たいら)” の例文
老耄ろうもうしていた。日が当ると茫漠ぼうばくとした影がたいら地面じべたに落ちるけれど曇っているので鼠色の幕を垂れたような空に、濃く浮き出ていた。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
二万の御人数のうち、一万二千を以て、西条村の奥森のたいらを越え倉科くらしな村へかかって、妻女山に攻めかかり、明朝卯の刻に合戦を始める。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
山腹の傾斜の比較的緩やかなる地、東国にては何のたいらと言い九州南部ではハエと呼ぶ地形を中国・四国ではすべてナルといっている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
数千年来、数億の人々がかためてくれた、坦々たんたんたるたいらかな道である。吾人ごじんが母の胎内たいないにおいてすでに幾分か聞いて来た道である。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
向後こうご、他家へは一切奉公いたすまじきむね、誓を立てて御暇をねがい、つづいて物頭四百五十石、荻田甚五兵衛、寄合五百石、たいら左衛門
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
白帆は早やなぎさ彼方かなたに、上からはたいらであったが、胸より高くうずくまる、海の中なるいわかげを、明石の浦の朝霧に島がくれく風情にして。
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
秋雨あきさめいて箱根はこねの旧道をくだる。おいたいらの茶店に休むと、神崎与五郎かんざきよごろう博労ばくろう丑五郎うしごろうわび証文をかいた故蹟という立て札がみえる。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
欧羅巴ヨーロッパの通商をさまたげ、かつその平穏へいおんみだせし希臘ギリシア国の戦争をたいらげんがため、耶蘇教の諸大国、魯西亜ロシア国とともにこれを和解、鎮定ちんていせり。
「二丁上れば大悲閣だいひかく」ではないが、項上まで登って見たら、上にたいらなところがあって、広やかな感じがした、という意味らしい。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
しかしたもつさんは少時帆足の文を読むごとに心たいらかなることを得なかったという。それは貞固のひとりを愛していたからである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
実は、愛児の病もえ、山野の雪も解けはじめたから、多年の宿志たる上洛じょうらくの兵を催して、一挙に曹操をたいらげようと思い立った。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「こうして見ると大変目立つ。やっぱりまともに日の向いてる方がたいらに見える。奇体な物だなあ」と大分だいぶ感心した様子であった。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
豊葦原の瑞穂国、すなわち我が日本の土地には、前から人民が沢山いる、その国を安国とたいらけくろしめすというのが大目的でありました。
三百代言気質かたぎに煩わしいことを以て政宗を責めは仕無かった。却って政宗に、一手を以って葛西大崎の一揆をたいらげよと命じた。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
渡海屋銀平実はたいら知盛とももり落人おちゅうどながら、以前が以前だから、実名を名乗りたくて、寧ろウズ/\している。僕も丁度それだ。
勝ち運負け運 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
壁も天井も一面のたいらな鼠色で、彫刻もなければ、模様も色彩もなく、まるで空っぽの物置きの中へ這入った様な、殺風景極まる感じであった。
白髪鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
仲麿は即ち恵美押勝えみのおしかつであるが、橘奈良麿等が仲麿の専横をにくんで事をはかった時に、仲麿の奏上によってその徒党をたいらげた。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
海は——目の前に開いている海も、さながら白昼の寂寞せきばくに聞き入ってでもいるかのごとく、雲母きららよりもまぶしい水面を凝然ぎょうぜんたいらに張りつめている。
樗牛の事 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
たいらな砂浜としか見えなかった大地から、ごうごうばしゃんと大音をたて、いきなり怪塔に翼を生やしたロケットがとびだしたのですから、これは
怪塔王 (新字新仮名) / 海野十三(著)
と一杯すくい上げてこぼれない様に、たいらに柄杓のくわえて蔦蔓つたかづらすがり、松柏の根方を足掛りにして、揺れても澪れない様にして段々登って来る処を
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
微風、水鳥、花咲いた水藻、湖水はたいらかでございました。烏帽子えぼし水干すいかん丹塗にぬりの扇、可哀そうな失恋した白拍子は、揺られ揺られて行きました。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
また勝野保三郎早やすでに出牢す。ついてその詳を問知すべし。勝野の父豊作、今潜伏すといえども有志の士と聞けり。他日事たいらぐを待って物色すべし。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
地所七十坪ほど家屋つき壱万五千円の由坂地なれば庭たいらならぬ処自然のおもむき面白く垣の外すぐに豊川稲荷の森に御座候間隠居所妾宅にはまづ適当と存ぜられ候。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
庄平「あ、そうですか、えゝと、中瀬古庄平です(係の先生のメモを覗きこんで)庄屋の庄に、たいらの平です」
四つの都 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
