こく)” の例文
「——つまりその記録によりますとですね、吉川銀左衛門氏は、当時、五こく十人扶持ぶちをいただいておったという事でありまして……」
大きいものは一こくるれば小さきものは一しゃくも容れ得ぬ。しかしいかにしょうなるも玩具がんぐにあらざる限りは、皆ひとかどの徳利と称する。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
十二になる弟は日本橋こく町の太物商ふとものしょうへ奉公に遣ったが、それで母親の手内職を入れても食うのがやっとのことらしかった。
追いついた夢 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
綱利は甚太夫を賞するために、五十こくの加増を命じた。兵衛は蚯蚓腫みみずばれになった腕をでながら、悄々すごすご綱利の前を退いた。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
九代、春延はるのぶ、幼名又四郎またしろう享和きょうわ三年家督かとくたまわる二百こく文政ぶんせい十二年三月二十一日ぼつ、か。この前はちぎれていて分らない。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
王さまのすぐ下の裁判官さいばんかんの子もありましたし農商のうしょう大臣だいじんの子もました。また毎年じぶんの土地から十こく香油こうゆさえ長者ちょうじゃのいちばん目の子も居たのです。
が、砂地すなぢ引上ひきあげてある難破船なんぱせんの、わづかに其形そのかたちとゞめてる、三十こくづみ見覺みおぼえのある、ふなばたにかゝつて、五寸釘ごすんくぎをヒヤ/\とつかんで、また身震みぶるひをした。
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そうして最近に及んで遅れせに暴利取締令を出したり、全国にわたって十こく以上の貯蔵米を申告させたり、御用商人に托して外米の輸入を計ったりしたような事が
食糧騒動について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
その大きさは五こくを盛るかめの如くで、これに蔵する蜂蜜はさぞやと察せられたが、何分にも嶮峻けんしゅんの所にあるので、往来の者はむなしく睨んで行き過ぎるばかりであった。
入表の間切は畠方はたけがたの五こくに対して、田方が千二百六十七石あったのに、古見の間切の方は畠も九十七石余、田は千八百七十石以上、この畠はいわゆる常畠じょうばたであって
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
金沢藩ではそれを察し、こんな飢えと寒さとに迫られたものと交戦するのは本意でないとして、その日に白米二百俵、け物十たる、酒二こくするめ二千枚を武田の陣中に送った。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
正三君のおじいさんは大殿様から三百こくいただいていた。いまなら年俸ねんぽうである。お金のかわりにお米を三百石もらう。一石三十円として九千円。いまの大臣以上の俸給だった。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
こく町、中橋、上槇かみまき町、芝の片門町など方々にあったものだが、中でも老舗しにせとして立てられて商売も間口も手広くやっていたのが岡崎町も八丁堀二丁目へ寄った桔梗屋八郎兵衛
一寸こゝで當つてみても、こく十二三兩では何うしても三十圓から四十圓の損になるなア。
太政官 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
御厩では一番のこく持といわれた家がこんなになったのも、皆お祖父さんがしたのじゃ。
勝負事 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
イヤもうれはドウするにも及ばぬことだ、く諸藩ではあるいは禄を平均すると云うような事で大分騒々そうぞうしいが、私の考えでは何にもせずに今日のこのままで、千こくとって居る人は千石
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
朝昼二度のをぬくことにしたが、六月になると西国総体に米が不足し、大阪からの廻米が途絶えてお倉の扶持米のこくが切れ、一人、日に二合というつら扶持になり、舅の口どころか
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ふたたび貝石うる家の前にで、価を問うにいと高ければ、いまいましさのあまり、このはまぐり一升天保てんぽうくらいならば一こくも買うべけれと云えば、亭主ていしゅそれは食わむとにやと問う。元よりなりと答う。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
来年四月別府に開かれる中外産業博覧会が特に温泉室なるものを設ける計画であるが、この麻生氏の一本の鉄管、即ち一分間四こく、六十度の温度のものを借うけることになっているとのことである。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
が、彼の屋敷内の数多い倉の一つにも一人の人柱は用ゐてはゐない。一日に何こくびょうき出す穀倉のきねうすの一つでも、何十人のなかの誰の指一本でも搗きつぶしたことがあらうか……何にもない。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
中津川は美濃の國なり國境くにざかひ馬籠まごめと落合の間の十こくたふげといふ所なり國かはれば風俗も異なりて木曾道中淳朴じゆんぼくふうは木曾川の流と共にはなれてやゝ淫猥の臭氣あり言語ことばも岐阜と名古屋半交はんまぜとなり姿形すがたかたちも見よげになれり氣候も山を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
然程さるほどに大岡殿にはよく直樣すぐさま吉原土手下どてしたの人殺し一でう調しらべとなり其人々には駈込訴人かけこみそにんこく町二丁目甚兵衞だな六右衞門方同居久八右久八伯父をぢ六右衞門久八元主人神田三河町伊勢屋五兵衞代金七富澤町甲州屋吉兵衞等なり越前守殿久八を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
