いきどお)” の例文
いきどおりを感じましたが、お手討ちにいました忍びの男には却って不便ふびんを催しましたので、たしかその明くる日のことでござりました。
と、唇を噛んでいきどおりをもらしかけたが、ふと一方にたたずんでいる蔡和、蔡仲のふたりを、じろと眼の隅から見て、急に口をつぐみ
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
海は静かにその小石を受け取りました。兄さんは手応てごたえのない努力に、いきどおりを起す人のように、二度も三度も同じ所作しょさを繰返しました。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
後世こうせい地上ちじょうきたるべき善美ぜんびなる生活せいかつのこと、自分じぶんをして一ぷんごとにも圧制者あっせいしゃ残忍ざんにん愚鈍ぐどんいきどおらしむるところの、まど鉄格子てつごうしのことなどである。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
せさらばえた姿を、ひどく馬鹿馬鹿しく、いきどおろしく思い出すと共に何かしら解放されたような、安易さを覚えて来るのであった。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
わがままな、いきどおりやすい夫人は、じりじりして来、こうなって来ると妙にしつこく、良人を残して外出することが出来なくなった。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
例えば耶蘇やそ教の神さんでも、その昔人民が罪悪におちいって済度さいどし難いからというて大いにいきどおり、大洪水を起してすべての罪悪人を殺し
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
ある日カヤノはよそゆきの着物のままでその歩き方にまで心の中の激しいいきどおりを現しているかのように、風を切って入ってきた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
否、よくよく誰もが抑え切れぬいきどおりを発していたと見えて、揉み合っている人垣のうしろから、爆発するように罵り叫んだ声が挙りました。
油に汚れた頬があやしげな光を放っている。誰れに向けらるべきものかそれは激しいいきどおりの現われである。私にも云うべき言葉がなくなる。
満面朱を注いで憎悪に燃えるようないきどおろしさのそれであった。が相変らず扉に凭れたまま私はニヤニヤと姿勢も変えずにいた。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
その後ろ姿を見ると葉子は胸に時ならぬときめきを覚えて、まゆの上の所にさっと熱い血の寄って来るのを感じた。それがまたいきどおろしかった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「文芸」九・十月号に志賀直哉は原子爆弾の残虐さについいきどおりをもらしているが、この人道ぶりも低俗きわまるものである。
咢堂小論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
その可憐な様子を見ると、格二郎は、彼自身の貧乏については、つて抱いたこともない、あるいきどおりのごときものを感じぬ訳には行かなかった。
木馬は廻る (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
さりながら、かの端唄はうたの文句にも、色気ないとて苦にせまいしず伏家ふせやに月もさす。いたずらに悲みいきどおって身を破るが如きはけだし賢人のなさざる処。
頭はたたきられ、うではへし折られて、これがあの温厚おんこうな人の姿であるか、といきどおりを感じさせるほどに、ひどいものだった。
先に政権の独占をいきどおれる民権自由の叫びに狂せし妾は、今は赤心せきしん資本の独占に抗して、不幸なる貧者ひんしゃの救済にかたむけるなり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
このような太平楽たいへいらくを、何の屈託くったくもなしに平然と口にすることのできた自分の浅墓さに私はいきどおりをかんじないではいられぬ。
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
それゆえに、結局けっきょくへとへとになって、揚句あげく酒場さかば泥酔でいすいし、わずかにうつらしたのです。かれは、芸術げいじゅつ商品しょうひん堕落だらくさしたやからをもいきどおりました。
風はささやく (新字新仮名) / 小川未明(著)
景は女が約束にそむいて他の家へったのを知っていきどおりで胸の中が一ぱいになった。彼は大声をあげて叫ぶようにいった。
阿霞 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
美しい百合のいきどおりは頂点ちょうてんたっし、灼熱しゃくねつ花弁かべんは雪よりもいかめしく、ガドルフはそのりんる音さえいたと思いました。
ガドルフの百合 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
お銀様はいきどおっている、いかにして何物を憤っているかということは、前巻の終りに次のように記されてあったはずです。
それから良平が陸軍大学の予備試験に及第しながら都合上後廻わしにされたをいきどおって、硝子窓がらすまどを打破ったと云う、最後に住んだ官舎の前を通った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
酔眼をいきどおらしくあけたが、その眼の前に躑躅つつじくさむらまどらかにコンモリと茂っていて、花がつばらかに咲き出していた。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
間もなく己が妹を貰おうと云うは如何にも人情にはずれた悪人、しかし此の事はお蘭には云えず、心一つにいきどおって居る。
