また)” の例文
我を忘れてばらばらとあとへ遁帰にげかえったが、気が付けば例のがまだ居るであろう、たとい殺されるまでも二度とはあれをまたぐ気はせぬ。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
小者こものの事なので、頼朝は、そうかと、気にもかけない容子で、いつもの朝の如く、りんどうの鞍へまたがって、野へ駒を調らしに出た。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
両岸から鉄線はりがねったあぶなげな仮橋が川をまたげて居る。橋の口に立札がある。文言もんごんを読めば、曰く、五人以上同時にわたる可からず。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
一旦いったん、師匠の家へ行った以上、どういうことがあろうとも、年季の済まぬうちにこの家の敷居をまたいではならんといったではないか。
声を和らげ、微笑えみをつくつた其様子を見て、マアなんといふ深切な人だかとうれしく、早速敷居をまたました。主人はいよ/\笑顔になり
黄金機会 (新字旧仮名) / 若松賤子(著)
お前は、毒菓子から目印めじるしの赤い飾り種をけづり取り、懷ろ紙か何かに包んで持つて來る途中、小窓をまたぐとき敷居にこぼしたことだらう。
「そこいらから始まるんだな、苦みや甘みや辛みを、一つ一つあじわいながらな」と木内は云った、「あんたは敷居をまたいだのさ」
へちまの木 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
堺筋さかいすじ今橋の事務所から、一とまたぎの距離なので帽子もかぶらずに昇降機に走り込み、電車通りを横切って向う角の三越へけ付けた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
床屋とこや伝吉でんきちが、笠森かさもり境内けいだいいたその時分じぶん春信はるのぶ住居すまいで、菊之丞きくのじょう急病きゅうびょういたおせんは無我夢中むがむちゅうでおのがいえ敷居しきいまたいでいた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
所謂一人のまたに入りて万人の頭を越ゆるもので、平将門は摂政藤原忠平の家人となって、遂に東国に割拠する迄の素地を作った。
白斑ぶちの大きな木馬のくらの上に小さい主人が、両足をん張ってまたがると、白い房々したたてがみを動かして馬は前後に揺れるのだった。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
と、ありがたい事には力三は平気な顔で兄と居相撲すわりずまふか何か取つて、大きな声で笑つて居た。お末はほつと安心して敷居をまたいだ。
お末の死 (新字旧仮名) / 有島武郎(著)
どぶと云ふ溝からはいづれも濁つた雨水の流れもせずに溢れてゐるのみか、道の上にもまたぎ兼ねるやうな溜水たまりみづの、幾個所と知れぬ其の面に
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
「中の島」をまたいでいるポン・ド・パッシイの二階橋の階上を貨物列車が爽やかな息を吐きながらしず/\パッシイ街の方へ越えて行く。
巴里祭 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
カブア家はヤルートとアイリンラプラプとの両地方にまたがる古い豪家で、マーシャル古譚詩の中にはしばしば出て来る名前だそうである。
代助は、一つ店で別々の品物を買った後、平岡と連れ立って其所そこの敷居をまたぎながら互に顔を見合せて笑った事を記憶している。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
春婦たちは船をつないだ黒い縄をまたぎながら、樽の間へ消えてしまった。後には踏みつぶされたバナナの皮が、濡れた羽毛と一緒に残っていた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
小櫻姫こざくらひめ通信つうしん昭和しょうわねんはるから現在げんざいいたるまで足掛あしかけねんまたがりてあらわれ、その分量ぶんりょう相当そうとう沢山たくさんで、すでに数冊すうさつのノートをうずめてります。
しかし巻揚機ウインチの滑車の鈎について上つて来たのは弾薬箱ではなくて、二十一インチの素晴しく大きな魚雷で、その上に中原なかはらまたがつてゐた。
怪艦ウルフ号 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
「そんならわけはねえ。ここからひとまたぎだ。これからすぐ行って見よう。さあ、乗んねえ、乗んねえ、かついで行ってやる」
顎十郎捕物帳:18 永代経 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「しかし依然として酒も飲まず煙草も吸わず、カフェーの敷居もまたぎません。習い性となってしまって、立派な石部金吉いしべきんきちに育ち上りました」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
少し狼狽ろうばいして、庸三は出て見たが、「二度とおれの家のしきいまたぐな」ととがった声を浴びせかけて、ぴしゃりと障子を締め切った。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
床屋は言ひ付けられたやうにあくる日の午過ぎ、その姿で恐る/\公爵邸のしきゐまたぐと、昨日きのふ使者つかひが出て来て一に案内した。
えりには銀の輪を掛け、手には鋼鉄の叉棒さすぼうを握って一ぴき土竜もぐらに向って力任せに突き刺すと、土竜は身をひねって彼のまたぐらをくぐって逃げ出す。
故郷 (新字新仮名) / 魯迅(著)
それが——と思うと、やにわにテエブルの角をまたいで、しばらく適度に苦心惨憺さんたんしたのち、その十フラン札を挟んで悠々と持って行ってしまった。
しなやうやあきなひおぼえたといつてたのはまだなつころからである。はじめはきまりがわるくて他人たにんしきゐまたぐのを逡巡もぢ/\してた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
