前栽せんざい)” の例文
ごめんと通って——藤吉郎は門内の前栽せんざいたたずんだ。庭へ通う道と、入口へ向う道との、いずれへ通ったものか一思案という顔だった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔わざ/\都の橐駝師うゑきやを連れて來て造らせたといふ遠州流ゑんしうりう前栽せんざいも殘らず草にうづもれて、大きな石の頭だけがニヨキツと見えてゐた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
向う前栽せんざい小縁こえんの端へ、千鳥と云ふ、其の腰元こしもとの、濃いむらさきの姿がちらりと見えると、もみぢの中をくる/\と、まりが乱れて飛んでく。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
私は湯上りの身体からだを柔かい褞袍どてらにくるまりながら肱枕をして寝そべり、障子を開放した前栽せんざいの方に足を投げ出してじっと心を澄ましていると
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
前栽せんざいは中世の上品な新語で、もとは庭園のことであったのだが、農家では屋敷に接した汁の実用の畠を、この前栽の名で呼んでいたのである。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
晴れた秋の日のさわやかなひる過ぎに、父が珍しくも前栽せんざいに出て、萩がたわゝに咲いているみずのほとりに、ぼんやりと石に腰かけていたことがあった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
食堂から奥の座敷へ通うところは廻廊風に出来ていて、その間に静かな前栽せんざいがある。可成かなり広い、植木の多い庭が前栽つづきに座敷の周囲まわり取繞とりまいている。
刺繍 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小さい庭にしゃれた姿の竹が立っていて、草の上の露はこんなところのも二条の院の前栽せんざいのに変わらずきらきらと光っている。虫もたくさん鳴いていた。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
今しがたまで見えた隣家の前栽せんざいも、蒼然そうぜんたる夜色にぬすまれて、そよ吹く小夜嵐さよあらしに立樹の所在ありかを知るほどのくらさ。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
これではならぬと思い、私は考えた末、これを私の前栽せんざいへ解放してやろうと思った。前栽には大きな石が積み重ねてあり、その上には稲荷いなり様がまつってあった。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
しかし島君はこう訊かれても早速にいらえをしようともしない。ふと彼女は立ち上がった。フラフラと縁先へ歩いて行き、かぐわしい初夏の前栽せんざいへつとその眼を走らせたが
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
地震で焼けた向島むこうじまの梵雲庵は即ち椿岳の旧廬きゅうろであるが、玄関の額もれんも自製なら、前栽せんざい小笹おざさの中へ板碑や塔婆を無造作に排置したのもまた椿岳独特の工風くふうであった。
私たちが前栽せんざいを廻って洋館へ行こうとすると、母屋の表座敷、昼は葬場であった所に四名の坊さんが並び、多門老人と由良婆さまを混えて食膳についているではないか。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
御影石みかげいしだたみの路を十間ばかりも行くと、冠木門かぶきもんがあって、そこから中庭になる。あまり樹の数をおかない上方かみがたふうの広い前栽せんざいで、石の八ツ橋をかけた大きな泉水がある。
顎十郎捕物帳:16 菊香水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
御部屋は竹縁ちくえんをめぐらせた、僧庵そうあんとも云いたいこしらえです。縁先に垂れたすだれの外には、前栽せんざいたかむらがあるのですが、椿つばきの油を燃やした光も、さすがにそこまでは届きません。
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
十七の時にはもう国司の宣旨せんじが下った。ところが筑紫へ赴任する前に、ある日前栽せんざいで花を見ていると、内裏だいりを拝みに来た四国の田舎人たちが築地ついじの外で議論するのが聞こえた。
こう思っていると、前栽せんざいをまわって五人の武士がはいって来た。なかに一人、塗笠を冠った者がいて、その者だけがそこで笠をぬぎ、刀を侍者に渡して、こちらへ進んで来た。
泥棒と若殿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
含んでいるうちに珠玉たまの溶けてゆくような気持を喜んで、一杯、一杯と傾けている——蚊遣火かやりびけむり前栽せんざいから横になびき、縦に上るのを、じっと見ている様子は、なんのことはない
で来りて、御とぶらひのよし申しつるに、入らせ給へ、一三二物隔ててかたりまゐらせんと、はしの方へ膝行ゐざり出で給ふ。彼所かしこに入らせ給へとて、一三三前栽せんざいをめぐりて奥の方へともなひ行く。
おもふに前栽せんざいの訛にして、往時むかし御前栽畑ありし地なりしを以てなるべし。
水の東京 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
綺麗好きれいずきな島田は、自分で尻端折しりはしおりをして、絶えず濡雑巾ぬれぞうきんを縁側や柱へ掛けた。それから跣足はだしになって、南向の居間の前栽せんざいへ出て、草毟くさむしりをした。あるときはくわを使って、門口かどぐち泥溝どぶさらった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
川べりの前栽せんざいに植え込のある、役員の住みそうな家であった。
幼年時代 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ひと住まぬ大き家の戸をあけ放ち、前栽せんざいに面した座敷に坐り
詩集夏花 (新字旧仮名) / 伊東静雄(著)
前栽せんざい
一握の砂 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
光悦はその時から、灰屋の門の前に立って、そこの鳴子に訪れを通じ、ほうきを持って出て来た下僕しもべに案内されて、前栽せんざいの中へ入っていた。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一體いつたい、これには、きざみねぎ、たうがらし、大根だいこんおろしとふ、前栽せんざいのつはものの立派りつぱ加勢かせいるのだけれど、どれもなまだからわたしはこまる。