波はたいらだった。そこに見える陸地に戦争があって、その戦争に、一昨日まで、従っていたとは思えなかった。
近藤勇と科学 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
やっと左岸の林の中でシュプールを見つけ、難なくたいらの日電の小屋へ着くことができた。ここには三人合宿しておられて、いろいろと御馳走をして下さった。
単独行 (新字新仮名) / 加藤文太郎(著)
広い、たいらはたがある。収穫ののちだ。何んだかこう利用してしまった土地というような風で、寂し気に、貧乏らしく見えている。そこを人が立ち去る処なのだ。
それは違う、執権時頼に呼ばれたのはたいら宣時のぶときで、兼好はその話を宣時から聞いて「徒然草」に書いたのだ。
滝口 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
その合流点にささやかな、而も黒部の渓谷では唯一の平地があり、ここがたいらなのである。標高約千四百米。
可愛い山 (新字新仮名) / 石川欣一(著)
まだ細い小雨が幾らか残つてゐて、物凄い風に殴られ乍らピュッと横ざまに吹きかかり、地べたと並んで何処までも真つ直たいらに走り去るやうに思はれてしまふ。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
今日はカロリー表なんぞを応用してはいけません。老人ながらも僕の親たちです。田舎で一升飯をたいらげる勢いですから沢山の品数を用意しなければなりません。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
七兵衛は、提灯ちょうちんが消える前に一度パッと明るくなるような感じがしました。小名浜でハッキリしたものが、たいらへ来るとさっぱりわからなくなってしまったのです。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
福松の姉は、黒部のたいらの弥曾太郎の女房だ。頼もしかった弟の死を、どんなに諦めようとしても諦らめられぬと愚痴ぐちる。劍の小屋の源次郎が当時の話をしてくれる。
案内人風景 (新字新仮名) / 百瀬慎太郎黒部溯郎(著)
残りの料理と酒とをみんなたいらげてしまった。それから長椅子の上に寝そべった。頭がかっとしてきた。
反抗 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
「あ、いいとも——姿なんかやつすことがあるものか、たいら維盛卿これもりきょうと間違えられる気遣きづかいがあるものか、もっとも顎を少し引っ込めなきゃ、直ぐ八五郎と見破られる」
恭順か、会津援兵か、その去就を内偵すべく官軍の密偵達が、たいら棚倉たなくら、福島、仙台、米沢から遠く秋田南部のお城下までも入りこんでいるのは隠れない事実なのである。
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
だれでもよいから、ひとり、檀家だんかたいらすけ殿とののお邸へまいって、つぎのようにはなしなさい。
日本の国民はなにを望んだか、みなもとにあらずんばたいらであった、ナポレオンを島流しにしたのは国民であったが、かれを帝王にしたのも国民であったことをわすれてはならない。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
というのは、このタンナリーは、テキサス州のたいらな草原のおおかみ狩りにはなれてもいたろうが、このカランポーの谷は、高低があって、川の支流が縦横じゅうおうにいりまじっている。
ぬらっとして、油をまいたようなたいらかな海面がくずれて、一体に動揺を始めたようでした。
少年と海 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
鉦鼓淵しょうこえん盗人ぬすと谷、その天上の風格は亭々ていてい聳立しょうりつする将軍台、またげんとしてたいらなる金床台きんしょうだい
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
ようやく草原を魚貫ぎょかんして、ややたいらな途へ出た時には、武甲山の裏へ廻ったので、今まで高いと思っていた連山は、ことごとく下になり遠く山脈やまなみの彼方に浅間のけむりを見出した時は思わず高いと叫んだ
武甲山に登る (新字新仮名) / 河井酔茗(著)
夜深く野の散歩より淋しきおのが書斎にかえった時のように、夜静に心たいらなるの時
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
闇の中にひろびろと開けた、ゆきたいらを通って来た。闇と言ってもぽっとどこか白々として、その広い平がかすかに見透かされる。そして寒い風が正面から吹きつける中を歩いて来たのだ。
土淵村にての日記 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
そして、ふちの欠けた摺鉢すりばちのなかへ粕をぶちまける。山羊は「ミイ、ミイ」啼きながら、夫と妻と競争で鉢の中へ頭をつっこむ。そして、忽ちまるで吸いこむように早く、たいらげてしまう。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
そこに距離の間隔はあれども無きが如く、翁の擬して撫で来る指の腹に地平の林は皮膚のうぶ毛のように触れられた。いつまでもたいらの続く地平線を撫で移って行く感覚は退屈なものである。
富士 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
いわば主人は心がたいらかだったので、それが保健上何よりの条件と思います。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
七人ばかりの村の者は、たいらかな岩の上に車座くるまざに坐って弁当を使いはじめた。
岩魚の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
みちは、川の表面ひょうめんのようにたいらで、綺麗きれいで、くるまくつそこをしっかりと、しかし気持きもちよくささえてくれます。これはわたしたちのお祖父様方じいさまがたつくってくださったもののなかでもいちばん立派りっぱなものです。
母の話 (新字新仮名) / アナトール・フランス(著)
たいらな地面に慣れない水夫達の上陸行列だ。海の口笛と、白い女の顔だ。しなりのいいマニラ帆綱ロウプのさきに、鉄鋲ナッツを結びつけた喧嘩用武器の大見せ場デスプレイだ。放尿する売春婦プウタと暗い街灯の眼くばせだ。