下谷したや)” の例文
そこで、高橋さんは、奥さん(賢二君のおかあさん)とも、相談したうえ、賢二君を、下谷したやのしんせきにあずける決心をしたのです。
鉄塔の怪人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
道庵先生とだけでは、この土地の人にはよくわかるまいが、下谷したやの長者町へ行って十八文の先生といえば誰にもわかるのであります。
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
下谷したやから浅草にかけて町々をって歩きますと、日本で昔から用いているものを、今も作ったり売ったりしているのを見掛けます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
一度燃えたのですから、そのにおいで、消えてからどのくらいったかが知れますと、伺った路順で、下谷したやだが浅草だが推量が付くんです。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「それはしかとはきまらんがの、下谷したやに富山銀行と云ふのがある、それ、富山重平な、あれの息子の嫁に欲いと云ふ話があるので」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
東京下谷したやいけはたの下宿で、岸本が友達と一緒にこの詩を愛誦あいしょうしたのは二十年の昔だ。市川、菅、福富、足立、友達は皆若かった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
皆が困っていると、下谷したや金杉かなすぎ小股潜こまたくぐり又市またいちと云う口才のある男があって、それを知っている者があったので呼んで相談した。又市は
四谷怪談 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
下谷したやのお化新道ばけしんみち君香きみかといって居りました。旦那の御屋敷へ御けいこに上って御酒をいただいた帰りなんぞに逢引をした事が御在ました。
あぢさゐ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
早く……まア/\これへ……えゝ此の御方おかた下谷したやの金田様だ、存じているか、これから御贔屓になってお屋敷へ出んければ成らん
梅若七兵衛 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
たしか下谷したや辺に好きな人があると聞いていたが、前述の如く私はそういう附合いをしたことがないので、その人に会ったことはなかった。
文壇昔ばなし (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
正月の初めに下谷したやの往来で文次郎に出逢って、そこらの小料理屋へ連れ込まれて、初めて相談を掛けられたのだということです。
半七捕物帳:51 大森の鶏 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
子にもせよ甥にもせよ、独美の血族たる京水は宗家をぐことが出来ないで、自立して町医まちいになり、下谷したや徒士町かちまち門戸もんこを張った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
無人となった境地には、月光ばかりがこぼれていた。しかるにこのころ一人の武士が、下谷したやの町の一所に、腕を組みながらたたずんでいた。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
表面には「駒込西片町にしかたまち十番地いノ十六 寺田寅彦殿 上根岸かみねぎし八十二 正岡常規つねのり」とあり、消印は「武蔵東京下谷したや 卅三年七月二十四日イ便」
子規自筆の根岸地図 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「自害したのはお小夜さよといってな。三年前に死んだ時は十八だった。両親には過分のお手当を下すったはずだ。下谷したやで安楽に暮しているよ」
雷門かみなりもんを中心とし、下谷したや浅草あさくさ本所ほんじょ深川ふかがわの方面では、同志が三万人から出来た。貴方たちも、加盟していただきたい。どうです!
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
下谷したやの仲町に住んでいて、おくやま(浅草)の掛け小屋しばやとかの道具方をやっているというねたが上がりましたからね。
彼女たちは幕府のころ、上野の宮の御用達をつとめた家の愛娘であった。下谷したや一番の伊達者だてしゃ——その唄は彼女の娘時代にあてはめる事が出来る。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
お島が下谷したやの方に独身で暮している、父親の従姉いとこにあたる伯母のところに、暫く体をあずけることになったのは、その夏も、もう盆過ぎであった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
呼出し取調とりしらありしに一かう右體の怪我人けがにん見當らざるよしを申により又外々の名主へ掛り尋けるに下谷したや廣小路ひろこうぢ道達だうたつとて表へは賣藥ばいやく見世みせを出しおき外療醫ぐわいれうい
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
一方前のおかみさんの方は下谷したや坂本町さかもとちょうの裏長屋に住んでいて、家賃こそ主人の方から仕払ってくれはしたものの、二人の子供を抱えて日々の生活は
下谷したやの下宿にいました頃、下宿のおかみさんが、「あのひとはそめのいい絣を着ていたからいい家の息子に違いない」
着物雑考 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
下谷したや西町にしまちで相変らずコツコツと自分の仕事を専念にやっている中に、妙なことで計らず少し突飛とっぴな思い附きで余計な仕事を遊び半分にしたことがあります。
下谷したや竜泉寺町りゅうせんじまちという町の名は、直接その土地に馴染なじみのない人にも、まんざら親しみのないものでもなかろう。
安い頭 (新字新仮名) / 小山清(著)
深川ふかがわ、浅草、日本橋にほんばし京橋きょうばしの全部と、麹町こうじまち、神田、下谷したやのほとんど全部、本郷ほんごう小石川こいしかわ赤坂あかさかしばの一部分(つまり東京の商工業区域のほとんどすっかり)
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
その前から江戸に出て来て下谷したやに居た緒方先生が、急病で大層吐血とけつしたと云う急使きゅうつかいに、私は実にきもつぶした。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