お納めするからには、御納庫になる品も、百こくの炭は六、七十石、千石の炭薪は、実際には六、七百石しかお納めいたさぬのであろうが
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俵の数は約二百俵、五十こく内外の米穀べいこくなれば、機関室も甲板デッキ空処あきも、隙間すきまなきまでに積みたる重量のために、船体はやや傾斜をきたして、吃水きっすいは著しく深くなりぬ。
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
二丈の高さから落ちる幾百こくの水がそのまま、深い底近くまで巨大な柱になって、余勢が尽きると、無数の真白な泡と砕け、沸々と水面に向ってたぎり昇っている恐ろしい有様だ。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
大切なものを取り落したことに気がついて愕然がくぜんとし、こく切れから、お暇勝手次第の触れが出たのを幸いに、御役ご免を願い、すぐにも陸奥みちのくに下るつもりで、そうそうに江戸へ帰った。
奥の海 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
ごく都合のい者になれば大名に抱えられて、昨日までの書生が今日は何百こくさぶらいになったとうこともまれにはあった。れに引換ひきかえて大阪は丸で町人の世界で、何も武家と云うものはない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その頃は米の値が非常にやすくて、一こく三円六十何銭であったと聞いている。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
おれの兵隊にはそんなものは一人もないからな。おまえの町だってそうだ、はじめて電燈がついたころはみんながよく、電気会社では月に百こくぐらい油をつかうだろうかなんて云ったもんだ。
月夜のでんしんばしら (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
そのじぶんは日本橋こく町に店があり、職人も七人、下女、飯炊きなど、十一人の家族であった。父は新五郎、母はなかった。おみきが三歳のとき死んだそうで、おみきは顔も覚えてはいない。
枡落し (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
文政ぶんせい四年の師走しわすである。加賀かが宰相さいしょう治修はるなが家来けらい知行ちぎょう六百こく馬廻うままわやくを勤める細井三右衛門ほそいさんえもんと云うさむらいは相役衣笠太兵衛きぬがさたへえの次男数馬かずまと云う若者を打ちはたした。それも果し合いをしたのではない。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
内藤さんの家庭は三百こくを忘れないだけあってごく昔風だ。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
食物も多くはりません。さらに、夜に入ると、王子勇軍ゆうぐんは、不夜の楼殿に百こくの油をともして、歓楽、暁を知らないありさまです。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
若い人は筑前ちくぜん出生うまれ、博多の孫一まごいちと云ふ水主かこでね、十九の年、……七年前、福岡藩の米を積んだ、千六百こく大船たいせんに、乗組のりくみ人数にんず、船頭とも二十人、宝暦ほうれきうまとし十月六日に
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
黒色で、身のたけは三十余丈、それにしたがう小蛇の太さはたるきのごとく、柱のごとく、あるいは十こく入り又は五石入りのかめのごときもの、およそ幾百匹、東から西へむかって隊を組んで行く。
「今日はもと道場で友達だった、秋田平八という男に会ったのだが、仙台藩の品川屋敷で師範を捜している、扶持はごく少ないが、いまいる正師範がやめれば、五こくくらいにはあがるらしい」
花も刀も (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
肥後ひご細川家ほそかわけ家中かちゅうに、田岡甚太夫たおかじんだゆうと云うさむらいがいた。これは以前日向ひゅうがの伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭ばんがしらのぼっていた内藤三左衛門ないとうさんざえもんの推薦で、新知しんち百五十こくに召し出されたのであった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
なぜならいままでは塩水選をしないでやっと反当たんあたりこくそこそこしかとっていなかったのを今度こんどはあちこちの農事試験場のうじしけんじょう発表はっぴょうのように一割の二斗ずつの増収ぞうしゅうとしても一町一反では二石二斗になるのだ。
或る農学生の日誌 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
ご身分も三百こく、申し分ない
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
火災はむしろ天祐てんゆうと先にいったが、食糧課員の調査表によると、出火前は、貯蔵精米が五百五十こく、玄米百十六石一とあって、一日の消費額二十九石として、今後
日本名婦伝:谷干城夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わかひと筑前ちくぜん出生うまれ博多はかた孫一まごいち水主かこでね、十九のとし、……七ねんまへ福岡藩ふくをかはんこめんだ、千六百こく大船たいせんに、乘組のりくみ人數にんず船頭せんどうとも二十にん寶暦はうれきうまとしぐわつ六日むいか
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)