まこと)” の例文
旧字:
細君の我儘が外まで知れ渡るのはまことに辛い。家の中丈けならいくらでも我慢するが、と女婿は斯ういうことには本能的に神経過敏だ。
女婿 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
それほど衰弱のはげしい時にですら、わざわざとこんな道経どうきょうめいた文句を写す余裕が心にあったのは、今から考えてもまことに愉快である。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この間、区長さんがその事を問うてみたら、マユミさんが泣いて合点合点がてんがてんしていた……などとまことしやかに云い触らす者さえ出て来た。
巡査辞職 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
夫人 いや、容色きりょうはこちらからは見せたくない。力で、人を強いるのは、播磨守なんぞの事、まことの恋は、心と心、……(軽く)薄や。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
種々な小禽ことりの声が、ひのきの密林にきぬいていた。二人の頭脳は冷たく澄み、明智あけちしょうを落ちて来てから初めてまことわれにかえっていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文蔵は仮親かりおやになるからは、まことの親と余り違わぬ情誼じょうぎがありたいといって、渋江氏へ往く三カ月ばかり前に、五百を我家わがいえに引き取った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
月曜日には妻は午前宅に居り、午後フリツチイを連れて買物の為め町へ出で候。フリツチイは妻の妹にてまことの名はフリイデリイケに候。
驚いた、まことに驚いた。この声は我が中学の体操教師、須山すやまといふ予備曹長で、校外監督を兼ねた校中第一の意地悪男の声であつた。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
彼奴あいつまことの目標は、ひょっとすると、此の僕にあったのではないかと考える。僕は……僕は今や真実を書き残して、愛する君に伝える。
俘囚 (新字新仮名) / 海野十三(著)
今まで余の集め得たる証拠はすべれのほかまことの罪人あることを示せるに彼れ自ら白状したりとは何事ぞ、かゝる事の有り得べきや
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
チョコレート色のアトリエの煙を見ていると、白秋のこんな詩をふっと口ずさみたくなってくる、まことに頼みがいなき人の世かな。
放浪記(初出) (新字新仮名) / 林芙美子(著)
まことを云えば御前の所行しょぎょういわくあってと察したは年の功、チョンまげつけて居てもすいじゃ、まことはおれもお前のお辰にほれたもく惚た
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
シューベルトこそはまことに人間の母の生んだもののうち、最もよき魂であり、百世変ることなき、人類の友であると言えるだろう。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
「われわれが教育読本のために求めるのは、背後になんら正しからぬものをかくしておらぬ率直な物語のもつまことのうちにる清浄無垢である」
『グリム童話集』序 (新字新仮名) / 金田鬼一(著)
人を見る目も出来れば人の価値も信実もわかってくる。阿諛あゆと権謀の周囲で、離れてはじめてたっとさのわかるのはまことだけだ。
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
源叔父が紀州をその家に引取りたりということ知れわたり、伝えききし人初めはまこととせず次に呆れはては笑わぬものなかりき。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
是がまことに怪我の功名と申すものかと存じます。文政ぶんせいの頃江戸の東両国大徳院だいとくいん前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ようやく陰影あじが深まりまことの名人の境地に達してきた圓朝は、やや額が抜け上がり、四十四歳の男ざかり、別人のように落ち着きができてきていた。
円朝花火 (新字新仮名) / 正岡容(著)
我が事となつては、さう悠長な量見も出ず。覚えなき身を疑ひたまふ奥様は、まことに真にお怨めしけれど。旦那様は、お気の毒とも、勿体なしとも。
したゆく水 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
赤樫蛤刃あかがしはまぐりはの木刀は、そのまままことの剣であり、名人の打った一打ちが、急所へ入らば致命傷、命を落とすか不具ふぐになるか、二者一つにまっていた。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ある晩和田垣博士と僕とで取替へ取替へ片端かたつぱしから一ぴんも余さず壊して見たが、僕の様な癇癪持かんしやくもちにはまことに便利なそして安価で胸の透く遊戯あそびだと思つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
なかにはあんまりえらい大股おおまたであるくのを、やはり大昔から人が想像している通り、一本足で飛びまわるのがまことらしいと考えていた人さえあった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
東京の深川に生れて、十六の年から神奈川、豊橋、岐阜と東海道を股にかけたウエンチ生活の女が、二十三というこの年の夏に初めてまことの恋を知った。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
今日はまた、またたくに通り過ぎる。過去こそまことだ——それがおまえ、篤胤あつたね先生のおれに教えてくだすったことさ。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
昔山宅にて父様母様の昼夜御苦労なされた事を話して聞かせてもまこととは思わぬほどなれば、この先五十年七十年の事をとくと手を組んで案じて見やれ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
