“源実朝”の読み方と例文
読み方割合
みなもとのさねとも100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
若松屋惣七方のうら手、小石川上水堀のはたにある金剛寺は、慧日山けいにちざんと号し、曹洞派そうとうはの名だたる禅林だ。境内けいだいに、源実朝みなもとのさねともの墓碑があった。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
即ちこの歌では「見れば」が大切だということになり、源実朝みなもとのさねともの、「箱根路をわが越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
ここにつづいて、源実朝みなもとのさねともに触れておこう。実朝は西行が世を去った翌々年、後鳥羽天皇の建久三年(一一九二)八月九日、鎌倉名越なごえの浜御所に生れた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)