はた)” の例文
或る晩などは逃後にげおくれた輝方氏が女中につかまつて、恋女房の蕉園女史にしか触らせた事のない口のはたを思ひ切りつねられたものださうだ。
彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂きゅうはんを登りつめた揚句あげく、このほりはたまで来て一も二もなくこの深いみぞの中に飛び込んだのである。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして北の方はたゞうなずくか、たまに一と言か二た言、老人の耳のはたへ口を寄せて、唇が耳朶みみたぶへ触れるくらいにして云うのであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
若松屋惣七方のうら手、小石川上水堀のはたにある金剛寺は、慧日山けいにちざんと号し、曹洞派そうとうはの名だたる禅林だ。境内けいだいに、源実朝みなもとのさねともの墓碑があった。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
お銀様は石燈籠の蔭から追いつめられたのが池のはたです。池のみぎわを伝って逃げると巌石がある。後ろへすされば一歩にして水です。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
東京下谷したやいけはたの下宿で、岸本が友達と一緒にこの詩を愛誦あいしょうしたのは二十年の昔だ。市川、菅、福富、足立、友達は皆若かった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
対馬つしまでは子供が両手の小指を以て目のはたを張り、こわい顔をすることをタンゴウスルといい、又はガンゴメともいうそうである。
おばけの声 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
寺の門前でしばらく何かを言い争っていた五六人の中から、二人の男がけ出して、井のはたに来て、石の井筒に手をかけて中をのぞいた。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
小さい私は池のはたたたずんで、独りっきりでこの花を見ていたものだ、或るときは泣きながら、或るときは途方にくれながら、——この花を
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
と、口のはたまで言葉が出ながら、それは声とはならなかった。ただ口がぴくぴくと顫えて歪むと、なぜか泪がはらはらと落ちた。
夢鬼 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
自分でそれと心づいたのは去年の春上野いけはたのカッフェーに始めて女給になってから、しばらくしてのち銀座へ移ったころである。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
錦袋円きんたいえんの娘、池のはた(いまの台東区池之端一丁目一番、同上野二丁目一一・一二番)に錦袋円という有名な薬屋がありました。
江戸の化物 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
浅草へ出るとさすがに晴々はればれしていけはたの石道をぽくぽく歩いてみた。関東だきと云うのか、章魚たこの足のおでんを売る店が軒並みに出ている。
貸家探し (新字新仮名) / 林芙美子(著)
買物はいけはたへ出て、仲町なかちょうへ廻ってするのです。その仲町へ曲る辺に大きな玉子屋があって、そこの品がよいというので、いつも買います。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
釣道つりどうの記念に、一見せざるべからずとなし、昼飯後直ちに、入谷いりや光月町を通り、十二階下より、公園第六区の池のはたに、漫歩遊観まんぽゆうかんを試みたり。
東京市騒擾中の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
さあこれをお飲みなさい。と病人の口のはたに持行けば、おもてを背けて飲まんとせず。手をもて力無げに振払い、「うぬ、毒薬だな。とまなこみはりぬ。 ...
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それから手早に雀を拵え、小皿に盛るほどもない小鳥を煮て、すべての夕食ゆうげ調ととのえた。病母も火のはたへ連れ出して四人が心持よく食事をした。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
はてれでも此姿このすがたなにとして見覺みおぼえがあるものかと自問自答じもんじたふをりしも樓婢ろうひのかなきりごゑに、いけはたから車夫くるまやさんはおまへさんですか。
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
葉子はわざと宿で車を頼んでもらわずに、煉瓦れんが通りに出てからきれいそうな辻待つじまちをやとってそれに乗った。そしていけはたのほうに車を急がせた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
十五年の夏には下谷したやいけはたの青海小学校へ移り、その翌年に退校した。その後は他で勉学したとは公にはされていない。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
私が十六の時、おきはたに大火があつた。さうしてなつかしい多くの酒倉も、あらゆる桶に新らしい金いろの日本酒を滿たしたまま眞蒼に炎上した。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
まず足馴らしに校庭を一周して、弥生町からいけはたへ出た。不忍池を一めぐりして、学校へ帰ってくるというのである。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
いけはたの青海、仲御徒町なかおかちまちの本島(これが筆者の母校、若先生は初期の師範学校卒業生で、今は退隠されてなお健在。)
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
口のはたにも寄せられなんだ食べもんが、むしょうに欲しィなったり、顔つきや声まで変ってしもて、べつな人間のようなことをやりだしますねんわ。
姦(かしまし) (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
首をって見るが、其様そんな事では中々取れない。果は前足で口のはた引掻ひッかくような真似をして、大藻掻おおもがきに藻掻もがく。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
「そら死ぬそら死ぬそら死ぬ」と耳のはたささやけば、片々かたかたの耳元でも懐しいかお「もう見えぬもう見えぬもう見えぬ」
しかもそれが済むと、自分も、絆纏はんてんに後ろ鉢捲はちまきをして、いけはたから湯島ゆしま辺にかけて配達してまわるのだった。何だかえたいの知れない男だと私は思った。
木板の手習 その火の燃えて居るはたに十一、二の子供が手習をして居るです。それは黒い板木に白い粉を振りいて竹でもってその上へ書いて居るです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
おや貴方あなた浅田正文君あさだせいぶんくんではありませんか、シテ貴方あなたういふ理由わけで。浅田「ハテぼくいけはたるからぢや。 ...
