先刻さつき)” の例文
その時に、彼は自分よりも先きに、先刻さつきの老婆が蒼惶さうくわうとして、飛び付くやうに、その空いた座席に縋り付いて居るのを見たのである。
我鬼 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
「少し調べ度いことがある。いや、先刻さつきから俺に話し度がつて居る人があるんだよ。人目のない所で、その人を待つて居ようと思ふ」
『ハ、何にも……然う/\、先刻さつき静子さんがお出になつて、アノ、兄様にいさんもお帰省かへりになつたから先生に遊びに被来いらしつて下さる様にツて。』
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「キヤノンさん、先刻さつきから拝見してゐると、貴方はしきりと玉蜀黍をあがつていらつしやるやうですが、おなかに悪かありませんか。」
向ふの端の部屋の前に、先刻さつきの男と並んで、宿の浴衣の胴中に、ちぎれる程伊達卷の喰ひ込んだ後姿を見せて、小柄な女が立つてゐた。
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
なんだよう、わたし先刻さつきから見てゐると、おまへがこゝをつたりたりしてえるが、いてるからた人がるとおもつてゐたら
心眼 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
此時になつて初めて其の服装みなりを見ると、依然として先刻さつきの鼠の衣だつたが、例の土間のところへ来ると、そこには蓑笠が揃へてあつた。
観画談 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
先刻さつきも申したやうに来年は旋盤も四五台やす積りでごわす。此所で取つてゐなさるだけの給金は、わつしの所でも差し上げますわい。
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
あつちややうや内儀かみさんのまへまれた。被害者ひがいしや老父ぢいさん座敷ざしきすみ先刻さつきからこそ/\とはなしをしてる。さうしてさら老母ばあさんんだ。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「ほんとうに、先刻さつきから変でした」と私は急いで立つと彼も立つた、私たち二人の座席のあひだから白い煙がうすく立ち始めた。
燃える電車 (新字旧仮名) / 片山広子(著)
わかぎはに父は、舎費を三ヶ月分納めたので、先刻さつき渡した小遣銭こづかひせんを半分ほどこつちに寄越よこせ、宿屋の払ひが不足するからと言つた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
僕と同じい中段の向側の人も先刻さつきからむづむづしてゐたが、僕が喫み始めたのでやつと安心をしてその人も煙草をふかし始めた。
京洛日記 (旧字旧仮名) / 室生犀星(著)
たつた先刻さつき心ゆくまで味つた近頃にない喜び——一つは自分より熟練だと考へられてゐる多數の先輩に對して見事に占め得た勝利の喜び
実験室 (旧字旧仮名) / 有島武郎(著)
書終りさていかに酒は來りしや大膳太夫だいぜんのたいふ殿と云へば露伴子ヂレ込み先刻さつき聞合せると云たばかりに沙汰なしとはひどい奴だと烈しく手を
木曽道中記 (旧字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
妹は最う先刻さつきの事をケロリ忘れたやうに、夫の傍へ坐つて活々した話振である。油井は又途中見て来た色々の話をして聞かせる。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
先刻さつき旦那があんなにお魚を買ひ込んだと言つてゐたが、話半分にも當らぬ例の大風呂敷であつたのか。と、お光は微笑みながら
兵隊の宿 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
先刻さつきからまちあぐんでゐた富士が、漸くいま雲から半身を表はしたのだ。昨夜の時雨で、山はもう完全にまつ白になつてゐた。
「待てよ。さう言へば己はどこかであれを見たやうな気がする。先刻さつきからさう思つて見てゐたんだがやつと今思ひ出したぞ。」
フアイヤ・ガン (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
宗助そうすけすわつて五ふんたないうちに、先刻さつき笑聲わらひごゑは、このへんをとこ坂井さかゐ家族かぞくとのあひだはされた問答もんだふからことつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
先刻さつきから見て居るのよ、成程能く似て居ると思つて感心して居るのよ。」と女は言つて笑を含んでぢつと僕の顏を見て居る。
少年の悲哀 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
先刻さつきから、出入ではひりのおあき素振そぶりに、けた、爐邊ろべりものをして母親はゝおやが、戸外おもて手間てまれるのに、フト心着こゝろづいて
一席話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