示教を仰ぐの、乞ふのといふ奴に限りて、いでその識者といふものゝまことに出現すとも、一向言ふ事をきかぬは受合うけあひ也。
青眼白頭 (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
しかるにこの村ばかりは未だ活々したものを描く。模様への本能が急に下がってしまった今日、こんな画工の残っているのは、まことにもっけのさいわいである。
陸中雑記 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
十二日には狐のほこらを建てんと協議を凝らし、前祝いとして爆竹一万発を大連より買いきたり、狐明神社きつねみょうじんじゃの地鎮をなしたりとは、うそのようでまことの話なり。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
なるほど、蛸もあの素晴らしき足の八本を裸のままで見せている事はまことに危険だと私は思った。全く、いつ何時なんどき如何いかなる災難がふりかかるか知れない。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
生命は彼より来るものなれば我はまことに生命の泉に至て飲まん、医学の進歩と同時に人類が医学を専信するに至り
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
おんな母親ははおやかえったあとで、正雄まさおは、おかあさんから、よわいものをみんなしていじめることは卑怯ひきょうなことだといわれて、正雄まさおは、まことわるかったとかんじました。
青いボタン (新字新仮名) / 小川未明(著)
なかなかうまく行かない。繰り返し繰り返し、旨く行くまで彫らされる。彫るものの身になると、まことつらい。肥えさせればぼてるし、せさせれば貧弱になる。
まことれ一の夢幻界なり。湾に沿へる拿破里ナポリまちは次第に暮色微茫びばうの中に没せり。ひとみを放ちて遠く望めば、雪をいただけるアルピイの山脈こほりもて削り成せるが如し
ヴエスヴイオ山 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
誰か能くまことに是非曲直の鉄鎖を断離し得たるものぞ。唯だ夫れ人間に賢愚あり、善悪あり、聖汚あるは、その暗黒と照明との時間の「長さ」を指すべきのみ。
心機妙変を論ず (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
私はまことに申訳ない事ですがつい好きだものですから、××楼で大分酒を呑みました。それが悪かったのです。
死者の権利 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
菊枝 何とたはけた事をいふ人ぢや。妾はさきから、まことか、真かと聞いておぢやつたのに。おとましいことぢや。
南蛮寺門前 (新字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
「よく教えて下された、うそまことか、そのような疑いを申していられることではない、お礼を申し上げまする」
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
二年の間、恋人のことを忘れはてたやうに見せながらも、まことは心の底深く思ひ続けてゐたのであらう。恋人の消息を、よそながら、貪り求めてゐたのであらう。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
「は……まことに、御健勝にわたられ、……なんとも祝着に存じ……夏気がひどくありまして、……なんとも」
蕗問答 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
お前達が自分でまことの泉のほとりまことの花を摘んでいながら、己の体を取り巻いて、己の血を吸ったに違いない。
もしまことの叔父が、大雪渓の下に眠っているのなら——あゝ、野村君、僕はあの呪われた速記を読んだ時以来、夜となく昼となく、この妄念につきまとわれたのだ。
彼はそのいつはりまこととを思ふにいとまあらずして、遣る方も無き憂身うきみの憂きを、こひねがはくば跡も留めず語りてつくさんと、弱りし心は雨の柳の、漸く風に揺れたるいさみして
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
この両人はさながらまことの兄弟の如く睦みあひ、⦅やよイワン、何事に依らず、すべて二人で分ち合はん。
その間柄とうものはまことに骨肉の兄弟にもおとらず、父の死後私の代になって、栗園りつえん先生は福澤の家を第二の実家のような塩梅あんばいにして、死ぬまで交際して居ました。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
長女の春代や四男のまことには、別に意見はなかつた。春代は一人で残つてうちを守らうとさへ思つてゐた。
青い風 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
そのため年齢としも二十二、三には見られるので、まことの年はそれより二ツ三ツは取っているかも知れない。
吾妻橋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
彼らの一人大石誠之助君がいったというごとく、今度のことは嘘から出たまことで、はずみにのせられ、足もとを見るいとまもなく陥穽おとしあなに落ちたのか、どうか、僕は知らぬ。
謀叛論(草稿) (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
昨日までは、雲の上に雨を降らす神竜として、当るべからざる平家の勢も、今は衰微の一途をたどるばかりであった。まことに福と禍は常に表裏一体というものである。
自分の信念がまことのものであるとわかっていながら、それを擁護することができないのもわかっていた。
ものして自然に美辞びじのりかなうと士班釵すぺんさあおきなはいいけりまことなるかな此の言葉や此のごろ詼談師かいだんし三遊亭のおじ口演くえんせる牡丹灯籠ぼたんどうろうとなん呼做よびなしたる仮作譚つくりものがたりを速記というほう
怪談牡丹灯籠:01 序 (新字新仮名) / 坪内逍遥(著)