長い旅から帰った巡礼のようにして留守宅の敷居をまたいだ岸本は、漸くのことで自分の子供等の側に休息らしい休息を見つけるように成った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その証拠と云うのは、乾板のある場所で廻転した際と、枯芝かれしばまたぎ越した時と——その二つの場合に、利足ききあしがどっちの足か吟味してみるんだ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
崖下のくろい水も、何かわめきながら、高股になって、石をまたぎ、抜き足して駈けている。崖の端には、車百合の赤い花が、ひときわ明るく目立つ。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
但し『浮雲』は二葉亭の思想動揺の過程にまたがって作られてるから、第一編と第二編と第三編と、各々箇立していて一貫する脈絡を欠いている。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
引かせた副馬そえうままたがって少し歩ませてみては、いいかげんで馬上から飛び下りて、一行と共に談笑しながら徒歩立かちだちになるという行進ぶりです。
伊兵衞「御一緒に参りましょう、生垣いけがきが低うございますから、またいで逃出しでもなさるとわたくしがしくじりますから……若旦那何処へいらっしゃる」
これは両方ともそうはっきり水と油と違うように違うわけのものではありませぬので、これに対して両方にまたいでいる。
伸子は、淋しい暗い裏通りを、一またぎで自分の家へ戻ってきた。襖をあけると直ぐ、老人が真面目に不安そうに訊ねた。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
鹿角かづの打ったるかぶとを冠り紺糸縅こんいとおどしよろいを着、十文字のやりっさげて、鹿毛なるこまに打ちまたがり悠々と歩ませるその人こそ甚五衛門殿でございました」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「ふん、あつかましいお前さんの云ひさうなことだ。さうだらうと思つてゐた。お前さんがしきゐまたいだときに、それは、もう跫音あしおとで分つたからね。」
天明三年、信州と上州とにまたがる浅間山が爆発して熔岩を押しだし、それが利根川の下流まで流れ溢れ、私の村の近くは火石の原と化したのである。
たぬき汁 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
かぼちゃのつるまたぎ越え、すえ葉も枯れて生垣いけがきに汚くへばりついている朝顔の実一つ一つ取り集めているばばの、この種を植えてまた来年のたのしみ
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
広巳は肆の者には眼もやらないで、肆の左側の通りぬけになった土室どまを通って往った。そこに腰高障子が入っていて、その敷居をまたぐと庖厨かってであった。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
或日五百は使をって貞白を招いた。貞白はおそるおそる日野屋のしきいまたいだ。兄の非行をたすけているので、妹にめられはせぬかとおそれたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
宮内はまだ、そこに死んでいるのではなかった、大刀をつえに、棟をまたいで突っ起ったが、乱髪を一とふり振った。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
そうして平生いつものように私の頭を撫でようとなされずに、ドスンドスンと私の琴をまたぎ越して、お床の間に置いてある鹿の角の刀掛かたなかけの処にお出でになって
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
これがすなはち取りも直さず、中世紀末の大冒険家、地獄煉獄天国の三界をまたにかけたダンテ・アリギエリでさへ
雲は天才である (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
その枝にまたがって、魚心堂先生に昼夜の別はない、夜中だというのに、いま悠々ゆうゆうと糸を垂れていらっしゃる。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
水のたまってる面積は五、六町内にまたがってるほど広いのに、排水の落口というのは僅かに三か所、それが又、皆落口が小さくて、溝は七まがりと迂曲うきょくしている。
水害雑録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
かう気のついた彼は、すぐに便々べんべんとまだ湯に浸つてゐる自分の愚を責めた。さうして、癇高かんだかい小銀杏の声を聞き流しながら、柘榴口を外へ勢ひよくまたいで出た。
戯作三昧 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
約束の広小路で車は下りたが、料理屋待合船宿皆貞之進には馴染なじみのないものばかりで、どこの敷居をまたごうかということが、車の上からの問題でまだ決しない。
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
まず大きな牡猴がいかめしく緩歩し老若の大群随い行くに、児猴は母の背にまたがり、あるいは後肢を伸ばしてうつむき臥し、前手で母の背毛を握って負われ居る。
一しきり咳入ったのちは、ぐったりと死骸の様によこたわっている一寸法師の上を、肉襦袢のお花が、踊り廻った。肉つきのいい彼女の足が、屡々しばしば彼の頭の上をまたいだ。
踊る一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
お照の甘ったるい声に送られて、僕は窓をまたいで小暗い地下道に下り立った。しかし、そのときはこれがお照との永のお別れになろうなどとは気がつかなかった。
深夜の市長 (新字新仮名) / 海野十三(著)