くぼ)” の例文
道也先生は親指のくぼんで、前緒まえおのゆるんだ下駄を立派な沓脱くつぬぎへ残して、ひょろ長い糸瓜へちまのようなからだを下女の後ろから運んで行く。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今に、その傷が禿げてくぼんでいるが、月代さかやきる時は、いつにても剃刀がひっかかって血が出る、そのたび、長吉のことを思い出す。
即ち、そこに立ちどまって右手を望めば、北は高く、南はややなだらかに、二つの尾根の出会うくぼみが発見出来ることになっていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
(い)こしより足首迄の間に一行より五六行位の横線わうせんゑがきたるもの。是等の中にはたんくぼましたるも有り亦朱にていろどりたるも有り。
コロボックル風俗考 (旧字旧仮名) / 坪井正五郎(著)
僕ハ彼女ヲ俯向キニサセ、しりノ孔マデ覗イテ見タガ、臀肉ガ左右ニ盛リ上ッテイル中間ノくぼミノトコロノ白サトイッタラナカッタ。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
白髪はくはつの支那服の、また牧畜家の、茶目の和製タゴオル老人が、西日の窓に向った私のぼんのくぼに、うまく例の揶揄と笑いとを射撃した。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
げに寒き夜かな、いう歯の根も合わぬがごとし。炎は赤くその顔を照らしぬ。しわの深さよ。まなこいたくくぼみ、その光は濁りてにぶし。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
小野柄橋に出る迄の角の煙草や蜜柑を売つて居る店屋の前に、血がくぼい所に一杯溜つて居た。そしてそのあたり一面が血だらけであつた。
『著作堂一夕話』に出た富士の残雪、宝永山辺くぼかな処に人形を成す年は豊年で、見えぬ年は凶作、これを農男と名づくとあるに似居る。
そして其舟の様な剛質の各殻片は其くぼい内面を下にして枝端の果穂に附着してゐる、故に仮令雨が降つても其殻片へは水の溜る憂ひはない
風に飜へる梧桐の実 (新字旧仮名) / 牧野富太郎(著)
蓼が一面に生えて居たくぼ地だつたので蓼の海であつて、その凹地を用水池にしたので小湖が出来たので、今も昔の名が残つて居るのである。
釣十二ヶ月 (新字旧仮名) / 正木不如丘(著)
その瞬間に私とソックリの顔が、頭髪かみのけと鬚を蓬々ぼうぼうとさしてくぼんだをギラギラと輝やかしながら眼の前のやみの中に浮き出した。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
が、ぼくには、さうした部分的な、しかも遽かに信じられないほど遠い時代の柱の痕をのこした石のくぼみに注意するよりも、その庭、全景の
にはかへんろ記 (新字旧仮名) / 久保田万太郎(著)
それを我慢しながら、グッと押して見ると、美女の肩が、えくぼのようにくぼんで行った。柔かいのだ。ゴムのように柔かいのだ。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
朝の光が涼しい風と共に流れ込んで、髪乱れ、眼くぼみ、皮膚はだつやなくたるんだ智恵子の顔が、モウ一週間も其余も病んでゐたものの様に見えた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
見る陰もなくせ衰えて、眼が落ちくぼんで……が、その大きな眼がほほえむと、面長おもなが眼尻めじりに優しそうなしわたたえて、まゆだけは濃く張っている。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
近ごろりひらかれた丘のいただきからは、池を越えて南の方に、その辺の岸をなしている丘の広いくぼみを通して気持のよい見はらしがあった。
或る者はすきを持つてみぞを掘り、或る者はそこから掘上げられた土を運んで、地続きになつてゐるくぼみの水溜みづたまりを埋めてゐ
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
私の傍にベツドがあつて、その此方こつちには、腰をかけると好い心持にくぼむクツシヨンの大きい低い椅子が置かれてあつた。
北京の一夜 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
「よくお屋敷方の内神様で、塀の一箇所にくぼみをこしらえ、外から自由におまいりの出来るようにしたのを見掛けますが——」
先生のたけは日本人並であつたが、髮の毛が赤く縮れた上に、眼が深くくぼんでゐて、如何いかにも神經質らしい人に見えた。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
頭がくぼんだ。と又僕は何も帽子に怒つたつて仕方がない、と思つたので、凹んだところを底からゲンコツでつき上げた。と、もとの通りになほつた。
〔編輯余話〕 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
恐ろしく色の黒い傴僂で、眼が深くくぼみ、獣のように突出た口をしている。全体が、真黒な牛に良く似た感じである。
牛人 (新字新仮名) / 中島敦(著)
子供達は食物不良のために病弱となる。薔薇色の健康色は失われて、窮乏の証たる青い頬とくぼんだ眼とがこれに代る。
小妻はまだ昼からの寝巻姿でひどく蒼ざめて、くぼんだ眼縁に暗い蔭を見せながら、腰をかがめるようにして出て来た。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
上の方が小さく、下の方が大きければ、しもぶくれの形になる。くぼんでいる部分は、彎曲率をにとればよいのでその凹み方も、負の値の大小できまる。
けれどもその間に、牡牛は後足あとあしで土をしきりに掘って、自分の足場がうまくすわるように、土地にくぼみをこしらえました。
(新字新仮名) / 久米正雄(著)