湯どうふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
夜になると前栽せんざいの草葉のがさ/\と鳴るのが物凄く、とき/″\遠くの方で鹿や狐のくこえが谷間にこだまする。
小さい前栽せんざいと玄関口の方の庭とを仕切った板塀いたべいの上越しに人の帰るのを見ると、蝙蝠傘こうもりがさかざして新しい麦藁むぎわら帽子をかぶり、薄い鼠色ねずみいろのセルの夏外套なつがいとうを着た後姿が
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
神棚が店の間に二つ、仲の間に大きいのが一つ、庭に二つ、薬屋だったからその製造場に一つ、前栽せんざい稲荷いなり様が一つ、仏間に仏壇が一つ、合計すると相当の数に上った。
それに人間が干渉をして、前栽せんざいと名づけたわずかな草むらに七草を雑居させてみたり、はなはだしきは一鉢の平たい土器に、小さくしてことごとく花を咲かしめようとする。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
椿岳の伝統を破った飄逸ひょういつな画を鑑賞するものは先ずこの旧棲を訪うて、画房や前栽せんざいただよう一種異様な蕭散しょうさんの気分に浸らなければその画を身読する事は出来ないが、今ではバラックの仮住居かりずまい
家はよりも荒れまさりけり。なほ奥の方に進みゆく。前栽せんざい広く造りなしたり。池は水あせて水草みくさも皆枯れ、一九三やぶ一九四かたぶきたる中に、大きなる松の吹き倒れたるぞ物すざまし。
その部屋は表庭つづきの前栽せんざいを前に、押入れ、床の間のついた六畳ほどの広さで、障子の外に見える古い松の枝が塀越へいごしに高く街道の方へ延びているのは、それも旧本陣としての特色の一つである。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
前栽せんざいの水の名誉でございます」
源氏物語:02 帚木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
内は前栽せんざいから玄関もほかの青楼せいろうとはまるで違う上品なやかたづくりだ。長い廊から廊の花幔幕はなまんまくと、所々の鴛鴦燈えんおうとうだけがなまめかしいぐらいなもの。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
借家普請ぶしんの新建ちで二階が三間に階下が四間前栽せんざいも何もない家で家賃五十五円と云うのですから、まだ見ていないのですけれども狭さは想像されます。
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
前栽せんざい強物つはものの、はないたゞき、蔓手綱つるたづな威毛をどしげをさばき、よそほひにむらさきそめなどしたのが、なつ陽炎かげろふ幻影まぼろしあらはすばかり、こゑかして、大路おほぢ小路こうぢつたのも中頃なかごろで、やがて月見草つきみさうまつよひぐさ
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
大太刀をさしたわらじ穿きの男が、前栽せんざいがきをたてとして、後ろ向きにつッ立っていたのであった。——何者だろうか。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前栽せんざいつくろはせ給へる頃人々あまた召して御遊ぎょゆうなどありける後定家ていか中納言ちゅうなごんいまだ下﨟げろうなりける時に奉られける
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
曰く、これでは地味が荒れ果てる、無代ただで広い背戸を皆借そうから、胡瓜きゅうりなり、茄子なすなり、そのかわり、実のない南瓜を刈取って雑草を抜けという。が、肥料なしに、前栽せんざいもの、実入みいりはない。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
この辺はもう本丸の玄関に近い前栽せんざいらしく、所々に、枝ぶりのよい男松が這っていてふるいにかけたような敷き砂が光っていた。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
る日彼女は所在なさに、例年のように葭簀張よしずばりの日覆ひおおいの出来たテラスの下で白樺しらかばの椅子にかけながら、夕暮近い前栽せんざいの初夏の景色をながめていたが、ふと
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
すると、ほとんどそれと入れちがいに、一ちょう法師轎ほうしかごが、供僧ともそう二人をしたがえて、玄関さきの前栽せんざいへしずしずと入って来た。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とある渡殿わたどの勾欄こうらんのもとにうずくまって、所在なさそうに前栽せんざいのけしきを眺めている自分の童姿であった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
御堂へ向って前栽せんざいの両側に、これから、城主と親鸞とが手ずからくわを持って、ふたつの樹を植える式があるというので——。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前栽せんざいの八つ手の葉の乾いた上にパサリと物の落ちる音がしたので、机にったなり手を伸ばして眼の前の障子を開けて見ると、ついさっきまで晴れていた空がしぐれて来て
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そしてりょうに、足もとの土をすくい取り、それを持ったまま彼方へ向って歩きだした。前栽せんざいから大庭へ入ったひだりに、まろい山芝の築山がある。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「又此の男の家には、前栽せんざい好みて造りければ、面白き菊などいとあまたぞ植ゑたりける」
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ひとつ、ひとつ、前栽せんざいの飛び石をさぐりながら、弦之丞とお綱とは黙々としておぼろな影を新吉の後に添わせてゆく。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幸子は、前栽せんざいに丈高く伸びた紅白のはぎが散りかかっているのを眺めながら、母が亡くなった時の、あの箕面みのおの家の庭の風情ふぜいを想い出していたが、男たちの多くは欧洲戦争のことを話題に上せた。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)