藁草履わらぞうり)” の例文
女の方は二十前後の若い妻らしい人だが、垢染あかじみた手拭てぬぐいかぶり、襦袢肌抜じゅばんはだぬ尻端折しりはしょりという風で、前垂を下げて、藁草履わらぞうり穿いていた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
下人はそこで、腰にさげた聖柄ひじりづか太刀たち鞘走さやばしらないように気をつけながら、藁草履わらぞうりをはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
羅生門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
やがてその姿は、出た所から遠くない墨屋敷の堤囲どてがこいへ入り、甲賀家の古い黒塀に沿って、ピタ、ピタと藁草履わらぞうりの音をすりながら
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし今の彼のさびしい腰のまわりには楊条もなかった。ちいがたなも見えなかった。彼は素足に薄いきたない藁草履わらぞうりをはいていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
勇美子には再従兄またいとこに当る、紳士島野氏の道伴みちづれで、護謨靴と歩を揃えながら、何たる事! 藁草履わらぞうりの擦切れたので、ほこりをはたはた。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
外の月あかりで、おのぶの上に馬乗りになっている、こび権を見ると彼は藁草履わらぞうりをはいたまま縁側にとびあがり、必死になっておどりかかった。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
これがあの、いつかの晩、鼠の尻っぽみたいな下げ髪で藁草履わらぞうりをつっかけて迷いこんできたしらみくさい女の子かね。
女の一生 (新字新仮名) / 森本薫(著)
幸助と名のる男は、せた貧相な躯に、古いめくら縞のあわせ、よれよれの三尺に、鼻緒のゆるんだ藁草履わらぞうりをはいていた。
枡落し (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
下駄を片足、藁草履わらぞうりを片足、よく跛いてあるく。かつ穿きふるしの茶の運動靴うんどうぐつをやったら、早速穿いて往ったが、十日たゝぬ内に最早もう跣足はだしで来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
兄はその下に並べてある藁草履わらぞうりを突掛けて十段ばかり一人でのぼって行ったが、あとから続かない自分に気がついて、「おい来ないか」とけわしく呼んだ。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
小僧はだぶだぶの白足袋に藁草履わらぞうりをはいて、膝きりのぼろぼろな筒袖を着て、浅黄あさぎの風呂敷包を肩にかけていた。
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
雨風の強い日などは、茣蓙を通した雨でびしょれになって学校へ著いた。そしてずらりと並んだ下駄箱げたばこに下駄を納め、藁草履わらぞうりにはきかえて、たまりに集った。
簪を挿した蛇 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
そうしてただ一人、杖をつき藁草履わらぞうりをはいて、コカワラヒワの巣の下を出たり入ったりしているのである。裾野の林は広く、住心地のよさそうな緑の樹は多い。
道路にむかって開けはなしの門までのあいだを、つま先に踵をつけて小きざみに足をかわした。今朝おろし立ての鼻緒に赤い紙をないこんである藁草履わらぞうりがうれしかった。
大根の葉 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
彼は快く岳父の棺側をまもる役の一人を引受け、菅笠すげがさかぶ藁草履わらぞうり穿いて黙々と附いて歩いた。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そんな軽口かるくちをきかれて、御自身ごじしんはいつもとどう一の白衣びゃくいしろ頭巾ずきんをかぶり、そしてながながい一ぽんつえち、素足すあし白鼻緒しろはなお藁草履わらぞうり穿いてわたくしきにたれたのでした。
今宵の話手はなしてに選ばれた桃川燕之助ももかわえんのすけは、五分刈頭にホームスパンのダブダブの洋服、ボヘミアン襟飾ネクタイに、穴のあいた紺足袋こんたび藁草履わらぞうりという世にも不思議な風采を壇上に運んで
すそをからげ、藁草履わらぞうりを足に結えて、男の足におくれまいと唇をくわえて急ぎながら。そうして眼をあげてはじめて周囲を見まわして、とうとう来た——と、あごふかくうなずいていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
藁草履わらぞうりを引っかけて土間に降り立ち、かまどの火もとを充分に見届け、漁具の整頓せいとんを一わたり注意し、入り口の戸に錠前をおろし、雪の吹きこまぬよう窓のすきまをしっかりと閉じ
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
筒袖の単衣ひとえ着て藁草履わらぞうり穿きたる農民のおんなとおぼしきが、鎌を手にせしまま那処いずくよりか知らず我らが前に現れ出でければ、そぞろに梁山泊りょうざんぱくの朱貴が酒亭も思い合わされて打笑まれぬ。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
藁草履わらぞうり穿いてじんじん端折ばしょりをして庭へ下りましたが、和尚様のじんじん端折は、丸帯まるぐけの間へすそを上からはさんで、後鉢巻うしろはちまきをして、本堂の裏の物置から薪割まきわりの長いのを持って来て
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
手織縞ておりじま著物きものはよいとして、小さな藁草履わらぞうりは出入の人が作ってくれたので、しっかり編んで丈夫だからと、お国から持って来たのでした。鼻緒はお祖母様が赤いきれけて下さるのです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
きゝなされませ書生しよせい千葉ちば初戀はつこひあはれ、くにもとにりましたときそと見初みそめたが御座ござりましたさうな、田舍物いなかものことなればかまこしへさして藁草履わらぞうりで、手拭てぬぐひに草束くさたばねをつゝんでと思召おぼしめしませうが
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
二人は馬にも乗らず藁草履わらぞうりをはき、弓杖をついて、その夜城内へ忍び入った。生田の森の逆茂木さかもぎを乗り越えて城の中へ乗りこめば、星空の夜に城郭はおぼろにかすみ、お互の鎧の色さえも見えぬ。
彼は、藁草履わらぞうりを脱いで、常居にあがった。
親友交歓 (新字新仮名) / 太宰治(著)
元朝がんちょうにはくべき物や藁草履わらぞうり 風国
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