男の女に対する乱暴にも程があるといういきどおりと、こんな事件を何とかしなければならないというあせった気持から
越年 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
たぶん妹か、めいらしい女のに声をかけると、曼珠沙華ひがんばなのようにあかちゃけた頭髪はくるッと振りむいて、ひどくいきどおった顔色で「赤ンベイ」をしてみせた。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
いきどおった情の厚い男——君、君、僕の言うことをひとつ聴いてくれたまえ。君は、元来、誰も愛してはいないんだ。
鎌倉殿かまくらどのは、船中に於て嚇怒かくどした。愛寵あいちょうせる女優のために群集の無礼をいきどおつたのかと思ふと、——うではない。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
けれど自分にもどういう訳かははっきり分らないが、彼は再び歩き出しつつ怪しからんといきどおろしげに呟いた。
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
現に基督キリストのごときは前にも述べたごとく柔和にゅうわ主義の教えを垂れたるにかかわらず、ときには大いにいきどおり、綱をもって神殿をけがした商人を放逐ほうちくしたことがある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
次郎は、横柄おうへいな口のきき方をする鈴田に対して、いつになくいきどおりを感じ、返事をしないまま塾長室に行った。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
初めは確かに、弟の死を悲しみ、その首や手の行方ゆくえいきどおろしく思いえがいているうちに、つい、妙なことを口走ってしまったのだ。これは彼の作為さくいでないと言える。
狐憑 (新字新仮名) / 中島敦(著)
しかし、この言葉は、その一座のひとびと全部のいきどおりを買うことになったが、ことに男爵はひどく怒った。男爵はその人をほとんど異端者としか思わなかった。
端正たんせいひざに手を置いてしずかに微笑しながら、森川夫人はこころのなかで泣いていた。悲しみともいきどおりともつかぬ痛烈な涙が、胸の裏側をしとどに流れおちた。
狂人が狂人としての待遇を受くればきっと怒る。おなじ心理で、幼児もあまりに幼くちやほやされるといきどおる。童謡の創作にもここはよほど注意すべきところだ。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
なやましいばかりの羞恥しゅうちと、人に屈辱くつじょくあたえるきりで、なんやくにも立たぬかたばかりの手続てつづきをいきどお気持きもち、そのかげからおどりあがらんばかりのよろこびが、かれの心をつらぬいた。
身体検査 (新字新仮名) / フョードル・ソログープ(著)
怪塔王は、すっかりいきどおってしまいました。そして、すぐさま、怪塔ロケット隊に出動準備を命じました。
怪塔王 (新字新仮名) / 海野十三(著)
余はそのめいに従わんとするに生田は痛くいきどおこぶしを握りて目科に打て掛らんとせしかども、二人に一人の到底及ばぬを見て取りし如くだ悔しげなる溜息を洩すのみ
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
そして当時平静へいせいに仕事をしていたけれども、その裏面にはいきどおりをふくんでいたことが言いたかったのだ。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
彼女は先妻の幸子が、いつもの癖で、ずかずか上り込んで来て、いつものくせで、朝、起きはぐれているところを、荒い足音で、わざと目をさまさせられたのをいきどおった。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
所が前申す通り榎本釜次郎えのもとかまじろうと私とは刎頸ふんけいまじわりと云うけではなし、何もそんなに力を入れる程の親切のあろう訳けもない、ただ仙台藩士の腰抜けをいきどおったと同じ事で
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
巡査が去ってから僕はまた堤にしゃがんで、水やあしを眺めながらぼんやりしていましたが、だんだん気持が滅入めいってきました。そしていきどおろしさが込み上げてきました。
わが師への書 (新字新仮名) / 小山清(著)
いきどおってこれを討ち、ために天下の民を安らかにした。これは臣の身として君をしいしたというべきではない。仁にもとり義にもとった一人の不徳者紂をころしたのである
早稲田大学総長の傍観をいきどおったということを聞いているが、日本国中で宮中と締盟諸国の大公使館とを除けば、学園であれ何であれ、司法権の発動を許さぬところはない。
即ち僕は、色々な小説を読んで或は悲しみ、或はいきどおり、或は嬉しい思いをして、その度毎に注射しんをもって、左の腕の静脈から五グラムずつの血液を取って、実験をしたのだ。
恋愛曲線 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
で、今もまた、最初は私を見て喜び、朝鮮の話をきいてはいきどおっていたが、いつの間にか自分の愚痴ばなしに変って、のべつ幕なしにその苦しさを祖母に訴えるのであった。
五百は六、七歳になってから、兄栄次郎にこの事を聞いて、ひどくいきどおった。そして兄にいった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「けど、僕のお母さんが、つまりアリョーシャのお母さんだと思うんですが、どうお考えです?」突然、イワンはいきどおろしい侮辱の念を制しきれないで、思わずこう口走った。
弟さまの大長谷皇子おおはつせのおうじは、まだ童髪どうはつをおゆいになっている一少年でおいでになりましたが、目弱王まよわのみこが天皇をお殺し申したとお聞きになりますと、それはそれはおいきどおりになって
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)