ものう)” の例文
へやに入つて洋燈ランプを點けるのもものういので、暫くは戲談口じやうだんぐちなどきき合ひながら、黄昏たそがれの微光の漂つて居る室の中に、長々と寢轉んでゐた。
一家 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
わたくしやうやくほつとしたこころもちになつて、卷煙草まきたばこをつけながら、はじめものうまぶたをあげて、まへせきこしおろしてゐた小娘こむすめかほを一べつした。
蜜柑 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
うららかなものうい春であった。その麗らかな自然の中で、相闘っている一方の人間が充分の余裕をもってその対策を考えているのだった。
仮装観桜会 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
海浜や道傍の到る処に塵埃じんあいの山があり、馬車が何台も道につながれてあって、足の太い馬が毛の抜けたたてがみを振ってものうそうにいなないている。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
大騒乱が家中の者を一人残らずものうい疲労した夢から奮い立ててしまった。白熱した昂奮が一しきり人々を内から照らしたのである。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
連日のひでりに弱り切った草木がものうねむりから醒めて、来る凋落ちょうらくの悲しみの先駆であるこの風の前に、快げにそよいで居るのが見える。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ものうさのをある所まで通り越して、動かなければさびしいが、動くとなお淋しいので、我慢して、じっと辛抱しているように見えた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
燕王えんおうの兵を起したる建文元年七月より、恵帝けいていの国をゆずりたる建文四年六月までは、烽烟ほうえん剣光けんこうにして、今一々これを記するにものうし。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
てた燐寸マツチえさしが道端みちばた枯草かれくさけて愚弄ぐろうするやうながべろ/\とひろがつても、見向みむかうともせぬほどかれものうげである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
私は舷側に凭れ、島が幻のように消え失せたあたりを眺めていたが、精神の沈滞はいよいよ深まるばかりで、なにをするのもものうくなった。
海豹島 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ものうい音を壁一重こちらにまでもひきずり込むので、これにはさすがに強情なムーアも少なからず閉口させられたといふことだ。
独楽園 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
その様あたかも老伯がポケット内にこれをさぐり、あるひは容器の蓋を開くのものうきに絶えずとしてしかせしならんが如く見ゆ。
だんを取る必要も何もないのだけれども、習慣的に火燵に寄かかっている。ものういような春雨の感じが溢れているように思われる。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
が、その声がまた、ロシア式にいうと、まるで釘抜で頸圏くびわを馬につけるような、恐ろしくまどろっこく、ものうげな調子であった。
呼吸をするたびに、その胸の線がまるで白鳥の胸のやうに豊かにふくらんだ。膏脂こうしが体内に沈澱ちんでんして何か不思議な重さで彼女自身をものうくした。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
「遊びの心を乗せるにふさわしい急流だ。——けれど、後朝きぬぎぬを、また、都へもどる日は、舟あしも遅いし、ものういそうだぞ」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ものういチクタクの音を響かせてゐる柱時計の下で、富江は森川の帰りを待つ間の退屈を、額に汗をかきながら編物をしてゐた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
夜とも昼ともつかないものうい明るみだった。その中で、お清はすやすや眠っていた。夜着から肩を半分出して、横向きに枕の上につっ伏していた。
反抗 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
「二毛暁に落ちて頭をくしけづることものうし、両眼春くらくして薬を点ずることしきりなり」「すべからく酒を傾けてはらわたに入るべし、酔うて倒るゝもまた何ぞ妨げん」
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そのふもとに水車が光っているばかりで、眼に見えて動くものはなく、うらうらと晩春の日が照り渡っている野山には静かなものうさばかりが感じられた。
蒼穹 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
庭に向へる肱懸窓ひぢかけまどあかるきに敷紙しきがみひろげて、宮はひざの上に紅絹もみ引解ひきときを載せたれど、針は持たで、ものうげに火燵にもたれたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ところが、瀬川は一向そんなことには無関心であるように、ちょっと私の方に振り向いてから、両手をのばして欠伸あくびをしながら、ものうそうに答えた。
殺風景な下宿の庭に鬱陶うっとうしく生いくすぶったの葉蔭に、夕闇のひきがえるが出る頃にはますます悪くなるばかりである。何をするのもものうくつまらない。
やもり物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
紅がらにて染めたるジャム鬢付びんつけのやうなるバタなんぞ見る折々いつも気味わるしと思ひながら雨降る日なぞはつい門外の三田通みたどおりまでで行くにものう
