寂然せきぜん)” の例文
おとひとつしない、寂然せきぜんとしたへやのうちにすわっていると、ブ、ブーッという障子しょうじやぶれをらすかぜおとだけが、きこえていました。
深山の秋 (新字新仮名) / 小川未明(著)
その骸骨はこの忙がしい世界を隔てて、さらに遠い世界をながめる望楼のように、見えない物をも見るかのごとく寂然せきぜんとして立っている。
小山は黙って描く、自分は黙って煙草をふかす、四囲は寂然せきぜんとして人声じんせいを聞かない。自分はふところから詩集を取り出して読みだした。
小春 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
三階にあがる。部屋の隅を見ると冷やかにカーライルの寝台ねだいよこたわっている。青き戸帳とばりが物静かに垂れてむなしき臥床ふしどうち寂然せきぜんとして薄暗い。
カーライル博物館 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なみなみなみは、一めん陰鬱いんうつに、三かくつて、おなじやうにうごいて、うろこのざわ/\とさまに、蠑螈ゐもりむらがさまに、寂然せきぜんはてしなくながながるゝ。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
園は寂然せきぜんとしており、鉄門は反乱のため警察の手で閉ざされていた。そこに露営していた軍隊は戦いに招かれて出かけていた。
さよう、左門はその位置に、片膝を敷き、片膝を立て、刀を逆ノ脇に構え、最初はじめから現在いままで、寂然せきぜんと潜んでいたのであった。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
久しぶりに炉を開いて見ると、寂然せきぜんたる灰の中に小石のように固まったのが交っている。それを鏝の先で突割ったというだけのことである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
……真向いの、なだらかな丘の斜面に、バンガロオふうの建物が側面に夕陽を浴びて、一種、寂然せきぜんたるようすで立っていた。
寂然せきぜんと膝を抱いて、炉によっている若者がある。若者は眉目秀明であった。堂外にたたずむ人のありとも知らぬ容子で、独り口のうちで微吟していた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あたりは一面の孟宗竹が無限に林立し、夕陽が竹の緑に反映して、異様に美しい神秘境をかもし出している。あたりの空気はよどんだように寂然せきぜんとしている。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
後ろを見ると、うす暗い中に、一体の金剛力士が青蓮花あおれんげを踏みながら、左手のきねを高くあげて、胸のあたりにつばくらふんをつけたまま、寂然せきぜん境内けいだいの昼を守っている。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
かどの戸あく音に主人の帰りを待つ飼犬のすそにまつはる事のみ常に変らざりしがいえの内なにとなく寂然せきぜんとして、召使ふ子女こおんな一人いちにんのみ残りて八重は既に家にはあらざりき。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
都のちまたには影を没せる円太郎馬車の、寂然せきぜんと大道に傾きて、せたる馬の寒天さむぞらしてわらめり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
五更ごこう(午前三時—五時)に至るまで寂然せきぜんとして物音もきこえないので、守る者も油断して仮寝うたたねをしていると、たちまち何物かはいって来たらしいので驚いて眼をさますと
何処どこ寂然せきぜんとして、瓢逸ひょういつな街路便所や古塀こべいの壁面にいつ誰がって行ったともしれないフラテリニ兄弟の喜劇座のビラなどが、少しめくれたビラじりを風に動かしていたりする。
巴里の秋 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
寂然せきぜんとした冬枯れの山林が小さな田を隔てて前にある。地はすっかり雪がかぶさって、その中から太い素直に伸びた若木が、白っぽい枯木の色をして立っている。私はその奥をすかして見た。
遠野へ (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
満枝は彼の枕をとらへてふるひしが、貫一の寂然せきぜんとしてまなこを閉ぢたるにますますいらだちて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
陣中の盛んな篝火かがりびは、寂然せきぜんたる本丸を、闇の中に浮き出させて居た。
島原の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
しかれども彼れ寂然せきぜんとしてその心を動かさず、以てこれを為せり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
霜の夜や寂然せきぜんとして敵の城 楽天
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
濃かに糺の森をめて、糺の森はわが家を遶りて、わが家の寂然せきぜんたる十二疊は、われを封じて、余は幾重ともなく寒いものに取り圍まれてゐた。
京に着ける夕 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
しかし、みち一筋ひとすじまちをはなれると、きゅうおおくなるのがれいでした。なかでも病院びょういん建物たてものうちは、このとかぎらず、いつも寂然せきぜんとしていました。
雲と子守歌 (新字新仮名) / 小川未明(著)
けれども彼が隠れていたその場所は、不思議なほど寂然せきぜんと静まり返っていて、すぐそばの恐ろしい激しい騒ぎも、何ら不安の影を投じてこなかった。
陶器師すえものしは返事をしなかった。ゆるゆると彼は寝そべった。右手を敷いて枕とし、左手を脇腹へ自然に置き、唇を閉じ眼をふさぎ、寂然せきぜんとして聞いていた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
満堂ひとしく声をみ、高きしわぶきをも漏らさずして、寂然せきぜんたりしその瞬間、先刻さきよりちとの身動きだもせで、死灰のごとく、見えたる高峰、軽く見を起こして椅子いすを離れ
