふていせんじん事件という不幸な流言があった。上野で焼け出された私たちの一家は、本郷ほんごうの友人の家へ逃げた。大火がようやくおさまっても流言は絶えない。
流言蜚語 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
私共わたしどもはこのしゆ土器どき彌生式土器やよひしきどきんでをりますが、それは最初さいしよ東京とうきよう本郷ほんごう帝國大學ていこくだいがくうらところあた彌生町やよひちようにあつた貝塚かひづかから土器どきからつたのです。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
その人は、元農商務省の役人をしていた人で、畜産事業をやっていたが、目下は役をやめ家畜飼養をやっている、本郷ほんごう駒込こまごめ千駄木せんだぎ林町の植木うえき氏という人であった。
日曜日に本郷ほんごうから帰って来られたお兄様が、床脇とこわきの押入れの中に積重ねてあった本の中から一冊を抜出して、「こんな本を読んで見るかい」とおっしゃいました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
著者ちよしや明治二十七年めいじにじゆうしちねん六月二十日ろくがつはつか東京地震とうきやうぢしん本郷ほんごう湯島ゆしまおいて、木造もくぞう二階建にかいだて階上かいじよう經驗けいけんしたことがある。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
本郷ほんごうの大学の先生をしていらして、生れたお家もお金持ちなんだそうで、その上、奥さまのおさとも、福島県の豪農とやらで、お子さんの無いせいもございましょうが
饗応夫人 (新字新仮名) / 太宰治(著)
文政十二年三月十七日に歿して、享年五十三であったというから、抽斎の生れた時二十九歳で、本郷ほんごう真砂町まさごちょうに住んでいた。阿部家は既に備中守びっちゅうのかみ正精まさきよの世になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
明治三十年ごろのことであったらしい。東京の本郷ほんごう三丁目あたりに長く空いている家があったのを、美術学校の生徒が三人で借りて、二階を画室にし下を寝室にしていた。
女の姿 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
短くなりまさった日は本郷ほんごうの高台に隠れて、往来にはくりやの煙とも夕靄ゆうもやともつかぬ薄い霧がただよって、街頭のランプのがことに赤くちらほらちらほらとともっていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
北方きたかた本郷ほんごうというところで、私たちは三ぞうの水車船を見た。また下流で二艘の同じような船を見た。船には家があり横の両側には二台ずつの軽い小板こいたの水車が廻っていた。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
子供たちは小さい村から、半里ばかりはなれた本郷ほんごうへ、夜のお祭を見にゆくところでした。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
明治五年にはほかにどんな知名の人が生れたか知らぬが、私たち女性の間には、ことに文芸に携わるものには覚えていてよい年であろう。数え年の六歳に本郷ほんごう小学校へ入学した。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
わたしが毎月一度ずつ必ずその原を通り抜けたのは、本郷ほんごう春木座はるきざへゆくためであった。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
晴れていたら駿河台するがだいから湯島ゆしま本郷ほんごうから上野うえのの丘までひと眼に見わたせるだろう、いまは舞いしきる粉雪で少し遠いところはおぼろにかすんでいるが、焼け落ちた家いえのはりや柱や
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
此方こなたは鹽原角右衞門夫婦、其のは大宮宿の栗原と申す旅籠屋はたごやに泊り、翌七日江戸に着し、本郷ほんごう春木町はるきまちに参りまして、岸田宇之助方を尋ね、妹おかめに逢い、右内が変死の事と
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
其中そのなかけて苦勞性くろうせうのあるおひとしのびやかにあとをやつけたまひし、ぐりにぐればさて燈臺とうだいのもとらさよ、本郷ほんごう森川町もりかはちようとかや神社じんじやのうしろ新坂通しんざかどほりに幾搆いくかまへの生垣いけがきゆひまわせしなか
経つくゑ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
本荘ほんじょうに対する新荘も同じく追加開墾地である。その本荘が公田すなわち国の領地である時には荘と言わずにごうまたはという。新郷しんごう別保べっぽ新保しんぽなどは本郷ほんごう本保ほんぽに対する別符である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
本郷ほんごうの家まで帰るのに、もうひっそりと寝しずまった町々を歩いて来たのであったが、時々はあまりに遅い時間になってしまって、そのままめていただいたことなどもかなりにあった。
左千夫先生への追憶 (新字新仮名) / 石原純(著)
