黒繻子くろじゅす)” の例文
日の光は、相変わらず目の前の往来を、照りしらませて、その中にとびかうつばくらの羽を、さながら黒繻子くろじゅすか何かのように、光らせている。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
黒繻子くろじゅすの帯の間からコンパクトを出して微醺びくんを帯びた顔の白粉おしろいを直してから、あたりをそっと見廻して、誰もいないのを確かめると
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
たるんだ声で答えながら、足許も覚束おぼつかなく出て来たのは、茶の単衣ひとえに、山の出た黒繻子くろじゅすの帯をしめた、召使いらしい老婆であった。
格子がいて、玄関に、膝をついて出迎える女中たち。揃って、小豆あずきっぽい唐桟柄とうざんがらに、襟をかけ、黒繻子くろじゅすの、粋な昼夜帯の、中年増だ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
将曹の愛妾、お高が、真紅の襟裏を、濃化粧の胸の上に裏返して、支那渡りの黒繻子くろじゅす、甚三紅の総絞りの着物の、裾を引いて入って来た。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
着つけは桃に薄霞うすがすみ朱鷺色絹ときいろぎぬに白い裏、はだえの雪のくれないかさねに透くようなまめかしく、白のしゃの、その狩衣を装い澄まして、黒繻子くろじゅすの帯、箱文庫。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
彼は前にも幾度かそうして見たのであったが、もう一度機械的に黒繻子くろじゅすえりを引き開け、奇蹟にでもすがるようにぐっと胸へ手を差し入れた。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
思ひ切つたる大形の浴衣ゆかたに引かけ帯は黒繻子くろじゅすと何やらのまがひ物、ひらぐけが背の処に見えて言はずと知れしこのあたりの姉さま風なり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
女なら御母おっかさんか知らん。余は無頓着むとんじゃくの性質で女の服装などはいっこう不案内だが、御母さんは大抵黒繻子くろじゅすの帯をしめている。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
郵便局の為替かわせ受け口には、黒繻子くろじゅすとメリンスの腹合はらあわせの帯をしめた女が為替の下渡さげわたしを待ちかねて、たたきを下駄でコトコトいわせている。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
官吏の家庭とはまるで世界の違う下町生活の話を聴いて異常な好奇心と憧憬から自分から進んで黒繻子くろじゅすえりのおかみさんになったのであった。
とと屋禅譚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「ヘエ、——二、三年前まで坊っちゃんの腰へ下げておりました。黒繻子くろじゅすに金糸で定紋じょうもんを縫出した、立派な品でございます」
つたは、旅汚たびよごれのした櫛巻くしまきに、唐桟縞とうざんじまの襟つきを着て、黒繻子くろじゅすの帯をはすむすびに、畳へ片手を落として、ぺたんと横坐りにすわっている。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
櫛巻くしまきとかいうものに髪を取上げて、小弁慶こべんけいの糸織の袷衣あわせと養老の浴衣ゆかたとを重ねた奴を素肌に着て、黒繻子くろじゅす八段はったんの腹合わせの帯をヒッカケに結び
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
悠々と萌黄真田さなだの胴締を解き、黒繻子くろじゅすの風呂敷を開いて桐まさの薬箱、四段抽斗ひきだし、一番下から銀のさじに銀の文鎮、四角に切った紙を箱の上に八、九枚
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
色の白い愛嬌あいきょうのある円顔まるがお、髪を太輪ふとわ銀杏いちょう返しに結って、伊勢崎の襟のかかった着物に、黒繻子くろじゅすと変り八反の昼夜帯、米琉よねりゅうの羽織を少し衣紋えもんはおっている。
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
けさほどもはでな黄八丈きはちじょうに、黒繻子くろじゅすの昼夜帯、銀足の玉かんざしを伊達だてにさして、何を急いでおるのか、あたふたと駕籠を気張って出かけましたようでござります