外科室 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
庵主は香煙のゆらぎにも心を乱さじとして端坐しつつある、昼の蚊のほのかなうなりが時に耳辺をかすめて去る、というような寂然せきぜんたる光景も、連想をたくましゅうすれば浮んで来る。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
汀について水門のほうへ行くと、淙々そうそうとはげしい水音がきこえ、築山の影が迫って、ひときわ濃くなった暮れ色のなかで、鶴が嘴を胸にうずめ、片脚だけで寂然せきぜんと立っていた。
西林図 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
停車場に附属する処の二三の家屋のほか人間に縁ある者は何も無い。長く響いた気笛が森林に反響して脈々として遠く消えせた時、寂然せきぜんとして言ふ可からざるしづけさに此孤島は還つた。
空知川の岸辺 (新字旧仮名) / 国木田独歩(著)
羅生門らしょうもんの高いいらかが、寂然せきぜんと大路を見おろしているばかり、またしてもほととぎすの、声がおちこちに断続して、今まで七丈五級の大石段に、たたずんでいた阿濃あこぎの姿も、どこへ行ったか
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
不気味なほど、寂然せきぜんとする。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
籠の底に飛び散る粟の数は幾粒だか分らない。それでも餌壺えつぼだけは寂然せきぜんとして静かである。重いものである。餌壺の直径は一寸五分ほどだと思う。
文鳥 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ひとが、やまくだると、あたりは寂然せきぜんとしました。みつばちが、はねらして、ふじのはなうえあつまっています。
ひすいを愛された妃 (新字新仮名) / 小川未明(著)
寂然せきぜんたる恐ろしいその迷宮の周囲、人の行ききはまだ絶えていず、わずかな街灯がまだともってる町々には、サーベルや銃剣の金属性の光や、砲車の重い響きや
枕に手をき、むっくり起きると、あたかもその花環の下、襖の合せ目の処に、残燈ありあけくまかと見えて、薄紫に畳を染めて、例のすみれ色の手巾ハンケチが、寂然せきぜんとして落ちたのに心着いた。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
廻れば五町はたっぷりあろうか、そういう広大な地所の中に、別荘は寂然せきぜんと立っていた。
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
薔薇ばら色から朱金色までのあらゆる色階の変化をしめしながら、音もなく寂然せきぜんと燃えあがるさまは、ちょうど絵入り聖書の錬獄の図にそっくりで、なにか意味深い天の啓示ででもあるように思われた。
我が家の楽園 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
たしかに這入はいっているなと思ってステッキを持って出懸けると寂然せきぜんとして誰もいない。いないかと思って窓からのぞくと必ず一二人這入っている。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その田舎いなかふうな古い一郭のうちに、最も寂然せきぜんたる片すみに、まだ通行人さえもないような所にさえ、舗石しきいしが見られ、歩道の区画もしだいにはい伸びようとしている。
達吉たつきちは、人々ひとびとがなんといってもかまわずに、さくえて、寂然せきぜんとした教会堂きょうかいどう敷地内しきちないはいみ、まどわくを足場あしばとして、さるのごとく、といをつたって、建物たてものかべじり
僕はこれからだ (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかも、葉之助は寂然せきぜんと、別館に深く籠もっていて、他出しようともしないのである。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
が、陸軍病院の慰安のための見物がえりの、四五十人の一行が、白いよそおいでよぎったが、霜の使者つかいが通るようで、宵過ぎのうそ寒さの再び春に返ったのも、更に寂然せきぜんとしたのであった。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
依稀いきたる細雨さいうは、濃かに糺の森をめて、糺の森はわがめぐりて、わが家の寂然せきぜんたる十二畳は、われを封じて、余は幾重いくえともなく寒いものに取り囲まれていた。
京に着ける夕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
木立ちが入り組んで森が深くなってる寂然せきぜんたる方面をながめ回すと、突然男の姿が見えた。
かたともみづうみともえた……むし寂然せきぜんとしてしづんだいろは、おほいなる古沼ふるぬまか、千年ちとせ百年もゝとせものいはぬしづかなふちかとおもはれた圓山川まるやまがは川裾かはすそには——河童かつぱか、かはうそは?……などとかうものなら、はてね
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
館を囲繞いにょうした幾百の武士は、しかし寂然せきぜんとして動かなかった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
室内は再び寂然せきぜんとした。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
寂然せきぜんとして太古の昔を至る所に描き出しているが、樹の高からぬのと秋の日の射透すので、さほど静かな割合に怖しい感じが少ない。その秋の日はきわめてあきらかな日である。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
通りかかる者もなかった。街路も川岸通りも、見える限り寂然せきぜんとしていた。ノートル・ダームの堂宇と裁判所の塔とが、暗夜のひな形のように見えていた。一つの街灯の光が川岸縁を赤く染めていた。
しかし富士は寂然せきぜんと眉を圧して立っていた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)