すみれ)” の例文
堂とは一町ばかりあわいをおいた、この樹のもとから、桜草、すみれ、山吹、植木屋のみちを開きめて、長閑のどかに春めく蝶々かんざし、娘たちの宵出よいでの姿。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すみれ」はモーツァルトの歌曲のうちでも、佳作の一つとされているが、ビクターのオネーギン(一五五六)は豊かな美しさに恵まれる。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
先生はそこにあった鉢植えのすみれの話が出ると、花をみつめていながら呟いた。先生はこれまで花などに趣味をもったことはなかった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ちょうは一つのすみれにしか止まらないというわけはない。あなたはこの事を今は特に著しく、重大に感じていられる。さもあることです。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
薔薇ばら色、丁子色、朱色、土耳古トルコだま色、オレンジ色、群青、すみれ色——すべて、繻子しゅすの光沢を帯びた・其等の・目もくらむ色彩に染上げられた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
やゝしばらくすると大きな無花果の少年こどもほゝの上にちた。るからしてすみれいろつやゝかにみつのやうなかほりがして如何いかにも甘味うまさうである。
怠惰屋の弟子入り (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
すみれ、たんぽぽ、げんげ、桜草、———そんな物でも畑のあぜや田舎道などに生えていると、たちまちチョコチョコと駆けて行って摘もうとする。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その白牡丹のような白紗の鰭には更にすみれふじ、薄青等の色斑があり、更に墨色古金色等の斑点も交って万華鏡まんげきょうのような絢爛
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
クロバーも百合ゆりもチュウリップも三色すみれも御意のままに、この春の花園は、アパートの屋根裏にも咲いて、私の胃袋を済度してくれます。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
でも「さび」にとらわれないで、ある生命——実は、既に拓かれた境地だが——を見ようとして居る。「山路来て 何やら、ゆかし。すみれぐさ」
歌の円寂する時 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
当日昭憲皇太后さまは、純白の御洋服に、胸のところに紫のすみれの花束をお飾りになった、神々しいお姿でお成り遊ばしました。
お蝶夫人 (新字新仮名) / 三浦環(著)
夢の世を夢よりもあでやかながめしむる黒髪を、乱るるなと畳めるびんの上には、玉虫貝たまむしかい冴々さえさえすみれに刻んで、細き金脚きんあしにはっしと打ち込んでいる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして、すみれが咲き、清水が湧き出す小溝には沢蟹の這いまわるあの新道を野道へ抜けてブラブラと、彼のねぐらに帰るのであった。
禰宜様宮田 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ゲーテのすみれという詩に、野の菫がわかき牧女に踏まれながら愛の満足を得たというようなことがある。これが凡ての人間の真情であると思う。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
彼女の怜悧れいりな指先は一々見分けていた。枯れつたの幹や色せたすみれなどを静かに引き抜いた。立ち上がる時に、彼女は板石の上に手をついた。
われわれは今日こんにち春の日のうるわしい自然美を歌おうとするに、どういう訳で殊更ことさらダリヤとすみれの花とを手折たおって来なければならなかったのであろう。
霊廟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
東風こち すみれ ちょう あぶ 蜂 孑孑ぼうふら 蝸牛かたつむり 水馬みずすまし 豉虫まいまいむし 蜘子くものこ のみ  撫子なでしこ 扇 燈籠とうろう 草花 火鉢 炬燵こたつ 足袋たび 冬のはえ 埋火うずみび
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
矢車の花はこの国では野生の物であるから日本で見るよりも背が低く、すみれかと思はれる程地をつて咲いて居る。自分が下車かしやすると、例の様に
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
小畑が送ってくれた丘博士訳おかはかせやくの進化論講話が机の上に置かれて、その中ごろにすみれの花が枝折しおりの代わりにはさまれてあった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
自分はそのなめらかな石のおもてに、ちらばっているすみれの花束をいかにも樗牛にふさわしいたむけの花のようにながめて来た。
樗牛の事 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
岩壁の窪みには、すみれ色をした影が拡がっていて、沖からかけての一面の波頭は、夕陽のをうけて黄色い縞をなしていた。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
それよりももっと規模の大きな微温室テピダリウム……油湯エレオテジウム……塗膏室……納涼室ラコニクム……化粧室……すみれの薫りのする清冽な水を噴き上げている屋内噴水池……。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
だが、じつは半分は歌を作ってあるくんだからおもしろい。それこそかまやしねえ。山路などにかかるてえとすみれが咲いてる、四十雀しじゅうがらが鳴いてる。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
マリヴロンはかすかにといきしたので、その胸の黄やすみれの宝石は一つずつ声をあげるように輝きました。そして云う。