右門捕物帖:30 闇男 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
三十がらみの年恰好で、櫛巻に髪を結んで居り、絞りの単衣に黒繻子くろじゅすの帯、塗りの駒下駄を穿いている。腰の辺りに得も云われない、毒々しい迄の色気があった。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
葉子は黒繻子くろじゅすえりのかかった、綿のふかふかする友禅メリンスの丹前を着て机の前に坐っていたが、文房具屋で買った一輪しに、すでに早い花が生かっていて
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そのたえなる顔は紫ビロードの帽子に縁取られ、その身体は黒繻子くろじゅす外套がいとうの下に隠されていた。長い上衣の下からは絹の半靴はんぐつにしめられた小さな足が少し見えていた。
黒襟かけた三すじ縦縞たてじまの濃いお納戸なんどの糸織に包んで、帯は白茶の博多と黒繻子くろじゅす昼夜ちゅうや、伊達に結んだ銀杏返いちょうがえしの根も切れて雨に叩かれた黒髪が顔の半面を覆い、その二
柳川紬やながわつむぎあわせ一枚、これも何うも柳川紬と云うと体裁がいが、洗張あらいはりをしたり縫直ぬいなおしたりした黒繻子くろじゅすの半襟が掛けてあるが、化物屋敷のみすのようにずた/\になって
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
急いでほっぺたの汚れているのも拭かずに、飛んで来て介抱をしたのでめられ、燕は黒繻子くろじゅすの引掛け帯などをしているうちに、少し遅くなって碌々ろくろく死水も取らなかった。
私は盲縞めくらじまの腹がけをつけ、黒繻子くろじゅすの襟に「小若、花園」とひなたとかげに染め抜いた浅黄縮緬の祭絆纏まつりばんてんを羽織り、豆絞まめしぼりの手拭を喧嘩かぶりにして、また家を飛び出した。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
名高い歌妓うたひめ黒繻子くろじゅすえりを掛けて、素足で客を款待もてなしたという父の若い時代を可懐なつかしく思った。しばらく彼は、樺太からふとで難儀したことや、青森の旅舎やどやわずらったことを忘れた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
御用を勤める時の支度で、木綿中形の単物に黒繻子くろじゅすの帯を締めていたのである。奥の口でりよは旅支度の文吉と顔を見合せた。そして親の病気が口実だと云うことを悟った。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その朝も芸者のちょいちょいらしい、黒繻子くろじゅすえりの着いた、伝法でんぽう棒縞ぼうじま身幅みはばの狭い着物に、黒繻子と水色匹田ひった昼夜帯ちゅうやおびをしめて、どてらを引っかけていたばかりでなく
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
軽い緞子どんすの羽根布団を、寝床の下へ無造作に掴みけて、未亡人の腹部に捲き付いている黒繻子くろじゅすの細帯に手をかけたのであったが、その時に私はフト奇妙な事に気が付いた。
一足お先に (新字新仮名) / 夢野久作(著)
パッとしたお召の単衣ひとえ黒繻子くろじゅすの丸帯、左右の指に宝石たま入りの金環あたえ高かるべきをさしたり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
あるかなきかのおしろいのなまめき——しっとりとしたれの色のびんつき、銀杏いちょうがえしに、大島の荒い一つ黒繻子くろじゅすの片側を前に見せて、すこしも綺羅きらびやかには見せねど
大橋須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
棒縞お召のあわせ黒繻子くろじゅすの帯、えりのついた袢纒はんてんをひっかけた伝法な姿、水浅黄みずあさぎ蹴出けだしの覗くのも構わずみだらがましく立膝たてひざをしている女の側に、辰次郎が寒そうな顔で笑っていた。
お美津簪 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
後の作者は二人がしににゆく姿をえがくが如くに形容して、お染に対しては「おんな肌には白無垢むくや上にむらさき藤の紋、中着なかぎ緋紗綾ひざや黒繻子くろじゅすの帯、年は十七初花はつはなの、雨にしおるる立姿たちすがた
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
着附きつけ盲目縞めくらじまの腹掛の上に、紫の肩いれある、紺と白とのらんたつの銘撰めいせんに、絳絹裏もみうらをつけ、黒繻子くろじゅすの襟かけたるを着、紺の白木の三尺を締め、尻端折しりはしょりし、上に盲目縞の海鼠襟なまこえり合羽かっぱ
