気遣きづか)” の例文
旧字:氣遣
ましてぽん引きの長蔵さんなどに対して、神聖なる羞恥しゅうちの血色を見せるなんてもったいない事は、夢にもやる気遣きづかいはありゃしない。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし山馴れない政子はと、時折、気遣きづかって振向いたが、政子は、懸命に山椿やまつばきの枝や笹の根にすがって、後からじて来るのだった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてこの公生涯の裏面に、綱宗の気遣きづかふも無理ならぬ、暗黒なる事情が埋伏してゐた。それは前後二回に行はれた置毒ちどく事件である。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
彼は少なくとも敗者となる気遣きづかいはない。神は既に彼の無罪を証拠立てたのである。相手の有罪の証迹は次いであらわれることであろう。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
「まあまあ、わたしの家へお寄りなさい、どちらに致せ今晩はお泊りなすっておいで、ナニ、気遣きづかいなものは一人もおりませんよ」
ですからこの世の中でどんなに貴い物を差し上げても、どんなに面白い物を御目にかけても、御喜びになる気遣きづかいはあるまいと思います。
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
李陵は例によって漢との戦いには陣頭に現われず、水北に退いていたが、左賢王の戦績をひそかに気遣きづかっているおのれを発見して愕然がくぜんとした。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
春の彼岸には風なほ寒くして雨の気遣きづかはるる日もまた多きをや。花見の頃は世間さわがしければ門をいづる心地もせざるべし。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
おじいさんは、かみさまというものは、一人ひとり子供こどもをこのなかおくるために、これほど気遣きづかわれるものかということをはじめてりました。
いいおじいさんの話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
こんな老朽ろうきゅうからだんでもいい時分じぶんだ、とそうおもうと、たちまちまたなんやらこころそここえがする、気遣きづかうな、ぬことはいとっているような。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
ですからね、その頃はただ気遣きづかいな、こわい方だったけれども、肩なんかんであげるように成ってから、だんだんこわくなくなりましたよ。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
妻をうたい子を詠う歌は勿論もちろん、四季おりおりの気遣きづかいや職務とか人事、または囚人の身の上をしのぶ愛情の美しさなど、百三十二ほどのそれらの歌は
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
道も漸く覚束おぼつかなく、終には草ばかりになってしまう、帰りの時間も気遣きづかわれる、足も痛み出した、山の見えぬのは残念だが終に引返すことにした。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
少しぐれえ焼けなくっても構った事はねえ、もう来月から一杯いっぺいに氷が張り、来年の三月でなければ解けねえから、知れる気遣きづかえはねえが、どうだえ
間道かんどうの守備 私は荷持にもち二人を気遣きづかいながら四十里の路を六日間かかってヒマラヤ山中のツクジェという村に着きました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「そりゃ考えて見るけれど、私、柳沢さんなんか、あなたの友達に身を任すなんてそんなことをする気遣きづかいはない」
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
七蔵本性をあらわして不足なき身に長半をあらそえば段々悪徒の食物くいものとなりてせる身代の行末ゆくすえ気遣きづかい、女房うるさく異見いけんすれば、何の女の知らぬ事
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
お増は気遣きづかわしげに訊ねた。何か、思いがけない破綻はたんが来はしないかという懸念が、時々お増の心を曇らせた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
篠田の寂しき台所の火鉢にりて、首打ち垂れたる兼吉かねきち老母はゝは、いまだ罪も定まらで牢獄に呻吟しんぎんする我が愛児の上をや気遣きづかふらん、折柄誰やらんおとなふ声に
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
みんな、お前さんの身の上を気遣きづかって、お前さんの落着くところを、見届けたいと思う一心からじゃないか。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
千代子の年とった乳母うばが主人の安否を気遣きづかって、態々わざわざ沖の島へ彼女をお迎いにやって来た時、廣介は、島の地下を穿うがって建築した壮麗な宮殿の玉座に坐って
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
折ふし霜月しもつきの雨のビショビショ降る夜をおかしていらしったものだから、見事な頭髪おぐしからは冷たいしずくしたたっていて、気遣きづかわしげなお眼は、涙にうるんでいました。
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
いたくもこの弁論に感じたる彼の妻は、しばしば直道の顔を偸視ぬすみみて、あはれ彼が理窟りくつもこれが為にくじけて、気遣きづかひたりし口論も無くて止みぬべきを想ひてひそかよろこべり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
すると高ちャんという子の声で「年ちャんそんなに打つと化けるよ化けるよ」とやや気遣きづかわしげにいう。
飯待つ間 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
五、六歳の頃好きな赤飯を喰い過ぎて腹をこわした結果「脳膜焮衝のうまくきんしょう」という病気になって一時は生命を気遣きづかわれたが、この岡村先生のおかげで治ったそうである。
追憶の医師達 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「どうしたんだい、坂本さん」微笑ほほえんでいる清さんは、本当に、ぼくを気遣きづかってくれるのでしょう。「いや、別に」とぼくは、だらしなく悄気しょげた声を出しました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