マリヴロンと少女 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
うつくしいすみれ色の大きな星が空に輝いている——と思ったが、それはどうやら燈火あかりであるらしい。燈台の灯でもあろうか。かなり高いところにある。
海底都市 (新字新仮名) / 海野十三(著)
春は処々に菜の花が咲き乱れて、それがかすんだ三笠連山の麓までつづいているのが望見される。畔道あぜみちに咲く紫色のすみれ、淡紅色の蓮華草れんげそうなども美しい。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
黒味を帯びてゆく心には失われ行く色である。それに反して、緑、青、すみれは魂の薄明視はくめいしに未だ残っている色である。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
私はすみれという草の地方の名称を比べて見ました。この植物の命名法は、全国を通じてず三種類に分れております。
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語シノニムだ。星とすみれだって、シノニムじゃないか。アントでない」
人間失格 (新字新仮名) / 太宰治(著)
天井から釣るされた龕灯の灯も、眼を射るような白色ではなく、軟い眠りをさそうような、すみれのような色であった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
かもの河原には、丸葉柳まるはやなぎが芽ぐんでいた。そのこいしの間には、自然咲のすみれや、蓮華れんげが各自の小さい春を領していた。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
すると突然私の鼻さきにすみれの花が咲いた。それは安価香水のにおいと田園の露を散らして私の洋襟カラアを濡らした。
踊る地平線:09 Mrs.7 and Mr.23 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
尤も南をうけた崖下がけしたの暖かいくまなぞには、ドウやらするとすみれの一輪、紫に笑んで居ることもあるが、二月は中々寒い。下旬になると、雲雀ひばりが鳴きはじめる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
僕、はじめ、紙ぎれか、それとも、白いすみれだろうと思ってたんだもの。だから、手を出す気にならなかったの。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
すみれのことをば太郎坊次郎坊といいまするから、この同じような菫の絵の大小二ツの猪口の、大きい方を太郎坊、小さい方を次郎坊などと呼んでおりましたが
太郎坊 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
お銀様は、その一茎の花を今度は自分の鼻頭はなづらへあてがって、すみれに酔うが如く、むさぼり嗅ぐのでありました。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
黒と白だけの着付で、ネットのついたトーク型の帽子の小さなすみれの花束が、ただひとつの色彩になっている。
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
山部赤人の歌で、春の原にすみれみに来た自分は、その野をなつかしく思って一夜宿た、というのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
その側に美しいすみれの花が咲いていて、その隣りに新しい犬の糞が堆っているというごときことを至る所で実見するが、これがすなわち小規模の自然の見本である。
菊のちぢれた花と薔薇の房とが重なり合い、含羞草ねむりぐさは、その黄金こがね色の花粉をすみれの束の上に散らしていた。
碧眼 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
季節は春、時は夕、丘は青草の香高く、坐するほとりにすみれ蒲公英たんぽぽも咲いていたであろう。脚下には夕暮れのガリラヤ湖が、さざなみも立てずして鏡よりも静かである。
道に草が萌え、花が咲きはじめると、彼は色の変ったすみれを根ごと抜いていっては墓のまわりに植えた。
日本婦道記:おもかげ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
かれが不愉快な心持ちで戻つて來た時、お鳥が同倶樂部へ伴はれて行く用意を濟まして、義雄の机に横ずわりにもたれ、むろ咲きのにほひすみれを頻りに鼻に當ててゐた。
一つのしゃりこうべの穴のところに、毎年のように紫色をした威勢のいい凜としたすみれの花が咲いた。
しゃりこうべ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
君は僕の「色眼鏡いろめがねの魔法」というものを多分記憶しているだろう。僕が手製でこしらえたマラカイト緑とメチールすみれの二枚の色ガラスを重ねた魔法眼鏡の不気味な効果を。
悪霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
やがていろんな色がごっちゃになって、こんがらがってしまう、蒲公英たんぽぽがちゃらちゃらと鳴ったり、橇の鈴やすみれが雪のなかで花を開いたり。そしてあなたは眠ります。
少年・春 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
年とったあによめだけは山駕籠やまかご、その他のものは皆徒歩で、それから一里ばかりある静かな山路やまみちを登った。路傍に咲く山つつじでも、すみれでも、都会育ちの末子を楽しませた。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
みやますみれいむらさき色、白りんどうの気高けだかい花、天狗てんぐ錫杖しゃくじょう松明たいまつをならべたような群生ぐんせい、そうかと思うと、弟切草おとぎりそうがやのや、蘭科植物らんかしょくぶつのくさぐさなどが
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『ジユウルはまだあの綺麗な三色すみれや普通の菫の事を忘れてゐますね。』とエミルが云ひました。
人の天青し、海青し、すみれの花青しといふを聽きて、われは董の花の香を聞き、そのめでたさを推し擴めて、天のめでたかるべきをも海のめでたかるべきをも思ひ遣りぬ。