くゆ)” の例文
伊勢屋新兵衛は吐き出すように言い終って、線香をもう一と掴みくゆらし、さて平次の方を振り返ってピョコリとお辞儀をするのです。
信一郎の心が、不快な動揺に悩まされてゐるのをよそに、秋山氏は、今火をけた金口の煙草をくゆらしながら、落着いた調子で云つた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
小夜子はまた口籠くちごもる。東京が好いか悪いかは、目の前に、西洋のにおいのする煙草をくゆらしている青年の心掛一つできまる問題である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
面白くはやりし一座もたちましらけて、しきりくゆらす巻莨まきたばこの煙の、急駛きゆうしせる車の逆風むかひかぜあふらるるが、飛雲の如く窓をのがれて六郷川ろくごうがわかすむあるのみ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
アルセーヌ・ルパンはとある東亭あずまやの中で、煙草をくゆらしていたが、やおら身を起すと桟橋の端近く水面を覗き込むようにして
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
煙管きせるを取って、すぱっと一ぷくくゆらしながら、ゆうべ打粉を与えて措いた枕元の腰の刀を見ると、さすがに体がまって来た。
御鷹 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
灰吹の口が奇麗に擦れて父の気に入ったときは、父は有難うと言ってそれを莨盆にさし込み、煙管をくゆらしながら言った。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
七兵衛の接待心を兵助は有難く受取って、二人が仲よく一ぷくくゆらしたかと思うと、兵助は草鞋のかかとで吸殻をはたき
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
必死の闘いの直後において、この光景に接したばかりか、例の芳香にくゆらされたのであった。小次郎に何の意識があろう。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この談話は、主税が立続けに巻煙草をくゆらす間に、食堂と客室とに挟まった、その幅狭な休憩室に、差向いでされたので。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
大月は巻煙草シガレットくゆらしながら、あたかもこの事件に対して深い興味でも覚えたかの如く、暫くうっとりとした冥想に陥っていたが、軈て夫人に向って
花束の虫 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
白いシーツのように見えていたのがそれで、静かに立ちのぼっている煙は男がベッドでくゆらしている葉巻の煙なんです。
ある崖上の感情 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
そして煙草が半分ばかしくゆつた頃を見計らつて、盃のなかにその吸殻を叩き込んで、ぐつと一息に煽飲あふりつけるのだ。
彼は、ぱふりぱふりと煙草をくゆらしながら、和尚の生活のみだらなことや、けちで、彼には卵を食わせないこと、煙草も買ってくれないことなどを話した。
再度生老人 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
今日きょうしも盆の十三日なれば、精霊棚しょうりょうだな支度したくなどを致して仕舞ひ、縁側えんがわ一寸ちょっと敷物を敷き、蚊遣かやりくゆらして新三郎は
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
父親は明子の姿を見ると、満足さうにちよいと頷いたが、それぎり連れの方を向いて、又葉巻をくゆらせ始めた。
舞踏会 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
主人も昼寝から起きて来て、囲炉裏の傍に胡坐をかいて、うまさうにプカプカ煙草をくゆらしたりした。
旅から帰つて (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
苦虫を噛みつぶしたような顔で葉巻をくゆらせていた私が心の中で考えていたことは、もちろんホセの話がほんとうか嘘かを思案していたわけなぞでは毛頭もなかった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
「ほろりとも降らで月澄む」の十二字を以て、大旱の夜の空気を現した伎倆ぎりょうは尋常でない。蚊遣は片靡かたなびきもせず、作者の座右に細々とくゆりつつあるものと想像する。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
その他、停車場特有の貨物の匂、くゆらす葉巻、ふくらかな羽毛襟巻ボア、強烈な香水、それらの凡てが私の疲れきつた官能にフレツシユな刺戟を与へたことは無論である。
新橋 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
マン中の鉄火鉢の前に椅子を引き寄せた小使らしい禿頭はげあたまが、長閑のどかに煙草をくゆらしているだけだ。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ちょっとしゃれた作りになっている横戸の口に、黄色の生絹すずしはかまを長めにはいた愛らしい童女が出て来て随身を招いて、白い扇を色のつくほど薫物たきものくゆらしたのを渡した。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
博士が、六人に一本ずつ巻煙草をくばると、おしいただいてから、ゆっくりとくゆらしはじめた。
地底獣国 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
母親の顔を見るさえきまり悪く、やけくそに夜寒の井戸端でザブザブ水を浴びると圓朝は、そのまま自分の寝床へ入って、煎餅蒲団を引っかぶり、くゆみ返って寝てしまった。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
あだに費やすべきこの後の日数に、心慰みの一つにても多かれ。美しき獲物ぞ。とのどかに葉巻シガーくゆらせながら、しばらくして、資産家もまた妙ならずや。あわれこの時を失わじ。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
食事が済むと煙草をくゆらす暇もなく、父は監督に帳簿を持って来るように命じた。
親子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
