むしろ)” の例文
日向ひなたむしろの上で、夫婦約束をしたことが忘れられず、二十三になるまで、降るほどあつた縁談を斷わり續けて來た——とう申します
と正直に答えますと、暫く私どもの顔を見上げておりました非人は、先刻さいぜん、呉れてやった味噌チリの面桶めんつうむしろの蔭から取出しました。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
あさつぱらにつたらはあけたに相違さうゐねえつちんでがすから、なにわしもむしろけたところあんした、むしろわかるから駄目だめでがす
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
だが床には六フィートに三フィートの、きまった長さのむしろが、あたかも子供の積木が箱にピッタリ入っているような具合に敷きつめてある。
太吉はさっきからむしろをかぶって隅の方にすくんでいた。重兵衛も言い知れない恐怖にとらわれて、再びこの旅人を疑うようになって来た。
木曽の旅人 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
真雄は、ふいごの前へ馳け寄って、どっかと、むしろの上に坐ると、金火箸かなひばしって、真っ赤な溶鉄となった玉鋼を、火土ほどの中から引き出した。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その年取った方は、前庭まえにわの乾いた土にむしろを敷いて、うしろむきに機台はただいに腰かけたが、トンと足をあげると、ゆるくキリキリと鳴ったのである。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
傷の縫い合わせをする、三角巾を巻きなおす、沃丁ヨーチンを塗る、水をのませる、布団やむしろを見つけてきてかぶせる、副木を当てる。
長崎の鐘 (新字新仮名) / 永井隆(著)
まず芝生にむしろを敷き、あちこちに、枯れ枝薪などを積み集めて焚き火の用意をし、菰被こもかぶりをならべて、鏡を抜き杓柄ひしゃくを添える。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「サァ明朝あすは早いぞ、もう寝ようか」と、狭い天幕てんと内へゾロゾロと入り込んだが、下は薄いむしろ一枚で水がジメジメとうして来る。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
東妙和尚は、広い庭の真中に植えられた大きな枝垂桜しだれざくらの下の日当りのよいところにむしろを敷いてその上で、石の地蔵をコツコツときざみはじめる。
あれは、なあ、縄を作る機械と、むしろを作る機械なんだが、なかなか操作がむづかしくて、どうも僕の手には負へないんだ。
津軽 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
横手の草地の上には顔色のよくない若衆がいて、前日までの長雨に大湿りの来たむしろを何十枚となく乾し並べていたので、妾はそれに声をかけた。
三人の双生児 (新字新仮名) / 海野十三(著)
今日も陶器師はかまの前のむしろの上に坐っていた。久しぶりでお山も晴れ、熱い夏の陽が広い裾野を黄金の色に輝かせている。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
夏の夜はその入口にむしろって戸代りにしたが、冬はさすがに余りに寒いので他家よそから戸板を二枚もらって来て入口に押しつけてなわしばりつけた。
ある日、彼はその女中のために蒲団ふとんを持って収容所を訪れる。板の間のむしろの上にごろごろしている重傷者のなかに黒く腫れ上った少女の顔がある。
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
禰宜様宮田は、広場へむしろを拡げて、たらの根を乾かしながら、大変仕合わせな、へりくだった心持で考えていたのである。
禰宜様宮田 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
雪庇いのむしろやらこもやらが汚ならしく家のまわりにぶら下って、刈りこまない粗葺きの茅屋根は朽って凹凸になっている。
贋物 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
窓の中には尼が一人、破れたむしろをまとひながら、病人らしい女を介抱してゐた。女は夕ぐれの薄明りにも、無気味な程れてゐるらしかつた。
六の宮の姫君 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
少女おとめは紫色に鉄漿かねを染めた栗の実や赤く色づいた柿の実をむしろの上に乱して、まりと一しょに何心地なく遊んでいます。
嵐の夜 (新字新仮名) / 小川未明(著)
貰うものの種類によって、——魚だとか、タロ芋だとか、亀だとか、むしろだとか、それに依って「貰う」という言葉が幾通りにも区別されているのだ。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ころは夏なりしゆゑ客舎やどりしいへにはかげにむしろをしきて納涼すゞみ居しに、主人あるじは酒をこのむ人にて酒肴しゆかうをこゝに開き、は酒をばすかざるゆゑ茶をのみて居たりしに
其中、此針のむしろの上で、兵部少輔ひょうぶしょうから、大輔たいふに昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
とにかくに穀物の穂の部分を広いむしろの上などに集めて、棒で打ちたたいて脱穀させる方法は、かつては稲にも行われていた土地が有るらしいのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ひた土にむしろしきて、つねに机すゑおくちひさき伏屋ふせやのうちに、竹いでて長うのびたりけるをそのままにしおきて
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
右は僕の村の農家が冬の副業にむしろを織ったり縄をったりして働く労賃が、幾らになるかを調べて見たのである。
(新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
壁は自分で塗り、床には自分で作ったむしろを敷きました。この国には麻が多いので、それを打って、蒲団のおゝいを作り、その中に鳥の羽毛を詰めました。
鹿喰では金魚池のそばまで庭口から行つて見るだけで、龍源の家ででもお雛様の時のほかは大抵遊ぶのは裏庭の蔵の蔭で、むしろを敷いて小樽を幾つも並べたり
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
ちょうどその下が鉄道線路になって、十数間先に第二のトンネルがあった。と見ると、トンネルの入口にむしろが敷いてあって、数人の男がその傍に立っている。
暴風雨に終わった一日 (新字新仮名) / 松本泰(著)
とが/\しきに胸を痛めて答うるお辰は薄着の寒さにふるくちびる、それに用捨ようしゃもあらき風、邪見に吹くを何防ぐべき骨あらわれし壁一重ひとえ、たるみの出来たるむしろ屏風びょうぶ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そうして、いよいよ二人きりになりました時も、私にとっては、あの柔かいしとねがいわば針のむしろで御座いました。
秘密の相似 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
「梅子さん、貴嬢あなた此辺このあたりらつしやらうとは思ひ寄らぬことでした、」と篠田は池畔ちはんの石に腰打ちおろし「どうです、天はみどりの幕を張り廻はし、地はくれなゐむしろを ...