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
長いこと転々としてその昂ぶった神経を持てあましながら、ラッセルのようにものうあぶの羽音を、目をつぶって聞いている中に、看護婦が廻って来た。
なにをするのもものういやうな身体を起して、彼は戸口へ出た。さつきの人達はもう銘々の行くべき処へ行き着いたらしい。下駄の音も、話声も聞えない。
夜烏 (新字旧仮名) / 平出修(著)
彼等の話振りを聞いて居ると、少しも病人らしい様子などはなかつた。退屈やものうさはあつても生活の苦しみや悲しみなどはありさうにも見えなかつた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
床の裡の次団太じだんだは自分を驚かして、寝られぬものを無理に寝かせ、夜明けておきるさえがものうくなって、横倒しにした枕にひじを乗せて腹這になって居る時
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
自分の気弱さを弁解するためには、オリヴィエにたいする罪をこれで償ってるのだと考えた。激しい愛情の時期とものうい冷淡の時期とが交々こもごもやってきた。
そしてこの部屋には洗面の道具も備つてゐたし、私の髮を梳づる爲めに櫛や刷毛はけも置いてあつた。ものうい手で五分おき位に休み乍ら私は身を整へ了つた。
唯チチアネルロのみはややものうげに、且つ気乗りせぬげに右手の方に群を離れて立ち、少女たちを眺めている様子。
大きいけれども強い光はなくものういような色で満ちているから、品はよいけれども、どうも賢い子には見えません。
ともすればものう駘蕩たいとうたる春霞の中にあって、十万七千の包囲軍はひしひしとひしめき合って小田原城に迫って居る。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
筋肉にこびりついたものうい疲労にがっかりして、暫くそこに腰を下ろしたままであったが、それでもやがて闇の野に飛ぶ鬼火のように一人一人に散って行った。
わたしの騾馬は後方うしろの丘の十字架に繋がれてゐる。そしてものうくこの日長を所在なさに糧も惜まず鳴いてゐる。
聖三稜玻璃:02 聖三稜玻璃 (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
令嬢だと言えば、彼女は寝床も上げたことのないものうい良家の子女なのです。それが彼女の強い主観なのです。
(新字新仮名) / 池谷信三郎(著)
折から桜花は故郷の山に野に爛漫らんまんと咲き乱れていた。どこからかものう梵鐘ぼんしょうの音が流れてくる花の夕暮、ミチミは杜に手を取られて、静かに呼吸いきをひきとった。
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
昼飯の支度をするのもものうい。ぼんやり寐ころんでいる。ふと ああよく体を大事にしてといった と思い出して力なく焜炉こんろに火をおこしはじめた。飯をかける。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
瞼の上に重く蜘蛛の巣のようにかかっていて、払おうとしてもとりのけられない霞のようなものが、そこら中に張りつめられているようで、ものうい毎日がつづいた。
性に眼覚める頃 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
扱帯しごき一層ひとしおしゃらどけして、つまもいとどしく崩れるのを、ものうげに持て扱いつつ、せわしく肩で呼吸いきをしたが
悪獣篇 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ものうい、爛れた眼をして、灰色の毛を垂らしてゐる。そして犬の達し得る、極度の老年に達したと云ふあらゆるしるしが現れてゐる。わしは犬をやさしく叩いてやつた。
クラリモンド (新字旧仮名) / テオフィル・ゴーチェ(著)
しかしながらものうく王者のうなじをうな垂れ、しみじみとその厚ぼつたい蹠裏にはずむ感覚に耐へ、彼は考へた。
測量船 (新字旧仮名) / 三好達治(著)
百事齟齬す、まさにこれ死して益なく、生もまたものうきの苦境に迫る。ここにおいて五月六日庸書檄を作り、筆耕以て無聊ぶりょうを消ぜんとす、これもまた獅子まりなるかな。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
時節は五月雨さみだれのまだ思切おもいきり悪く昨夕ゆうべより小止おやみなく降りて、欞子れんじもとに四足踏伸ばしたるねこものうくしてたんともせず、夜更よふけて酔はされし酒に、あけ近くからぐつすり眠り
そめちがへ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ものうい目で一寸三藏を振り返つて見たが、すぐ又正面を向いて讀經を續ける。若い尼はこちらへと導く。
俳諧師 (旧字旧仮名) / 高浜虚子(著)
「何、昨夜ゆうべから飲み続けて、あんまり頭が重いから、表へちっと出て見たのさ。」と、お葉はものうげに答えた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
もう二十年も前にその丘を去った私の幼い心にも深くみ込んで忘れられないのは、寂然ひっそりした屋敷屋敷から、花のころ月のよいなどには申し合わせたように単調なものう
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
そして、そのふり積んだ雪のこころは、まゆ玉の、垂れたそのものうい枝々にしずかにかようのである。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
車中の客を見れば、痩せて色蒼き男のまだらに染めたる寢衣ねまきを纏ひて、ものうげにり坐せるなり。馭者は疾く下りて、又二たび三たび其鞭を鳴し、直ちに馬をぎ替へたり。
女は相変らず袖を顔にしたぎり、何んといわれようとも、ものうげに顔を振っているばかりだった。
曠野 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)