七福神詣 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
いと不審いぶかし如何なる者の住家すみかならんと思ひながらうゑたるまゝに獨り食事しよくじし終り再び圍爐裡ゐろりはたへ來りてかの男にあつく禮を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ただ綺麗に着飾った舞子に目をつけている。これも鶴見がそれを記憶しているのではなかった。はたのものがそういって、あとから幾度も冷やかすのである。
押えて、れの外から、八公に渡して置いた縄でぐるぐるまき、いけはたから、お山の裏へ抜けて、谷中の鉄心庵にほうり込みゃあいいんだ。わかっているな
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
私はその本屋をはじめ、小川町の「三久」、浜町の「京常」、いけはたの「バイブル」、駒形の「小林文七」「鳥吉」などからしきりに西鶴の古本をあさり集めた。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
帰りにいけはたから電車へ乗ったら、左の奥歯が少し痛み出した。舌をやってみると、ぐらぐら動くやつが一本ある。どうも赤木の雄弁に少したたられたらしい。
田端日記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
が、その口のはたから渋江抽斎しぶえちゅうさいの写した古い武鑑(?)が手に入ったといって歓喜と得意の色を漲らした。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
いけはた本郷ほんごうに抜ける静かなゆるい坂道を貞雄に助けられながらゆっくりゆっくり歩をはこんでゆく——が、妾の胸の中は感情が戦場のように激しく渦を巻いていた。
三人の双生児 (新字新仮名) / 海野十三(著)
玉井君、おれのところにゃ、いろんなもんころげこんで来るんじゃよ。はたの者は、いつも、——大将、もう、あんまり、世話の仕甲斐のないもんを、相手にしなさんな。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
「イヨウ、素敵な別嬪べつぴんが立つてるぢやねエか——いけはたなら、弁天様の御散歩かと拝まれる所なんだ」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
「でも私ア、いけはたにゐる時よか、いツそ此うしてゐた方が、まだ/\のんきな位なもんだよ。」
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
変りはてた直義ただよしの青白い顔だった。唇のはたから糸のような血は見えるが苦悶したらしいあとはない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三十年前にはよくTMと一緒に本郷、神田、下谷したや連立つれだって歩いた。壱岐殿坂いきどのざか教会で海老名弾正えびなだんじょうの説教を聞いた。いけはたのミルクホールで物質とエネルギーと神とを論じた。
病院風景 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
団十郎の銅像のあたりから、いけはたまで歩いてみて、親方は感心したようにつぶやいたものだ。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
火のはたで翁は、つれづれであった。翁は腕を動かして自分の肉体の凸所を撫でまわす。
富士 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
言はるるままに客間に通りて、端近はしちかう控ふれば、彼ははたなりしをんなを呼立てて、速々そくそくあるじかたへ走らせつ。莨盆たばこぼんいだし、番茶をいだせしのみにて、納戸なんどに入りける妻は再びきたらず。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
道路みちの上を盤と見做し、道行く人の頭顱あたまを球と思ひ做して、此の男の頭顱の左のはたを撞いて、彼の男の頭顱の右の端に觸れさせると向う側の髮結牀の障子に當つてグルツと一轉して來て
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
「おほりはたへ立つ女! どこにいるか知らぬかな?」尾張宗春ぼんやりと訊く。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
つまらなそうな様子で、上野黒門くろもんよりいけはたのほうへぶらりぶらり歩いて、しんちゅう屋の市右衛門いちえもんとて当時有名な金魚屋の店先にふと足をとどめ、中庭をのぞけば綺麗きれい生簀いけすが整然と七
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
実あきょういけはたにちょっと用足しがあって、いまさっき行ったんですよ。
妻がゐた時に娘からそれを聞いた私は、賛成だ! と云つた癖に、別の時に娘が私に念をおすと、私は前のことなどは忘れた風にデレデレして、酔つ払ひ、厭といふ程娘に口のはたをつねられ
川を遡りて (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
この屋根の箱棟はこむねには雁が五羽漆喰しっくい細工で塗り上げてあり、立派なものでした(雁鍋の先代は上総かずさ牛久うしくから出ていけはた紫蘇飯しそめしをはじめて仕上げたもの)。隣りに天野という大きな水茶屋みずぢゃやがある。