この人は本郷ほんごう春木町はるきちやうて、石橋いしばしとは進文学舎しんぶんがくしや同窓どうそうで、予備門よびもんにも同時どうじに入学したのでありましたが、同好どうこうひとであることは知らなかつたと見えて、これまで勧誘くわんいうもしなかつたのでありました
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
妾も東上して本郷ほんごうどおしを通行の際、ふと川上一座とえりめぬきたる印半天しるしばんてんを着せる者に逢い、思わずその人を熟視せしに、これぞほかならぬ川上にして、彼も大いに驚きたるものの如く
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
その、江戸は本郷ほんごう、妻恋坂に。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
本郷ほんごう西片町にしかたまち、麻田椎花邸。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
菊池五山もまた矍鑠かくしゃくとして数年前にはその詩話の補遺四巻を上木し、連月十六日を期して詩会を本郷ほんごう一丁目の邸宅に開いていた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼の名前などは言わずともい。彼は叔父おじさんの家を出てから、本郷ほんごうのある印刷屋の二階の六畳に間借まがりをしていた。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
名刺には里見美禰子さとみみねことあった。本郷ほんごう真砂町まさごちょうだから谷を越すとすぐ向こうである。三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
三人は右を見、左を見して、本郷ほんごう森川宿から神田明神かんだみょうじんの横手に添い、筋違見附すじかいみつけへと取って、復興最中の町にはいった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
敵は深川を離れて京橋から日本橋を経て神田に入り、本郷ほんごうの通をグングン進んで行った。そして、やがて速力をおとして入りこんだのが、何と理科大学——。
地中魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
明治三十五年ごろ病気になった妻を国へ帰してひとりで本郷ほんごう五丁目の下宿の二階に暮らしていたころ
物売りの声 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
また本郷ほんごう天神前てんじんまえに、旭玉山あさひぎょくざんという牙彫家がいて弟子の五人十人も持ち、なかなか盛んであった。
材料のいい悪いはとにかく、味はとにかく、何よりもきたならしい感じがしてはしもつける気になれなかったので、本郷ほんごう通りにあるる料理屋から日々入れさせる事にした。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
赤門を出てから本郷ほんごう通りを歩いて、粟餅あわもち曲擣きょくづきをしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。そのころまで目新しかった目金橋めがねばしへ降りて、柳原やなぎはら片側町かたかわまちを少し歩く。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
昼御飯をオリンピックで食べて、それから本郷ほんごうの津田さんを訪れた。僕は、中学へはいったとしの春に、いちど兄さんに連れられて、津田さんのおうちへ遊びに行った事がある。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
その頃次兄は本郷ほんごうで下宿住いでした。それで兄のいられた部屋を使えといわれます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
其の角右衞門の家に勤めました岸田右内きしだうないという御家来がありまして、其の者が若気の至りで、角右衞門の御新造ごしんぞいもとおかめと密通をして家出をいたし、本郷ほんごう春木町はるきまち裏家住うらやずまいをいたしまして
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それがやっこさんを追越そうとしたところで、中からちょっと窓掛をいて、白い顔を出した女があった、それが細君さいくんさ、細君はその日三時から本郷ほんごうの公爵家で催す音楽会へ往っているはずである
雨夜草紙 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
淡泊あつさり仕舞しまふて殊更ことさら土産みやげをり調とゝのへさせ、ともには冷評ひようばん言葉ことばきながら、一人ひとりわかれてとぼ/\と本郷ほんごう附木店つけぎだな我家わがやもどるに、格子戸こうしどにはしまりもなくして、うへへあがるに燈火ともしびはもとよりのこと
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
江戸は『八犬伝』の中心舞台で、信乃しのが生れ額蔵がくぞうが育った大塚おおつかを外にしても神田かんだとか湯嶋ゆしまとか本郷ほんごうとかいう地名は出るが「江戸」という地名は見えない。江戸城を匂わせるような城も見えない。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)