“行幸”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
みゆき61.5%
ぎょうこう20.5%
いでまし10.3%
ぎようこう5.1%
イデマシ2.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
ぼくはこの地にかつて平安朝の無数の都人(みやこびと)やら、白河、鳥羽の諸帝がいくたびも行幸(みゆき)された世代の“昔の顔”を一つ見つけ出した。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行幸(ぎょうこう)や御幸(ごこう)を仰ぐのはめずらしくない都の男女だったが、朝覲(ちょうきん)の行幸(みゆき)と知って「……今日ばかりは」の、ひしめきらしい。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここ、あらゆる行事や行幸(いでまし)も見あわせられて、夜の御殿(みとの)も、昼の御座(ぎょざ)も、清涼殿(せいりょうでん)いったいは巨大な氷室(ひむろ)と異(ことな)らなかった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十二代(じゆうにだい)景行天皇(けいこうてんのう)が、筑紫(つくし)の高田(たかだ)の行宮(あんぐう)に行幸(ぎようこう)されたときには、長(なが)さ九千七百尺(きゆうせんしちひやくしやく)のその丸太(まるた)が、橋(はし)になつて懸(かゝ)つてゐました。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
杵島ノ郡孃子(ハヽコ)山ノ條ニ「同ジ天皇行幸(イデマシ)之時、土蜘蛛八十女(ヤソメ)、又有二此ノ山ノ頂ニ一、常ニ捍二皇命ニ一、不レ肯(アヘ)二降服(マツロヒ)一、於レ茲遣レ兵掩滅、因曰二孃子山一」
倭女王卑弥呼考 (旧字旧仮名) / 白鳥庫吉(著)