かつ)” の例文
かつてランケは云つた、「ゲーテはまた大歴史家になることもできたであらう。けれどもシラーは歴史家たるの天分を有しなかつた。」
ゲーテに於ける自然と歴史 (新字旧仮名) / 三木清(著)
かつてそこに松井源水が住んでいたというのをもって源水横町、その横町が「大風呂」という浴場をもっていたのをもって大風呂横町
雷門以北 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
「僕は本当のことを君に言うが、僕はかつて君に友情を抱いたことは一度もない。此処ここへ来るのも自分の打算から来るのであって——」
(新字新仮名) / 坂口安吾(著)
こうと道衍とはもとよりたがいに知己たり。道衍又かつて道士席応真せきおうしんを師として陰陽術数いんようじゅっすうの学を受く。って道家のを知り、仙趣の微に通ず。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かつてあんなにも恋いこがれていたその人を、一顧いっこの価値もない腐肉の塊であると観じて、清く、貴く、豁然かつぜんと死んで行ったであろうか。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
かつて森田節斎の「項羽本紀」の講義に参ず。これよりして「項羽本紀」を手ずから謄写とうしゃするものおよそ四回、随って批し随って読む。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
だから探偵小説は、かつて流行していた、あらゆる種類の文芸の中から進化し生まれた、より新しい、より深い、より痛い文芸であった。
甲賀三郎氏に答う (新字新仮名) / 夢野久作(著)
手足が冷えると、二階か階下かの炬燵の空いた座を見付けて、そつと温まりに行くが、かつて家族に向つて話を仕掛けたことがなかつた。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
が、焼ける前の昔の面影をしのばすものは、かつて庭だったところに残っている築山つきやまの岩と、麦畑のなかに見える井戸ぐらいのものだ。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
女隱居は、六十前後、かつては日本橋あたりの大店おほだなの主人の圍ひ者だつたさうで、下女一人を使つて、つゝましく暮して居りました。
狭苦しく見えることよ! かつてはあんなにもあどけなく思っていた私の昔の恋人の、いまは何んと私の目には、一箇の、よそよそしい
麦藁帽子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
吾人は今少なくとも有史以来の『得意』の舞台に大踏歩しつゝあり、と共に又いまかつて知らざる大恐怖の暗雲をはらみ来りつゝあり。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
したがつて其方そのはう談判だんぱんは、はじめからいまかつふでにしたことがなかつた。小六ころくからは時々とき/″\手紙てがみたが、きはめてみじかい形式的けいしきてきのものがおほかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
かつての総国分寺たる権威と、四天王護国寺たる理想はすでに失われ、その伝統と時勢はむしろ南都の位置を政治的権力たらしめていた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
ラゲさんは、自分の生国しやうこくが、クリストフがかつて居住してゐた土地であるといふ話しなどが出たので、一寸ちよつと因縁いんねんをつけて考へたものであつた。
風変りな作品に就いて (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そこで、彼は年中きたない下宿の一室に寝転んだまま、それで、どんな実際家もかつて経験したことのない、彼自身の夢を見つづけて来ました。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
母様はかつて悪い事をしたことがなかった。そしていろんな事を知って居た。夜も昼も子供のことを見ておいでなさる神様をも知って居た。
少年・春 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
そして、その次に、浮び出す景色は、かつて関東大震災で経験したところの火焔の幕が、見る見るうちに、四方へ拡がってゆくのであった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
この青年のかつて動き流れていたものが、誰からかたったきり一本を心の利目に打ち込まれたために、停ってしまったのではないか。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
スパニアの王とボエムメの王(この人かつて徳を知らずまた求めしこともなし)との淫樂いんらく懦弱だじやくの生活と見ゆべし 一二四—一二六
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
唯懐ただおもひき人に寄せて、形見こそあだならず書斎の壁に掛けたる半身像は、彼女かのをんなが十九の春の色をねんごろ手写しゆしやして、かつおくりしものなりけり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
初めに書いた、かつてぼくの童貞どうていとやらに興味を持ったN子という女給もいれば、松山さんも沢村さんの女達もいるカフエでした。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
この様な句を読むとすると、かつてロデンバックの短篇集をひもといたことのある人ならきつとあの廃都ブリュジュの夕暮を思ひ描くに相違ない。
水に沈むロメオとユリヤ (新字旧仮名) / 神西清(著)
かつてイプセンの邦訳(誰のだつたか忘れたが)を読んで、当時多くの人々と共に少からず感心し、なるほど、近代劇の巨匠と云はれる筈だ
舞台の言葉 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