反射的に、すぐ典膳が、身がまえを引緊めると、何事ぞ、一刀斎は横を向いて縁の方へ立出て、もう藁草履わらぞうりへ足をのせていた。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
袖なしの羽織を、ほかりと着込んで、腰に毛巾着けぎんちゃくのぞかせた……片手に網のついたびくを下げ、じんじん端折ばしょりの古足袋に、藁草履わらぞうり穿いている。
小春の狐 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それに下男の佐吉が手造りにした藁草履わらぞうりをはき、病後はとかく半身の回復もおそかったところからつえを手放せなかった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
叔父は表をうしろにして寝ていたので、その挙動を確かに見届けることは出来なかったが、彼は藁草履わらぞうりの音を忍ばせて、表へぬけ出して行くように思われた。
くろん坊 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
石川島へ送られたのは、栄二とも五人で、みな常着つねぎ藁草履わらぞうりをはかされ、栄二ともう一人の若者とが腰繩でつながれた。二人だけは暴れだすとみられたらしい。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
猪熊いのくまのばばは、口達者に答えながら、つえをひいて、歩きだした。綾小路あやのこうじを東へ、さるのような帷子姿かたびらすがたが、藁草履わらぞうりしりにほこりをあげて、日ざしにも恐れず、歩いてゆく。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
同じく小さい編笠あみがさ藁草履わらぞうりを棺に入れた。昨日きのうの夕方まで穿いていた赤い毛糸の足袋たびも入れた。そのひもの先につけた丸いたまのぶらぶら動く姿がすぐ千代子の眼に浮んだ。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
じいさんはいつものとおりの白衣姿びゃくいすがた藁草履わらぞうりながつえいて先頭せんとうたれたのでした。
それに引変えやぶれ褞袍おんぼう着て藁草履わらぞうりはき腰に利鎌とがまさしたるを農夫は拝み、阿波縮あわちぢみ浴衣ゆかた綿八反めんはったんの帯、洋銀のかんざしぐらいの御姿を見しは小商人こあきんどにて、風寒き北海道にては、にしんうろこ怪しく光るどんざ布子ぬのこ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
白薩摩の汚れた単衣ひとえ、紺染の兵子帯へこおび、いが栗天窓ぐりあたま団栗目どんぐりめ、ころころと肥えて丈の低きが、藁草履わらぞうり穿うがちたる、あにそれ多磨太にあらざらんや。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
例の体より大きな木剣を横たえて、足よりも大きな藁草履わらぞうりいて、乾いた土のうえをボクボクとほこりを立てて歩きながら
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御恩も、なさけも、思う暇が有ません。もうその時の私は、藁草履わらぞうり穿いて、土だらけな黒い足して、谷間たにあい馳歩かけあるいた柏木の昔に帰って了いました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
母のお時といっしょに廓の仁和賀にわかを見物に行ったとき、海嘯つなみのように寄せて来る人波の渦に巻き込まれて、母にははぐれ、人には踏まれ、藁草履わらぞうりを片足なくして
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
腰巻がしだいに尽きて、下から茶色のはぎが出る。脛が出切できったら、藁草履わらぞうりになって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海をしょっている。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あかじみた檜皮色ひわだいろ帷子かたびらに、黄ばんだ髪の毛をたらして、しりの切れた藁草履わらぞうりをひきずりながら、長い蛙股かえるまたつえをついた、目の丸い、口の大きな、どこかひきの顔を思わせる、卑しげな女である。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
娘の髪かたちやみなりは武家ふうであるが、見ると着物は泥だらけで、ところどころかぎ裂きができているし、髪の毛も乱れ、顔や手足にもかわいた泥が付いてい、履物は藁草履わらぞうりであった。
その木戸を通って (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「すみませんでした……」と真っ白に塗ったえりをのばして、油よごれの水がちっとばかりはねた侍の藁草履わらぞうりを眼にした。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おまんらが集まって吉左衛門のために縫った経帷子きょうかたびら珠数じゅず頭陀袋ずだぶくろ編笠あみがさ藁草履わらぞうり、それにおくめが入れてやりたいと言ってそこへ持って来た吉左衛門常用のつえ
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
はッと心付くと、あさ法衣ころもそでをかさねて、出家しゅっけが一人、裾短すそみじか藁草履わらぞうり穿きしめて間近まぢかに来ていた。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼は藁草履わらぞうりの足音をぬすみながら、小走りに女のあとを追ってゆくと、女はそんなことには気が付かないらしく、これも夜露を踏む草履の音を忍ばせるように、俯向き勝ちに辿って行った。
やはり継ぎだらけの、すねの出るほど短い着物に、色のせた赤い三尺帯をしめ、藁草履わらぞうりをはいていた。髪は少しあかいが、色の白いおもながな顔は、眼鼻だちがはっきりしていて、品はいい。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
金三はるそうに母の方を見てから、そっと良平のすそを引いた。二本芽の赤芽のちんぼ芽の百合を見る、——このくらい大きい誘惑はなかった。良平は返事もしない内に、母の藁草履わらぞうりへ足をかけた。
百合 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
権之助も、何か、あいさつをいって、藤六と同様に、ひざまずこうとすると、僧正はもう大きな足を、階段の下にありあわせた汚い藁草履わらぞうりへのせて
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寝衣ねまきに重ねる浴衣のような洗濯ものを一包、弁当をぶら下げて、素足に藁草履わらぞうり、ここらは、山家で——悄々しおしおと天幕を出た姿に、もう山の影が薄暗く隈を取って映りました。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)