さいわい)” の例文
全くその株を奪われたる事になりしとかもうし候、この記事が動機となりて、今年より多くの登山者を出すを得ば、さいわいこれに過ぎずとぞんじ
越中劍岳先登記 (新字新仮名) / 柴崎芳太郎(著)
さいわい雨はそこまで行かずあがったが、麦は真黒に穂が腐って、小麦の相場はきまらなかった。植付けのすんだ田でも、肥料を流された。
その年 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
見るとさいわい小家の主人は、まだ眠らずにいると見えて、ほのかな一盞いっさん燈火ともしびの光が、戸口に下げたすだれの隙から、軒先の月明とせめいでいた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
神田から台所町へ、台所町から亀沢町へうつされて、さいわいしおれなかった木である。また山内豊覚が遺言いげんして五百に贈った石燈籠いしどうろうがある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
勝平は、しかり付けるように怒鳴ると、丁度勝彦の身体からだが、多勢の力で車体から引き離されたのをさいわいに、運転手に発車の合図を与えた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
しかしこの絵土瓶えどびんの歴史はさいわいにも時代がまだ良かった時に発足しました。それ故模様は眠ったり死んだりしたものではありません。
益子の絵土瓶 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
さいわいに来る汽車の中で、犯人——あるいは犯人の片割かも知れんが——を見つける事が出来たので、名古屋から電報を打っといたのじゃ。
急行十三時間 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
僕は山口でぐ死んで了おうかと思いました。の時、実に彼の時、僕が思いきって自殺して了ったら、むしろ僕はさいわいであったのです。
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
私達は雲が深く展望がきかなかった為に、平ヶ岳の遠くないことは信じていたが、残雪があったのをさいわいに午後五時頃野営してしまった。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
さいわいにその日は十一時頃からからりと晴れて、垣にすずめの鳴く小春日和こはるびよりになった。宗助が帰った時、御米はいつもよりえしい顔色をして
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
こんなにむなしくいのちをすてず、どうかこのつぎには、まことのみんなのさいわいのために私のからだをおつかいください。ってったというの。
銀河鉄道の夜 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
浮世絵板物にはさいわいにも大抵画工の署名あればフェノロサはこれによりて画工の生死年次を参考としたるは勿論たるべしといへども
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
されど、百万遍のまよごと何のえきなけれど聞いてつかわすべしとの仰せをさいわい、おのが心事を偽らず飾らずただ有りのままに申し上ぐべく候。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
今までの所ではさいわいに、法律上の罪人となることだけはまぬがれて来た。だが、この先どんなことで、もっとひどい罪を犯すまいものでもない。
夢遊病者の死 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
さいわい怪我けがもなかったので早速さっそく投出なげだされた下駄げたを履いて、師匠のうちの前に来ると、雨戸が少しばかりいていて、店ではまだあかりいている。
死神 (新字新仮名) / 岡崎雪声(著)
小児心こどもごころに取って返したのがちょうさいわいと、橋から渡場わたしばまでく間の、あの、岩淵いわぶちの岩は、人を隔てる医王山のいちとりでと言ってもい。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
さいわいなことに弾丸たまはバルメラ男爵の帽子に穴をあけただけであった。そしてとうとうバルメラ男爵とレイモンド嬢は無事に結婚式を挙げた。
ついに前約を果す能はざるをうらむ。もし墨汁一滴の許す限において時に批評を試むるの機を得んかなほさいわいなり。(一月二十五日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
長々は先に着いたのをさいわいに、王さまに向って、兵たいの大将の命を許しておやりになるように、よくおねがいしてやりました。
ぶくぶく長々火の目小僧 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
わたしの住んでいる百人町にはさいわいに火災はないが、淀橋辺には頻繁に火事沙汰がある。こうした事件は冬の初めが最も多い。
貴様のようなペコ腹は、うんと下腹で空気を吸えと随分うるさく説かれたものだ。さいわいこの頃は静坐も下火となったので助かったと思っている。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
私はここの日の出がいいといわれている南風楼へ二度泊って、二度ながら見事な日の出を迎える事が出来たのはさいわいだった。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
その高等官はさいわいにして全快したけれども私の方の心の礼と外の人の形の礼とをいずれがよろこばしく思ったかしらん。世間の事は多くそんなものだ。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
「そんなことをいっていられないのだ。さあさいわいにこの扉はさっきあけたばかりだから、そこをあけて、外へとびだそう」
怪塔王 (新字新仮名) / 海野十三(著)
巫女は鹿爪しかつめらしく、お前が今日わしに逢うたのはせめてものさいわいだ、ここ二三日遅れたらもう取り返しがつかなかった。
