けやき)” の例文
奥庭を覆うているけやきの新しい若葉の影が、湿った苔の上に揺れるのを眺めながら、私はよく父と小さい茶の炉を囲んだものであった。
性に眼覚める頃 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
ふとけやきぼんが原氏の目にとまつた。それは田舎の村長などの好きさうな鯛の恰好をしたもので二円三十銭といふ札が付いてゐた。
セイゲン、ヤシオなど云う血紅色けっこうしょく紅褐色こうかっしょくの春モミジはもとより、もみじかえでならけやき、ソロなどの新芽しんめは、とり/″\に花より美しい。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
よそに行っていて不図わが家の情景が髣髴ほうふつする、そんな鮮やかさで、西日を受け赤銅色に燃え立っているけやきの梢や校舎の白い正面。
雑沓 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
大きい古いけやきの樹と松の樹とが蔽い冠さって、左のすみ珊瑚樹さんごじゅの大きいのがしげっていた。処々の常夜燈はそろそろ光を放ち始めた。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
匕首あいくちをみずおちに当てて、力いっぱい、板壁をいてみた。だが、けやきかなんぞの厚板とみえて、刃物のさきがツウ! とすべった。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこにある広場にはけやきや桜の木がまばらに立っていて、大規模な増築のための材料が、煉瓦れんがや石や、ところどころに積み上げてあった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その日は、ひどく冷たい北風が吹きすさんで、公孫樹いちょうの落ち葉やけやきの落ち葉が、雀の群れかなんぞのように、高く高く吹き上げられていた。
再度生老人 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
幾たびも飛び出す樫鳥は、そんな私を、近くで見る大きな姿で脅かしながら、葉の落ちたけやきならの枝をうように渡って行った。
冬の蠅 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
今より十年前発行の『電報新聞』に、けやきの怪音を発覚せし実験談を報告してあったから、これも参考のために一節だけを転載しておこう。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
次々にほかの樹も芽を出して来て、それぞれに違った新緑の色調を見せる。並木に使ってあるけやきの新緑なども、煙ったようでなかなかいい。
京の四季 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
と突然、何の鳥か、野原の真ん中にすぐれて大きく一本立って居る、けやきこずえで鳴き声がしました。トシオはあわてて、その方を向きました。
トシオの見たもの (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
竹束の前の大きなけやきの角材に腰をかけたインバネスに中折帽の苦み走った若い男が、青ざめた澄ました顔をして金口煙草きんくちに火をけている。
芝居狂冒険 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
けやきのまあたらしい飯台はんだいをとりまいて徳利をはや三十本。小鉢やら丼やら、ところもにおきならべ、無闇に景気をつけている。
其處を切り上げると平次は庭へ出て、けやきの並木の下で遊んでゐる、主人の一人娘お信と、金之助の弟の常吉をつかまへました。
てらてら黒光りのするけやき普請の長い廊下をこわごわおかわやのほうへ、足の裏だけは、いやに冷や冷やして居りましたけれど、なにさま眠くって
(新字新仮名) / 太宰治(著)
そこにはおせんが居た時と同じように、大きなけやきづくりの食卓が置いてある。黒い六角形の柱時計も同じように掛っている。
刺繍 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
例を植物に取ると致しましょう。柔かいきりや杉を始めとし、松や桜や、さては堅いけやき、栗、なら。黄色い桑や黒い黒柿、のあるかえで柾目まさめひのき
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
二人は「桔梗」の入口の戸をあけてうちへはいつた。六畳の上りはなけやき胴切どうぎりの火鉢のまはりに、お糸さんとおなかさんとがぼんやりして居た。
二黒の巳 (新字旧仮名) / 平出修(著)
この丘の両側にある若蘆わかあしの原まで、出かけて聴くことにしていたオオヨシキリが、わずかな間だが地堺じざかいけやきの樹に来て啼いた。
二人は田圃たんぼ路を行きぬけて、鬼子母神前の長い往来へ出ると、ここらの気分を象徴するような大きいけやきの木肌が、あかるい春の日に光っていた。
半七捕物帳:08 帯取りの池 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
爺さんはもう長い間木工場の手伝人夫をして、何処どこには何があるとか、何号の小舎こやにはけやきの板が何枚あるとか、職工達の誰よりもくはしかつた。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
臼は尺五寸位のけやき、極小さなもので二升位しかけない、新品だが少々ひびが入っている、杵をつけて六円で買い求めた。
あひだそらわたこがらしにはかかなしい音信おどづれもたらした。けやきこずゑは、どうでもうれまでだといふやうにあわたゞしくあかつた枯葉かれは地上ちじやうげつけた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
見たところ芋のうわっている平凡な畑だったが、周囲にけやきや杉の森があり近くに人家のないのが、怒るとき大きな声を出す私には好都合だと思った。
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
主人の仁太郎氏は丁度留守で大振りのけやきの長火鉢の前にはお寿賀さんばかりがわっていたが私を見ると頷いて見せた。
温室の恋 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すると大きな大きなけやきの樹の、すでに立枯れになっているのが、妖魔の王の突立つ如くに目に入った。その根下ねもとに、怪しい人影が一個認められた。
