“行幸”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
みゆき61.1%
ぎょうこう22.2%
いでまし8.3%
ぎようこう5.6%
イデマシ2.8%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
丸ビルと行幸みゆき道路を隔てて近く姉妹館が建つそうである。それはホテルにするという事である。くて大玄関の左右の翼が完備することになる。
丸の内 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
「あれは建武元年の秋、紅葉のさかり頃。石清水いわしみず行幸みゆきにしたがい、われらも、また足利殿も、供奉ぐぶいたしたことがあった」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明治廿二年二月の憲法発布の日はその夜明けまで雪が降った。上野の式場に行幸みゆきある道筋は、はき清められてあったが、市中の泥濘でいねいは、田の中のようだった。
あの六条院の行幸みゆきのあった直後から朱雀すざく院のみかどは御病気になっておいでになった。
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
即ち明治天皇陛下が即位式そくいしきを挙げ玉うた年、初めて京都から東京に行幸みゆきあった其月東京を西南にる三百里、薩摩に近い肥後葦北あしきた水俣みなまたと云う村に生れたのである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ちょうど去年の秋の大演習を控えて、行幸ぎょうこうを仰ごうという矢先だったもんだから県下一般、大狼狽を極めたらしいんだが、ソイツが立消えになった。
無系統虎列剌 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
行幸ぎょうこう御幸ごこうを仰ぐのはめずらしくない都の男女だったが、朝覲ちょうきん行幸みゆきと知って「……今日ばかりは」の、ひしめきらしい。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そう高宗帝こうそうていきんの兵に追われて、揚子江ようすこうを渡って杭州に行幸ぎょうこうした際のことであった。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
遠く寛永かんえい時代における徳川将軍の上洛と言えば、さかんな関東の勢いは一代を圧したもので、時の主上ですらわざわざ二条城へ行幸ぎょうこうせられたという。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「そうか、そんなおもしろい虫がいるなら、わしも見に行こう」とおっしゃって、すぐにお宮をお出ましになり、奴里能美ぬりのみのおうちへ行幸ぎょうこうになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
かけまくもあやかしこき、いはまくも穴に尊き、広幡ひろはた八幡やはた御神みかみ、此浦の行幸いでましの宮に
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
——ここ、あらゆる行事や行幸いでましも見あわせられて、夜の御殿みとのも、昼の御座ぎょざも、清涼殿せいりょうでんいったいは巨大な氷室ひむろことならなかった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すめらぎのまれ行幸いでまし御供みともする君のさきはひ我もよろこぶ
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
このうたは、持統天皇じとうてんのうのおともをして、いかづちをか——また、神岳かみをかともいふ——へ行幸ぎようこうなされたときに、人麿ひとまろたてまつつたものなのです。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
十二代じゆうにだい景行天皇けいこうてんのうが、筑紫つくし高田たかだ行宮あんぐう行幸ぎようこうされたときには、なが九千七百尺きゆうせんしちひやくしやくのその丸太まるたが、はしになつてかゝつてゐました。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
陪從ミトモ大屋田子オホヤタコ、誅滅云々、」杵島孃子ハヽコ山ノ條ニ「同天皇行幸イデマシ之時
倭女王卑弥呼考 (旧字旧仮名) / 白鳥庫吉(著)