黒繻子くろじゅすを蝶結びにした大きな房のついた切株のような舞踏靴とであった。
鐘塔の悪魔 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
丁度その時分向うの隅のたった一人の同乗者が、突然立上って、クッションの上に大きな黒繻子くろじゅす風呂敷ふろしきを広げ、窓に立てかけてあった、二尺に三尺程の、扁平へんぺいな荷物を、その中へ包み始めた。
押絵と旅する男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかし、この人っ子一人見えぬ、灯一つないこの場所では、すでに、闇の中に海もひっそりと寝て、黒繻子くろじゅすのような鈍い光沢を放ち、かすかに渚をあらう波が、地球の寝息のように、規則正しく
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
紺の暖簾のれんを張った広い店先きにミシンを置いて、桃割ももわれに結った町子が、黒繻子くろじゅすえりをかけてミシンを踏んでいるところは、早稲田わせだの学生達にも評判だったとみえて、学生達が足袋をあつらえに来ては
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
洗い髪にして、縞物の裾を長目に、素足を見せて、黒繻子くろじゅすの帯を引ッかけ結びにした、横櫛よこぐしの女、いうまでもなく、軽業お初だ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
そうしてその時の母の服装なりは、いつも私の眼に映る通り、やはり紺無地こんむじ帷子かたびらに幅の狭い黒繻子くろじゅすの帯だったのである。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
お媼さんは薄い髪を切り下げにして幅のせまい黒繻子くろじゅすの丸帯を、貝の口に結び上げた、少し曲った腰を、たたきたたき
かやの生立 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
さみしそうに打傾く、おもてに映って、うなじをかけ、黒繻子くろじゅすの襟に障子の影、薄ら蒼く見えるまで、戸外おもては月のえたる気勢けはい
女客 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
毛筋をびんに差して、襟の掛った小袖、結び下げた黒繻子くろじゅすの帯は、少し猫じゃらしに尻を隠します。
何を思うのでありましょうか、手を黒繻子くろじゅすの間に入れて、男の寝顔をしみじみとながめている。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
黒繻子くろじゅすえりのかかった着物を着て水茶屋の暖簾のれんのかげに物思わしげな女のなまめかしさ。極度に爛熟らんじゅくした江戸趣味は、もはや行くところまで行き尽くしたかとも思わせる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
お庄はジミな絣に、黒繻子くろじゅすの帯などを締めて、母親を世話した近所の家まで訪ねて行った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
鴛鴦おしどり鹿をかけたり、ゆいわた島田にいったり、高島田たかしまだだったり、赤い襟に、着ものには黒繻子くろじゅすをかけ、どんなよい着物でも、町家ちょうかだからまえかけをかけているのが多かった。
黒繻子くろじゅすえりの掛かったねんねこ絆纏ばんてんを着て、頭を櫛巻くしまきにした安の姿を、瀬戸は無遠慮に眺めて、「こんなお上さんの世話を焼いてくれる内があるなら、僕なんぞも借りたいものだ」
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
阿古屋の髪の毛を一本一本に黒繻子くろじゅすをほごして植えてあるばかりでなく、眼のたまにはお母様の工夫でにかわを塗って光るようにし、緋縮緬ひぢりめんの着物に、白と絞りの牡丹を少しばかり浮かし
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
そのとき、広間の北側のドアが、さっと左右に開いて、金ぴかの将軍が十二人と、それからひじのぬけそうな黒繻子くろじゅすの中国服を着た金博士とが、ぞろぞろと立ち現れて、そのもうけの席についた。
彼が地面へ伏し沈み、やがて立って歩き出したその後へ、長い、巾の小広い、爬虫類を——くちなわを産み落としたのである。しかしそれは、黒繻子くろじゅすと、紫縮緬とを腹合わせにした、女帯であった。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)