金糸のような毳毛うぶげが生えてい、両の隆起の真ン中には、柔らかなかげを持った溝が、悪魔の巣のように走りくぼんでいるのが、これ見よがしに眺められた。
塀の裾で、溝のくぼみに浸りながら軽機関銃にしがみついていた男は、口の中で呟きながら、ジリジリジリと下った。
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
眼のくぼい、鮫の歯の様な短い胡麻塩ごましおひげの七右衛門爺さんが、年増としまの婦人と共に甲斐〻〻しく立って給仕きゅうじをする。一椀をやっと食い終えて、すべり出る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
峠のくぼみから、薙刀なぎなたなりに走っている白いひらめきは、駒ヶ岳の雪のヒダであり、仄紅ほのあかい木々の芽をかして彼方に見える白いまだらのものは、御岳おんたけの肌だった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
負惜まけをしみをつたものゝ、家来けらいどもとかほ見合みあはせて、したいたも道理だうりあぶみ真中まんなかのシツペイのためにくぼんでた——とふのが講釈かうしやくぶんである。
怪力 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
彼女は痩せ面で、いかにも片意地らしい額の、顳顬こめかみのあたりはもう小皺だらけのくせに、くぼんだ眼の底には、或る不思議な情熱が燃えているようであった。
老嬢と猫 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
というのは、その畳の下の板にできているくぼみの中に、きらきら光る蛇のように、ダイヤモンドの首飾りがとぐろを巻いて横たわっていたからであります。
紫外線 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
松浦川を渉りしをりのかたみとて、その川の畔に、姫が踏みしめし足かたの今もなほ石にくぼめるがありといふ。
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
ただ、今日ではその平地の面と同じ高さになっているが、当時はくぼい道であった。記念の塚を築くためにその両方の斜面は切り取られてしまったのである。
一人の女に信頼し、やさしい手のひらの上に、その両ひざの間の長衣のくぼみに、自分の額を休めたいとの欲求を、だれよりもいっそう持ってるものである……。
少し振り仰いで顔を映すとほおのこけたのがさほどに目立たないけれども、あごを引いて下俯したうつむきになると、口と耳との間には縦に大きなみぞのようなくぼみができて
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そしてすぐその先に鉢形のくぼみがあって、その底に不幸な調馬師の死体が発見された。何か重い兇器でやられたらしく、頭蓋骨は粉砕され、腿にも傷があった。
讀者どくしやもし世界地圖せかいちずひらかれたなら、アフリカの西沿岸にしえんがんおほきなくぼみが、大西洋たいせいようへだてた對岸たいがんみなみアメリカ
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
安は埋めた古井戸の上をば奇麗に地ならしをしたが、五月雨さみだれ、夕立、二百十と、大雨たいうの降る時々地面が一尺二尺もくぼむので、其のは縄を引いて人のちかづかぬよう。
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
壁がまっすぐではなく、くぼんでまがっていた。まん中に、横に長い机がおいてあり、腰掛もある。東助は、その腰掛にお尻をのせ、机に向ってほほづえをついている。
ふしぎ国探検 (新字新仮名) / 海野十三(著)
村の男は手ごろの河原石を持って岩のくぼみの上で、いだ生樹なまきの皮をびしゃびしゃとつぶしていた。
岩魚の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ゴルフで鍛えたロス氏が、一睡もしないために眼はくぼみ頬はこけて、まるで別人のようになった。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
勘次かんじむぎあひだ大豆だいづいた。畦間うねまあさほりのやうなくぼみをこしらへてそこへぽろ/\とたねおとしてく。勘次かんじはぐい/\と畦間うねまつてく。あとからおつぎがたねおとした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
たかるだけでしもせず喰ひつきもしないやつはいゝけれど、尺とりだけには用心せねばならない、足のかゝとからぼんくぼまで計られると三日の中になねばならないからなと
筑波ねのほとり (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
同じしたくのお捕り役が二、三人ずつ、もうぐるりと手がまわったらしく、屋敷をめぐって樹のかげ、地物のくぼみにぴったりと伏さっている——その数およそ二、三十人。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
困難のじつに水量と反比例をなしきたすすむこと一里にして両岸の岩壁屏風びやうぶごとく、河はげきして瀑布ばくふとなり、其下そのしたくぼみて深淵しんえんをなす、衆佇立相盻あひかへりみて愕然がくぜん一歩もすすむを得ず
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
伸ばした脚にゲエトルがゆるみ、処々にぶざまなくぼみを見せていた。生きているうちから蝿はたかるのか。宇治は口の中ににがくつばがたまるのを意識しながら眼をそむけた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
とある家の戸口には、貸車の御者立ちて、あき箱あき籠あまた車の上に載せ、その上をば毛布もて覆ひ、背後に結び附けたる革行李のくぼくなるまで鐵の鎖を引き締め居たり。