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下谷広小路
ふりがな文庫
“下谷広小路”のいろいろな読み方と例文
読み方
割合
したやひろこうじ
66.7%
したやひろこうぢ
33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
したやひろこうじ
(逆引き)
下谷広小路
(
したやひろこうじ
)
から
金龍山
(
きんりゅうさん
)
の塔までを遠見にして、町の空には六か所からも火の手が揚がっている。右に左にと逃げ惑う群衆は、京橋
四方蔵
(
しほうぐら
)
から
竹河岸
(
たけがし
)
あたりに続いている。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
舟庵の
主
(
しゅ
)
黒田直静は上総国
久留利
(
くるり
)
の城主で、上屋敷は
下谷広小路
(
したやひろこうじ
)
にあった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
下谷広小路(したやひろこうじ)の例文をもっと
(2作品)
見る
したやひろこうぢ
(逆引き)
まづ一
陽
(
やう
)
来復
(
らいふく
)
して、明治三十一年一
月
(
ぐわつ
)
一
日
(
じつ
)
の事で、
下谷広小路
(
したやひろこうぢ
)
を
通
(
とほ
)
る人の
装束
(
なり
)
は、フロツクコートに黒の
山高帽子
(
やまたかばうし
)
を
戴
(
いただ
)
き、
玉柄
(
ぎよくえ
)
のステツキを
携
(
たづさ
)
へ、
仏蘭西製
(
ふらんすせい
)
の
靴
(
くつ
)
を
履
(
は
)
き
七福神詣
(新字旧仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
下谷広小路(したやひろこうぢ)の例文をもっと
(1作品)
見る
“下谷広小路”の解説
下谷広小路(したやひろこうじ)は、江戸時代、当時の寛永寺の門前に設けられた広小路。現在の台東区上野、おおむね上野広小路交差点の南側から上野公園前交差点(上野恩賜公園南端、西郷隆盛像付近)の中央通りに相当する。
両国広小路(両国橋西詰・現在の中央区東日本橋周辺)、浅草広小路(現在の雷門通り)とともに江戸三大広小路のひとつに挙げられる。
(出典:Wikipedia)
下
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
谷
常用漢字
小2
部首:⾕
7画
広
常用漢字
小2
部首:⼴
5画
小
常用漢字
小1
部首:⼩
3画
路
常用漢字
小3
部首:⾜
13画
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