この話の進行中、友田喜造のいなかったことが、どれだけ、さいわいしたか知れない。友田は持病の胃潰瘍いかいよう手術のため、大阪の或る病院に入院中であった。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
さいわいに車夫の方で素早く足を留めたからよかったものの、でなければ彼女は大きな飜筋斗とんぼがえりを一つ打って、ひっくりかえり、頭から血を出したことだろう。
些細な事件 (新字新仮名) / 魯迅(著)
でも、さいわいその名刺を失いもせず、くしゃくしゃになってはいたが、思わぬポケットの底から拾い出すことが出来た。
魔像 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
敵のためにも、味方のためにも、双方共に無上のさいわいというべし。故にいわく、市学校は旧中津藩の僥倖ぎょうこうを重ねて固くして真の幸福となしたるものなり。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
いまだ断つに及ばずして、王ついに逸し去る。燕王ほとんど死してさいわいに逃る。天助あるものゝ如し。王おおいに怒り、巨礟きょほうを以て城を撃たしむ 城壁破れんとす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
こんな混乱と危険との間をさいわいにも辛うじてその生命を全うして無事に脱出し得た人々でも自分の住家から大切な家財道具を持ち出す事はまるで不可能で
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
「何よりのさいわいです。しかし、それはあくまで今日の天候のことでございましょうな。それとも上様の御機嫌きげん——」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
さいわいに赤児は、やぎ乳をいた。みんなはほっと一ト安堵をした。生れてからずッと腹をコワしていた赤児は、やっとすこしばかり腹の方がなおりかかった。
童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
目を掛けましたから大きに親子の者も貧苦をまぬかさいわいを得て喜んで居る甲斐もなく、翌年宝暦四年正月の六日年越しの晩に娘の行方が知れなくなったので
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一〇一 旅人豊間根とよまね村を過ぎ、夜け疲れたれば、知音ちいんの者の家に灯火の見ゆるをさいわいに、入りて休息せんとせしに、よき時に来合きあわせたり、今夕死人あり
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それにまたこの二匹の睨み合が、果してどうなるかと思うと、こわいもの見たさに魂を奪われ、さいわいかたわらの立木の陰に身を寄せて、顫えながら見ていました。
(新字新仮名) / 久米正雄(著)
谷は驚いて竜太郎氏を抱き起すとさいわいにも氏はどこも負傷なくまったく一時の昂奮のための卒倒と知れたので、しきりに意識を回復せしめんと介抱している折柄
黄昏の告白 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
まあそんなにいわなくてもいいわ、今日はさいわい町の祭日だ、さあ目出度めでたい。お前も斯様そんなに達者で大きくなって来てくれた。今日はゆるりと一杯鯛の刺身で飲むべえ。
蝋人形 (新字新仮名) / 小川未明(著)
一方、女の宿帳の名は偽名でしたから、これまたさいわいと、県の係の手で仮埋葬ということにして、誰も責任を問われずに済んでしまった、と、これだけの話なんです。
浴槽 (新字新仮名) / 大坪砂男(著)
汝の貧困基督の貧困に勝るや、彼は貧者の友なりし、貧しきものはさいわいなり(路加ルカ六章二十節)との非常の言は彼の口より出でしなり、貧ならざれば基督を悟り難し
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
石川はあとでまた女のことを考えてみたが、どうしても唖の女をれて往くことはできないので、女に場所を知らしてないのをさいわいにしてそのまま逃げて目的の町へ往った。
唖娘 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
さいわいにも晴天だからいいようなものの、これが雨降りでもあったものなら、たまったものではない。
どうかした拍子でふいと自然の好いたまものに触れる事があってもはっきり覚めている己の目はその朧気おぼろげさいわいを明るみへ引出して、余りはっきりした名を付けてしまったのだ。
先生咸臨丸かんりんまる米行べいこうきょありと聞て、予が親戚しんせき医官いかん桂川氏かつらがわしかいしてその随行ずいこうたらんことを求められしに、予はこれさいわいの事なりと思い、ただちにこれをがえんじ、一けんきゅうのごとし。
が、早晩終曲の演奏はあるにしても、さしあたりこの曲が未完成に終ったのはさいわいなことであった。
胆石 (新字新仮名) / 中勘助(著)
課税はさいわいにして、未だいかなる自由国家においても、不断に年々その資本を減少せしめるほどに行われたことはない。かかる課税状態は久しく耐えられ得ないであろう。
そんなふうに、彼はすっかりあまやかされてだめになるところだった。しかしさいわいなことに、彼はまれつきかしこ性質せいしつだったので、ある一人の男のよい影響えいきょうをうけてすくわれた。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
さはれ木枯吹きすさむ夜半よわさいわいおおき友の多くを思ひては、またもこの里のさすがにさびしきかな、ままよ万事かからんのみ、奮励ふんれいばんび出でんかの思ひなきにあらねど
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
さいわいに世界を流るる一の大潮流は、暫くとざした日本の水門を乗り越えくぐけて滔々とうとうわが日本に流れ入って、維新の革命は一挙に六十藩を掃蕩し日本を挙げて統一国家とした。
謀叛論(草稿) (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
さいわいに私は一日のかんを得たので、二三の兵卒を同道して、初対面のこの大伯父の寺を訪れたのである。老僧は八十有余の善智識ぜんちしきであって、最早もう五十年来、この寺の住職である。
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)