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
丈余の雪上に舞台を設え、観客も亦雪原にむしろをしき、持参の重箱をひらいて酒をのみながら見物する。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
余震が恐いといって皆庭にむしろを敷いて夜を明したが、私だけは家の中にいて揺れるのを楽しんでいた。
それで竹のむしろのようなものの上に梅を干すと、その梅についている紫蘇の汁が庭に垂れるというのである。地上を赤く染めている、紫蘇の汁も想像されるのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
そうすると直ぐ悲しくなって眼には涙を催してまいりますが、坐らない訳にはまいりませんから、針のむしろにいる気で楼主の前に坐り下を向いたまゝで顔を上げない。
むこは卑しき農夫なりき。よめは貧しき家の子ながら、美しき少女をとめなりき。侯爵の殿は婚禮のむしろにて新婦が踊の相手となり、宵の間にしばし花園に出でよと誘ひ給へり。
で、私はまた上り口へ行って、そこに畳み寄せてあった薄いむしろのような襤褸ぼろ布団を持ってきて、それでもしきかけと二枚延べて、そして帯も解かずにそのまま横になった。
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
「何によ。——見れ、このもみ。」——母はむしろの上にたまった籾を掌でザラザラやって見せた。——
不在地主 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
下男は私たちを導いてむしろを敷いた廊下を通ってゆき、ついに大きな書斎へと案内した。書棚がぎっしりと列んでいて、その一つ一つの書棚の上には胸像が置いてあった。
他人様ひとさまにお見せすべきものではありませんが、貴方あなたがたには特別お出し致しましょう」。そういって主人が奥の方へ入った。しばらくして携えて来たのは、新しいむしろである。
陸中雑記 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
貴顕富豪宴游えんゆうむしろを開くそのためには。この東京に二とは下らぬ。普請の好み料理の手ぎわは一きわなるに。今日は祝いのむしろとて。四時過ぎころより入り来る馬車人力車は。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
やがて母は箒で籾を掃き寄せ、むしろを揚げて取り集めなどする。女達が是方こっちを向いた顔もハッキリとは分らないほどで、冠っている手拭の色と顔とが同じほどの暗さに見えた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
こと舅姑きゅうこの福田に対する挙動の、如何いかひややかにかつ無残むざんなるかを見聞くにつけて、自ら浅ましくも牛馬同様の取り扱いを受くるをさとりては、針のむしろのそれよりも心苦しく
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
こすいものにはだまされ、家禄放還金の公債もきあげられ、家財を売りぐいしたり、娘を売ったり、やり一筋の主が白昼大道にむしろを敷いて、その鎗や刀を売ってその日のかてにかえた。
私はそれから足に怪我をしている客を負ぶって伴れて来たが、後の激震が気がかりであるから、地震の静まるまでそこにいることに定めて、家へ入って往ってむしろを持って来た。
死体の匂い (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
お堂を降りた処にはむしろを敷いて、白髪の老婆のどこやら品のあるのが、短い琴を弾いて、低い声で何か歌っていました。小さな子が傍にいて、人の投げてくれる銭を拾います。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
それがすむと形のごとき焼香があって、やがて棺は裏の墓地へと運ばれる。墓地への路には新しいむしろが敷きつめられて、そこを白無垢しろむくや羽織袴が雨にぬれてったり来たりする。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
室は板敷の上にむしろが敷いてある。正面の舞台には毒々しい更紗さらさ模様もようの幕が下りている。
土淵村にての日記 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
彼は漸く浮き上った心を静に愛しながら、むしろの上に積っている銅貨の山を親しげに覗くのだ。そのべたべたと押し重なった鈍重な銅色の体積から奇怪な塔のような気品を彼は感じた。
街の底 (新字新仮名) / 横光利一(著)