われらはまだぬくまらぬ臥床ふしどを降りて、まどのもとなる小机にいむかひ、烟草タバコくゆらすほどに、さきの笛の音、また窓の外におこりて、たちまち断えたちまち続き、ひなうぐいすのこころみに鳴く如し。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
マルコオ、ルガノと名告なのると共に、戸はあきて、我等は暗黒なる一室の中に立てり。聖母マドンナを畫けりと覺しき小幅の前に捧げし燈明は既にえて、燈心の猶くゆるさま、一點の血痕の如し。
立出で夫より松戸の渡しも漸々やう/\通り越小金こがねはらに差掛りけるに扨物淋ものさびしき原中ゆゑ先腰なる摺燧すりひうち取出とりいだし松の根にしり打掛うちかけ煙草くゆらす折柄あとより尾來つけきたりしと見えて一人の大の男腰に長刀なががたな
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
旅の家族とおぼしい女交りの一連が、窮窟そうにギッシリ詰まっているが、屋根の上にはチョッキ一枚になって、シガアをくゆらしている荒くれ男たちが、不行儀に、しりすねをむき出しに
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
といひながら臭き煙草を一ぷくくゆらし、これも吹殻より煙の立つやうな不始末な吸ひやうはせず。吹かしたる煙の末をも篤と見済まして、あはれこれをも軒より外へは出しともなげなり。
心の鬼 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
喫烟室スモーキングルームくも面倒めんだうなり、すこふね規則きそく違反ゐはんではあるが、此室こゝ葉卷シユーガーでもくゆらさうとおもつて洋服やうふく衣袋ポツケツトさぐりてたが一ぽんい、不圖ふとおもしたのは先刻せんこくネープルスかう出發しゆつぱつのみぎり
清冽せいれつきくするに堪えたる涙泉の前に立って、我輩は巻煙草をくゆらしながら得意にエジェリヤの昔譚むかしものがたりを同行の諸氏に語りつつ、時の移るを忘るるほどであったが、いざ帰ろうという時になって
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
数多の興行中明治二十五、六年頃、浅草六区で一世一代の「西南戦争」は大道具大仕掛け、招ぎの場面は山上の西郷隆盛、遥かに熊本城を望んで悠然と葉巻をくゆらし、口より煙を吐いて見せる。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
わたしはその晩、旧友並山なみやま副領事の自宅に招かれて久しぶりに日本料理の馳走ちそうになった。食事のあとでハバナをくゆらしながら安楽椅子あんらくいすに腰を下ろしたわたしは、金門公園の不思議な青年の話をした。
謎の街 (新字新仮名) / 松本泰(著)
男子をのこくゆりて、雙手もろて、見よ、ひらけり。
お六は煙草くゆらしつ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
くゆらしていたが
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
信一郎の心が、不快な動揺に悩まされているのをよそに、秋山氏は、今火をけた金口の煙草たばこくゆらしながら、落着いた調子で云った。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
荒つぽいことを言ひながらも、平次はとぐろをほぐしさうもなく、自棄やけに煙草盆を引寄せて、馬糞まぐそ臭いのを二三服立てつゞけにくゆらします。
金煙管きんぎせるたばこひと杳眇ほのぼのくゆるを手にせるまま、満枝ははかなさの遣方無やるかたなげにしをれゐたり。さるをも見向かず、いらへず、がんとして石の如くよこたはれる貫一。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「それでようやく安心した」と甲野さんは、くつろいだ片足を上げて、残る膝頭ひざがしらの上へせる。宗近君は巻煙草をくゆらし始めた。吹く煙のなかから
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
肌を脱いで煙草をくゆらしながら語り合っていた彼等は、周章あわて気味にそそくさと着物に手を通し、無言で深く腰をかがめた。そしてそこへまた腰をおろした。
熊の出る開墾地 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
女持をんなもち銀煙管ぎんぎせるで、時々とき/″\にはし、そらくもをさしなどして、なにはなしながら、しづか煙草たばこくゆらす。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
駕籠行燈かごあんどんは隅に遠く隔ててある。床の香炉こうろには、いいつけない香がくゆらしてあった。梅の花に香のにおいは似ていた。又、彼女のそこはかとない衣ずれの匂いにも紛らわしい。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのあとのロマネスクの茶亭に腰掛けて真佐子は何を考えているか、常人にはほとんど見当のつかない眼差まなざしをくゆらして、寂しい冬の日の当る麻布の台をいつまでも眺めていた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
向側の歩道に、せいの低い頑丈な、その癖服装みなりの小綺麗な男が立っていた。彼は薄暗い街燈の光を身に浴びながら時々それとなく此方こっちの窓を見上げて、切りにパイプをくゆらしていた。
赤い手 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
七草ななくさ牧野まきのが妾宅へやって来ると、おれんは早速彼の妻が、訪ねて来たいきさつを話して聞かせた。が、牧野は案外平然と、彼女に耳を借したまま、マニラの葉巻ばかりくゆらせていた。
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
許宣も本堂の前で香をくゆらし、紙馬紙銭しばしせんを焼き、赤い蝋燭ろうそくに灯をともしなどして両親の冥福を祈った。そして、寺の本堂へ往き、客堂へあがってときい、寺への布施もすんだので山をおりた。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
頬にピリつく、嘉代吉や人夫も、偃松の間の石饅頭に、腰を卸して、烟菅キセルを取り出し、スパスパやりはじめた、その煙が蒼くうすれて空にくゆってゆくのを、私はうっとりと眺めていたが、耳のわきで
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)