ひと)” の例文
旧字:
その金魚きんぎょともだちもなく、おやや、兄弟きょうだいというものもなく、まったくのひとりぼっちで、さびしそうに水盤すいばんなかおよぎまわっていました。
水盤の王さま (新字新仮名) / 小川未明(著)
その時の君は早や中学をえようとするほどの立派な青年であった。君は一夏はお父さんを伴って来られ、一夏は君ひとりで来られた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
金眸は朝よりほらこもりて、ひとうずくまりゐる処へ、かねてより称心きにいりの、聴水ちょうすいといふ古狐ふるぎつねそば伝ひに雪踏みわげて、ようやく洞の入口まで来たり。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
八重山宮古の島々はひとり歌謡のきわだっているばかりでなく、極南界にあってその言語音韻も純古にして北の島嶼とうしょとは趣をことにする。
はじめ、かなり私への心遣こころづかいで話しかけているつもりでも、いつの間にか自分独りだけで古典思慕に入り込んだひとごとになっている。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そのための実際の計画を考顧しなかったなら、矢張りこの四五人の、それだけで少しも発展性のない、ひと角力ずもうに終ってしまうのだ。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
と、留学中の総決算をする積りで、腹のうち彼地あつちであつた色々の事を想ひ出してみた。そして鳥のやうにひとりでにや/\笑つてゐた。
しかしながら、真がひとり人生に触れて、他の理想は触れぬとは、真以外に世界に道路がある事を認め得ぬ色盲者の云う事であります。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
これ必ずしも意外ならず、いやしくも吾が宮の如く美きを、目あり心あるもののたれかは恋ひざらん。ひとり怪しとも怪きは隆三のこころなるかな
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
りませんよ。おっかさんが風邪かぜいて、ひとりでててござんすから、ちっともはやかえらないと、あたしゃ心配しんぱいでなりませんのさ」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
矢張やは歴史れきし名高なだか御方おかただけのことがある。』わたくしこころなかひとりそう感心かんしんしながら、さそわるるままに岩屋いわや奥深おくふかすすりました。
こんどは彼のひとり舞台だった。クリストフは午餐の時に手柄を立ててやや食い疲れていたので、もう少しも彼と争おうとしなかった。
余が箱根の月大磯の波よりも、銀座の夕暮吉原の夜半やはんを愛して避暑の時節にもひとり東京の家にとゞまり居たる事は君のく知らるゝ処に候。
夜あるき (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
父母たる者の義務としてのがれられぬ役目なれども、ひとり女子に限りて其教訓を重んずるとはそもそも立論の根拠を誤りたるものと言う可し。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
良平はひとりいらいらしながら、トロッコのまわりをまわって見た。トロッコには頑丈がんじょうな車台の板に、ねかえった泥がかわいていた。
トロッコ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ひとりになった時や、更にまたその別れる時の態度、すなわち彼女に挨拶の接吻をまた繰り返させまいとしたことなどが皆それであった。
まかり間違えば自分も大工になるはずであったことなど思い出してひとりでに笑いたくなるような気持にもなったりしたことでありました。
「もうこれからは、ひとりで病気の加減を知ることが出来そうよ、どうすればいいかわかって」そう云って妻は大きな眼をみはった。
秋日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
こうひとごといながら、みちばたのいしの上に「どっこいしょ。」とこしをかけて、つづらをろして、いそいでふたをあけてみました。
舌切りすずめ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
若し自然にあの絢爛けんらんな多種多様があり、ひとり人間界にそれがなかったならば、宇宙の美と真とはその時に崩れるといってもいいだろう。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ほど無く私は幾らかの喝采かつさいの声に慢心を起した。そして何時いつしか私は、ひとりぼつちであらうとする誓約を忘れてしまつたのであらうか。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
世間に通用しない「ひとりよがり」が世間に認められないのを不満としつつも、誰にも理解されないのをかえって得意がる気味があった。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
吸血鬼は学生がひとりになったところを見澄みすまして、背後うしろから咽喉を絞め、つづいて咽喉笛をザクリとやって血を吸ったというのだネ
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
腰掛の間の汚れたところへ新聞紙を敷いて座っている鷲尾は、大工の妹婿が餞別せんべつした小瓶こびんの酒を飲みながら、ひとり合点にしゃべった。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
そして晝間でも御殿の下の日当りのよい石崖いしがけりかゝって、晴れた秋の空を見上げながらひとりぼんやりと幻をいかけたりした。