カンテラので照らして見ると、下谷したや辺の溝渠どぶあふれたように、薄鼠うすねずみになってだぶだぶしている。その泥水がまた馬鹿に冷たい。指の股が切られるようである。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そのうち、真相が、わかるだろう。姉さんは、僕にもろくに話掛けずに、夕方、下谷したやへ帰って行った。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
==は江戸に着いて、お千絵どのの居所いどころを求めつつあり。また予をたずねんとする者は、下谷したや月寺げつじ普化宗ふけしゅう関東支配所にて問われなば知れん==。としてある。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小児の食品として今の処ではこの軽焼が一番だと思うね。既に上流社会の和子様わこさまたちは下谷したやの名物風船あられといってこの軽焼の精製したものを召上ると申す事だ。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
「少し休まなくてはいけないわ、あたしのうちへゆきましょう」とおすえが云った、「下谷したや金杉かなすぎで筆屋をやっているの、狭いけれど栄さんの寝るとこぐらいはあるわ」
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
誰か商売の手助けと身のまわりの世話をかねるものをとのことで、下谷したや桂庵けいあんをとおして雇われてきたのだ。お高は、女にしては珍しく、相当学問もあり、能筆でもあった。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
稲荷のお社も、この時に弘法大師が祀って置かれたということで、おいおいに繁昌して今のように町屋が立ち続いて来たのであります。(江戸名所記。東京市下谷したや区清水町)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
奥原晴湖おくはらせいこの密画の懸けてあったこともあります。晴湖は明治の初めに東京に出て、下谷したやに住んで、南画の名手として知られた女の画家でした。佐藤応渠さとうおうきょ半切はんせつもありました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
ひととせ下谷したやのほとりに仮初かりそめ家居いへゐして、商人あきびとといふ名も恥かしき、ただいさゝかの物とりならべて朝夕あさゆふのたつきとせし頃、軒端のきばひさしあれたれども、月さすたよりとなるにはあらで
あきあはせ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
洒落た机がこしらへたい、それにはつてから百五十年以上経つた材木で無いと、狂ひが出来るからといつて、方々捜し廻つてゐるうち、下谷したやの古い薬舗くすりみせで、恰好の看板を見つけて
下谷したや谷中やなかかたほとり、笠森稲荷かさもりいなり境内けいだいに、行燈あんどんけた十一けん水茶屋娘みずちゃやむすめが、三十余人よにんたばになろうが、縹緻きりょうはおろか、まゆ一つおよものがないという、当時とうじ鈴木春信すずきはるのぶが一枚刷まいずり錦絵にしきえから
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
「あの。下谷したやで髪結いをしている伯母さんに頼んでおりますの。いけないでしょうか」
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
下谷したや御門前ごもんぜんで行倒れになりかけているのを気の毒に思って連れ帰って下僕しもべにした。
全く、関東の何処どこにもない情緒と温味のある自然であり、春ののどやかさと初秋の美しき閑寂さは東京の下谷したや根津ねづ裏で下宿するものにとっては、誘惑されるのも無理でない事なのだ。
もう一人ひとり、いっしょにきた原田はらだは、下谷したや大槻おおつきというお医者いしゃのところへいきました。
爰にて殺さんこともむざんなれば、しばらくゆるしはなつべし。足にまかせていづかたへも逃れ行き、ずいぶん命をたすかり、火も鎮りたらば、一人も残らず下谷したやのれんけいじへ来るべし。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
下谷したや七軒町しちけんちょうの親戚の法事へ行った帰り、この先きの四つ角へ差しかかると、自働電話の傍に立っていた男が突然おどかかって来て、はっと思う間に自分の身体は、板を跳ね返して溝へ落ち込んでいた。
助五郎余罪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
三浦の親は何でも下谷したやあたりの大地主で、彼が仏蘭西フランスへ渡ると同時に、二人とも前後して歿くなったとか云う事でしたから、その一人息子だった彼は、当時もう相当な資産家になっていたのでしょう。
開化の良人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
神田かんだを歩いていても下谷したやを歩いていても、家のかげになって見えない煙突が、少し場処をかえると見えて来る。それを目当に歩いて来て、よほど大きくなった煙突を見ると心がほっとしたものである。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
下谷したや徒士町おかちまちの、今にて思へば棟割長屋なるに落ちつきたまひつ。
葛のうら葉 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
乳母が住む下谷したやいけはたる曲がりかどに来て立っていた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
下谷したや徒士町、露月庵を訪れた、一人の客がありました。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
下谷したや團子坂だんござか出店でみせなり。なつ屋根やねうへはしらて、むしろきてきやくせうず。時々とき/″\夕立ゆふだち蕎麥そばさらはる、とおまけをはねば不思議ふしぎにならず。
神楽坂七不思議 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
僧 今日は朝から湯島ゆしま神田かんだ下谷したや淺草あさくさの檀家を七八軒、それからくるわを五六軒まはつて來ましたが、なか/\暑いことでござつた。
箕輪の心中 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)