それに私もお付き申しているから、と言っても随分怪しいものですが、まあまあお気遣きづかいのようなことは決してさせませんつもり、しかしおいやでは仕方がないが。
書記官 (新字新仮名) / 川上眉山(著)
「あ、いいとも——姿なんかやつすことがあるものか、たいら維盛卿これもりきょうと間違えられる気遣きづかいがあるものか、もっとも顎を少し引っ込めなきゃ、直ぐ八五郎と見破られる」
しも気遣きづかひたりし身体にはさはりもなくて、神戸直行ちよくかうと聞きたる汽車の、にはかに静岡に停車する事となりしかば、其夜は片岡かたをかの家族と共に、停車場ステーシヨンちかき旅宿に投じぬ。
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
どこへも落とす気遣きづかいはない。あの女がすったに相違ない。そういえばちょっとおかしかったよ。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
が、なにより困ったのは青果類の欠乏で、そろそろ壊血病の危険が気遣きづかわれるようになってきた。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
なにしろ会場における不満連ふまんれんの総大将けん黒幕くろまくとしてはルーズヴェルト氏みずか采配さいはいを取っているという始末しまつであるから、我々の考えでは珍事ちんじなしには終らぬと気遣きづかったのも
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
しかし、書き置きの文句の割合にしつかりしてゐる点から、わたしには娘の身の上の間違を気遣きづかふ心持はほとんど起らなかつた。わたしは電信受付口で青木家に電報を書いた。
愚かな父 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
家中のものが思わずほっと気息いきをついて安堵あんどしたが、昼になっても昼過ぎになっても出産の模様が見えないで、産婆や看護婦の顔に、私だけに見える気遣きづかいの色が見え出すと
小さき者へ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
なるほど素人目しろうとめにも、この二三日の容体はさすがに気遣きづかわれたのであるが、日ごろ腎臓病なるものは必ず全治するものと妄信していたお光の、このゆゆしげな医者の言い草に
深川女房 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
万年屋の前に荷物の番をさせて置いたせがれの身の上が気遣きづかわれて来ました。一念が子の上に及ぶと、兼松は顔の色が変り、必死となって人波をき分け、元の道へ取って返しました。
新蔵は始気遣きづかって、それからまた腹を立てて、この頃ではただぼんやりと沈んでいるばかりになりましたが、その元気のない容子が、薄々ながら二人の関係を感づいていた母親には
妖婆 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
按摩按腹あんぷくをしても餓えて死ぬ気遣きづかいはない、粗衣粗食などに閉口する男でないと力身込りきみこんで居るようなけで、私が経済上に不活溌かっぱつなのは失敗の極端を恐れて鈍くして居るのですが
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
これではかえって隣りにいる同志はキット俺の健康を気遣きづかっているかも知れない。
独房 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
上の間の唐紙は明放しにして、半ば押しけられた屏風の中には、吉里があちらを向いて寝ているのが見える、風を引きはせぬかと気遣きづかわれるほど意気地のない布団のけざまをして。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
午後から雨催いの空を気遣きづかながら土堤に沿って下り、沖の弁天社から堀、江川、猫実と歩き廻った、川や堀では子供達が鮒をすくっていた、河では沙魚を釣る人が並んでいた、稲は
やよ、黄金丸、今日はなにとてかくはおそかりし。待たるる身より待つわが身の、気遣きづかはしさをすいしてよ。いぬる日の事など思ひ出でて、安き心はなきものを」ト、喞言かことがましく聞ゆれば
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
しかししまりはよさそうゆえ、絵草紙屋の前に立っても、パックリくなどという気遣きづかいは有るまいが、とにかく顋がとがって頬骨があらわれ、非道ひどやつれているせいか顔の造作がとげとげしていて
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
しかしそれを見て久野が気遣きづかっている間に文科の方のヘビーも非常によく効いた。多年の老練で窪田のピッチがぐんぐん上った。「もう十本!」決勝点に入るまでは随分長く感じられた。
競漕 (新字新仮名) / 久米正雄(著)
席がなくなるかもしれないと気遣きづかって、開場の一時間も前から出かけていった。
兄は弟が小さい時感冒から肋膜ろくまくの気になつたのを覚えてゐて、それを気遣きづかつたものゝ、もつと大きな原因は、この兄弟は生まれつき肉体の露出については不思議な羞恥しゅうちの本能を持つてゐた。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
甲板デッキの上は一時すこぶ喧擾けんじょうきわめたりき。乗客は各々おのおの生命を気遣きづかいしなり。
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
シムソンを縛って調べた所で、易々やすやすと云う気遣きづかいはありません。仁科少佐の任務はシムソンを縛る事よりも、どこに書類があるかと云う事を見つけて、一刻も早くそれを取り返す事にあるのです。
計略二重戦:少年密偵 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
彼らは人が危害を加える気遣きづかいがないと落ち着き払って少しぐらい追ってもなかなか逃げ出さない。それでいて実に抜け目なく観察していて、人にその気配がきざすと見るやたちまち逃げ足に移る。
交尾 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
かおかすめて、ひらりとちた桔梗ききょうはなのひとひらにさえ、おと気遣きづかこころから、身動みうごきひとつ出来できずにいた、日本橋通にほんばしとおり油町あぶらちょう紙問屋かみどんや橘屋徳兵衛たちばなやとくべえ若旦那わかだんな徳太郎とくたろうと、浮世絵師うきよえし春信はるのぶ彫工ほりこうまつろう
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)