ひとり忍び入るということも、愛すればこそで、その怖る怖るの一足一足が、どうしたものか、竜之助の寝ている方へ近寄って来ました。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
太「馬鹿野郎め、何年奉公をしている、その位の事が知れねいという法があるものか、死んだ角右衞門殿の甥といえばおれひとりしかねえ」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そこで、今日なぞは細君が留守なのだが、いつも内にゐる時でも手伝はせない。書生も下女も勿論遠ざけて、ひとりでつてゐるのである。
魔睡 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
鹿しかがひどくくのを聞いていて、「われ劣らめや」(秋なれば山とよむまで啼く鹿にわれ劣らめやひとる夜は)と吐息といきをついたあとで
源氏物語:40 夕霧二 (新字新仮名) / 紫式部(著)
といって、その毛のない革をいて、七郎を伴れて一緒にいこうとした。七郎は聞かなかった。そこで武はひとりで帰っていった。
田七郎 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
近所が寝静まるころになると、お増はそこにひとりいることが頼りなかった。床に入ってからも、容易に寝つかれないような晩が多かった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
もうルセットもいない、ちちもない、バターもない、これでは、謝肉祭しゃにくさいもなにもないと、わたしはつまらなそうにひとごとを言った。
サイゴンでは、五日ほど暮す事になり、こゝでまた軍への手続きが相当手間どつで、ひとりになつて街を見物するゆとりは許されなかつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
珠算ひとり学びなどいう本まで、珠算なんてする気もなく読んだし、ドンキホーテも、渡辺崋山わたなべかざんも、占易うらないの本から、小学地理、歴史、修身
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
これでひるなやまされていたいのか、かゆいのか、それともくすぐつたいのかもいはれぬくるしみさへなかつたら、うれしさにひと飛騨山越ひだやまごえ間道かんだう
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ひとり仏の文豪ヴィクトル・ユーゴーはいうた、神はこの朝二、三十分間の小雨を降らしてナポレオンの勢威をくじいたのであると。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
ひとりニヤニヤと眺めている——この彼自身の姿に彼自身、狂いそうなウレシサ、とてもたまらないタノシサを感ずるのでした。
足の裏 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
「なけりゃいいが、わしにゃあそいつがほんとに信じられねえ。」と車掌が無愛想なひとごとのように言った。「おういおい!」
先々の道ではどうしてもゼーロンの従順な力を借りなければならぬことを思って私は鞍から降りて成るべく静かなひとり歩きを試みせしめた。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
鉄也さんというのは今井の叔父さんのひとで、不幸にも四、五年前から気がちがって、乱暴は働かないが全くの廃人であった。
鹿狩り (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
飼糧かいば、手入れの注意など与え、やがて奥の——いまは喧嘩けんかを売ってくる妻もないひとり居のの下へ——幼い子らをよび寄せて、戯れていた。
中にも青木女監取締りの如きは妾の倦労けんろうを気遣いて毎度菓子を紙に包みて持ち来り、妾のひとり読書にふけるをいとうらやましげに見惚みとれ居たりき。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
ただ村民の信仰がおいおいにすさんできてこういう奇瑞の示された場合にも、怖畏ふいの情ばかりひとり盛んで、とかくに生まれる子を粗末にした。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ひとごとを云ったがちょうどこの頃、太郎丸の屋敷の屋根棟で、同じく星を眺めながら、話をしている人物があった。島津太郎丸と西川正休。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すると、僕の祖母は祖父の耳のあたりを平手で一つ喰らわせた上に、自分が怒っているということを示すために、黙ってひとりで寝てしまった。
「今まで言っていたことは何もかも皆なうそばかりであった。やっぱり女もこの家にいるにちがいない」とひとりでうなずいて
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
全く予想外な事なのであつた。自分にはこんな呑気な、伸々とした、楽な時間は一度も与へられずに生涯を終るものとのみひとりでめてゐた。
(新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
これはひとり各自の慾望が多いとか慾に限りがないというのでない、僕の言わんとするところは各自には冒すべからざる所信または思想がある。
自由の真髄 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
ひとり父親が好い機会しおとしてしきりに僕の方へ賛成するが御当人のお代先生は婚礼を済ませて大原君と一緒に行こうと言い出した。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
地方文化、あなどるべからず、ナンマンダ、ナンマンダ、などと、うわごとに似たとりとめないひとごとつぶやいて、いつのまにか眠ったようだ。
(新字新仮名) / 太宰治(著)