怪異暗闇祭 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
その後の調査によるに、ニコライ円頂の落ちしは六時ごろにして、火は間もなく収まりしも、ただ塔中にはけやきの階段、床、鐘を釣りたるはり等あり。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
前に囲ってくれた旦那と二人して妨害運動をしたりしたが、律気な——鉢植えのけやきみたいな生れつきのひとにも芽が出て、だんだんに繁昌はんじょうして来た。
貴僧あなた、黒門まではい天気だったものを、急に大粒な雨!と吃驚びっくりしますように、屋根へかかりますのが、このおっかぶさった、けやきの葉の落ちますのです。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
鈴川方の塀の上に張り出ているけやきの大木のこずえ、その枝のしげみに、毒蛇のような一眼がきらめいて、その始終しじゅうを見おろしていたことを知らなかった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
谷山の村へ入って、茶店へ来たが、いつも、茶店の脇の、大きいけやきの木の下に、一二疋ずついる馬が、一疋も見えないので、欅の下蔭は、淋しかった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
黄色い煙がたなびいたように青空いつぱいに若葉をひろげたけやきの木かげの家は、ヒツソリとして人気がなかつた。
押しかけ女房 (新字新仮名) / 伊藤永之介(著)
宗近君は机の上にあるレオパルジを無意味に取って、背皮せがわたてに、勾配こうばいのついたけやきの角でとんとんと軽くたたきながら、少し沈吟ちんぎんていであったが、やがて
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
十幾棟の大伽藍を囲んで、矗々ちくちくと天を摩している老杉ろうさんに交って、とちけやきが薄緑の水々しい芽を吹き始めた。
仇討三態 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
しかしその山は松だのけやきだのいろいろな雑木ぞうきが生えている密林なんでして、その林のなかをぐる/\歩いているうちに、木に引っかかって、フンドシが解けた。
紀伊国狐憑漆掻語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
奥へ逃げこむ者、その場にへたばる者、わめきちらす者のある中を、一郎は、自分の家の庭に生えている大きいけやきの樹を見当にして、まっしぐらに走りだした。
未来の地下戦車長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
からからに乾いて巻きちぢれた、けやきの落葉やえのきの落葉や杉の枯葉も交った、ごみくたの類が、家のめぐり庭の隅々の、ここにもかしこにも一団ずつたむろをなしている。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
そこに一軒の門口かどぐちが見えて、出口に一本のけやきがあり、その欅のうしろになった板塀の内の柱に門燈が光っていたが、それは針金の網に包んだまるい笠におおわれたもので
蟇の血 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
楢林ならばやしは薄く黄ばみ、農家の周囲に立つ高いけやきは半ば落葉してその細い網のような枝を空にすかしている。
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
お島はかなめけやきの木とで、二重になっている外囲そとがこいまわりを、其方そっちこっち廻ってみたが、何のこともなかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
辻川博士の奇怪な研究室は葉の落ちたけやきの大木にかこまれて、それらの木と高さを争うように、亭々ていていとして地上三十尺あまりにそびえている支柱の上に乗っていた。
蜘蛛 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
五日市いつかいち街道を歩けば、樹木がしきりに彼の眼についた。ならけやき木蘭もくらん、……あ、これだったのかしら、久しく恋していたものに、めぐりあったように心がふくらむ。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
道は再び豁然かつぜんとして開け、やがて左側の大きなけやきの樹陰に色せた旗を立てて一軒の百姓家が往来も稀れな通行人のために草鞋わらじ三文菓子なぞを商っている前へと出る。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
折りしも三十有余年前の五月半ばの校庭には、葉桜とけやきの若葉に、初夏には早い青嵐が吹いていた。
わが童心 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
崖には杉の大木にまじって象皮色のけやきの幹が枝をひろげ、こぶだらけのいたやはさいのように立ち、朽ちはてたえのみはおおかた枝葉を落しつくして葛蘿かずらにまかれている。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
けやきの若葉をそよがすやはらかい風、輝く空気の波、ほしいまゝな小鳥の啼声……しかし彼は、それらのものにふるへあがり、めまひを感じ、身うちをうづかせられる苦しさよりも
哀しき父 (新字旧仮名) / 葛西善蔵(著)
落葉松、白樺、厚朴、かえでなどの代わりに赤松、黒松、はんけやききりなどが幅をきかしている。
軽井沢 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
橋は一方少し坂になっている処からとちけやきぶななどの巨樹の繁茂している急峻な山の中腹に向ってけられてあるのだ。橋の下は水流は静かであるが、如何いかにも深そうだ。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
夕日の眞赤な光が對岸の緑の平野の上に被ひかぶさつて、地平線を凸凹でこぼこにする銀杏樹いちやうらしい、またけやきらしい樹の塊りは、丁度火災の時のやうに、氣味わるく黒ずんでゐる。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)