われかつてゴツトシヤルが詩學にり、理想實際の二派を分ちて、時の人の批評法を論ぜしことありしが、今はひと昔になりぬ。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
かつて彼は或る知人が三人の女を愛していて、そこに通うことで生きていたが、彼はその三人のうちで誰をあなたは一等愛していられるのか
陶古の女人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
私はかつて一つの創作の中に妻を犠牲にする決心をした一人の男の事を書いた。事実に於てお前たちの母上は私の為めに犠牲になってくれた。
小さき者へ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
かつて加藤博士が国会猶早しと呼びたるの時代ありき、嘗て文部省は天下に令して四書五経を村庠そんしやう市学の間に復活せしめんとせし時代もありき
ひとが、かつ修學旅行しうがくりよかうをしたとき奈良なら尼寺あまでらあまさんに三體さんたいさづけられたとふ。なかから一體いつたいわたしけられた阿羅漢あらかんざうがある。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
それにしても彼女の晩年において唯々一つの心残りであったのは、かつて困苦を共にして来た最愛の良人おっとの不慮の死であったに違いありません。
キュリー夫人 (新字新仮名) / 石原純(著)
ところで、その緊張の頂点に於て僕の頭脳にひらめいたものがあるんだ。僕はかつて、一通人から、いわば騎士道上の忠言を受けたことがあるのだ。
メフィスト (新字新仮名) / 小山清(著)
ラヴィニア、恐怖が僕をつかむ。僕は死にこんなに近寄ったことはかつてない。我等は凡て死す。この言葉は今後決して念頭を離れないでしょう。
いやかつては住んでいたが、現在は、少くも今日の夜は、ほとんど誰もが住んでいない。——と、そんなように思われるのでした。
それはちょうど、彼女が南京玉なんきんだまへ糸を通すように、これこそれっこになっていて、いまかつて見当をはずしたことはないのだ。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
かれ反目はんもくしてるだけならばひさしくれてた。しかかれ從來じゆうらいかつてなかつた卯平うへい行爲かうゐはじめて恐怖心きようふしんいだいたのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
口より身体までを両断せしに、狼児らうじ狼狽らうばいしてことごと遁失にげうせ、又或時は幼時かつて講読したりし、十八史略しりやくちゆうの事実、即ち
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
かつて天皇の行幸に御伴をして、山城の宇治で、秋の野のみ草(すすきかや)を刈っていた行宮あんぐう宿やどったときの興深かったさまがおもい出されます。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
一方を横にさせて、自分はかつて横になるということをしないで終ろうとするこの旅路——その辺は、旅に慣れた兵馬には、あえて苦とはならない。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「ほんの數分でいゝ。ジエィン、あなたは私がこの家の長男ではなく、かつて、私に、兄があつたといふことを聞くなり知るなりしてゐましたか?」
一未決囚徒たる私、即ち島浦英三は、其の旧友にしてかつては兄弟より親しかりし土田検事殿に、此の手紙を送ります。
悪魔の弟子 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
次に鯉坂君がどんな研究題目を選ぶかを例をもって説明しますならば、彼はかつて、人間の身体を流れて居る赤血球の目方をはかることを企てました。
新案探偵法 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
牧師の着物を被た或詩人は、かつて彼の村に遊びに来て、路に竜胆の花をみ、熟々つくづく見て、青空の一片が落っこちたのだなあ、と趣味ある言を吐いた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そこで、かつて震災前に加藤一夫等によって始めて提唱された民衆芸術とは、如何に違っているのか、ということを明らかにしておく必要があると思う。
大衆文芸作法 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
かつてボズさんと辨當べんたうべたことのある、ひらたいはまでると、流石さすがぼくつかれてしまつた。もとよりすこしもない。
都の友へ、B生より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
主の名に託りて多くの異能ことなるわざを為ししに非ずやと云う者多からん、其時我れ彼等に告げて言わん、我れかつて汝等を知らず、悪を為す者よ我を離れ去れと
訳者かつて十年の昔、白耳義ベルギー文学を紹介し、やや後れて、仏蘭西詩壇の新声、特にヴェルレエヌ、ヴェルハアレン、ロオデンバッハ、マラルメの事を説きし時
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
或いは初のウヒ、産のウムなどとつながった音であって、かつて一年の巡環の境目さかいめを、この月に認めた名残かというような、一つの想像説も成り立つのである。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この一刹那に、この女優がかつて舞台にのぼした事のある沙翁さおう劇の女主人公、埃及エヂプトの女王クレオパトラの最後が、強い暗示として閃かなかつたと誰が言ひ得よう。
それはほたるか何かであろう。彼はかつ支那しなの随筆の中で読んだことのある蛍に関する怪奇なものがたりを思いだした。
馬の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
かつ此麽こんなことをしたことはないのですが、にいさんの拉典語ラテンご文典ぶんてんに、『ねずみは——ねづみの——ねずみに—ねずみを——おゥねずちやん!』といてあつたのをおぼえてましたから
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)