末と云ふ女中はお照の事を奥様と云つて居る。畑尾は先刻さつき頼まれて帰つた事の挨拶に二三げんうちへ出掛けて行つたのである。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
先刻さつきのあの爐の傍で——顫へながら、むか/\しながら、そしてすつかり蒼褪あをざめて、すさんで、雨風に叩きつけられた自分の姿を意識しながら。
さうして先刻さつきと同じやうな鹿爪らしい顔付で、寒いせゐかいくらか鼻頭をあかくして、——尚も家路とは反対な同じ道をヒヨロ/\と歩いてゐた。
失題 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
父はかなたを向きたるまま「おッさんはどこかへ行つたかい」「ハイ先刻さつき差配のおばさんの許まで行つて来るといふて」
小むすめ (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
「まあ、貴方あなたでしたか。ほんとによくいらつしやいました。先刻さつきから皆さんがお待兼でいらつしやいますよ。」と招じた。
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
『あゝ日があたつて来た、』と音作は喜んで、『先刻さつき迄は雪模様でしたが、こりや好い塩梅あんばいだ。』斯う言ひ乍ら、弟と一緒に年貢の準備したくを始めた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
彼女はやがて歩き出しながら、先刻さつき行き違つた少女のことを考へたのである。あの少女はまだ死なんて云ふことを考へる事が出來ないに違ひない。
三十三の死 (旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
それは宇宙の巨大、人間の微小といふやうな比喩ひゆを無理にも暗示してゐた先刻さつきの空とは、似ても似つかないものだつた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
先刻さつきから三人四人と絶えずあがつて来る見物人で大向おほむかうはかなり雑沓ざつたふして来た。まへまくから居残ゐのこつてゐる連中れんぢゆうには待ちくたびれて手をならすものもある。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
『それに山上講演のマルキシズムと、先刻さつきの女中の、院化ゐんげはんも来なはるとで攻め立てられては三宝鳥も駄目ですよ』
仏法僧鳥 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
今煙草工場さ働きに行つてやすがな、先刻さつき晝やすみに乳飮ませに連れてつて、歸つて來たばつかりなさうですから……
嘘をつく日 (旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
「さあ、ここへ来いよ! おらあ先刻さつきは君たちに帰つて寝ろなんつて言つたつけが、また思ひ直したから、夜つぴてだつて君たちと騒ぎまはるぜ。」
持來るに長兵衞是は先刻さつき口止くちどめが併しお氣の毒と笑ひながら豬口ちよくとりさけ辭儀じぎは仕ない者なりおかんよいうち波々なみ/\うけこれより長兵衞長八の兩人は酒を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
何処から何時の間に、はひつて来たのだらう? 先刻さつき迄は誰もゐなかつたのに。白い猫しかゐなかつたのに。さういへば今は白猫がゐなくなつてゐる。
夾竹桃の家の女 (新字旧仮名) / 中島敦(著)
先刻さつきから聞えて居たのかも知れない。あまり寂けさに馴れた耳は、新な声を聞きつけようとしなかつたのであらう。だから今珍しく響いて来た感じもない。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
それもどうものぞみはないらしいですがね、それよりもかねことですよ。先刻さつきぼく此處ここはひらうとすると、れいのあの牧師ぼくしあがりの會計くわいけい老爺おやぢめるのです。
彼女こゝに眠る (旧字旧仮名) / 若杉鳥子(著)
私は先刻さつきまで彼女が仕かけてゐた乏しいほぐし物が束ねてあるのを寂しく見守りながら、自分のやうな男の妻になつた彼女の運命を、憫れと思ふ事も度々あつた。
金魚 (旧字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
水晶のやうに透きとほつた水が、ざん/\音をたててゐる谷川に沿つて、山と山のあひだを登つて行きますと、先刻さつき見えなくなつた八の字がまた見えてきます。
八の字山 (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
其三尺四方のどぶのやうな田池の中には、先刻さつき大酔して人にたすけられて戸外へ出たかの藤田重右衛門が、殆ど池の広さ一杯に、髪をだし、顔を打伏うつぶして、丸で
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
機関車は矢張ぶう/\小言こごとを言つてゐる……其中に先刻さつきの連中が酒の瓶や紙包みをげて飯屋を出て来て、機関方きくわんがたが機関車へ這上はひあがると……やがて汽車は動き出した。
椋のミハイロ (新字旧仮名) / ボレスワフ・プルス(著)
何だとてそばへゆけば、まあ此処へお座りなさいと手を取りて、あの水菓子屋で桃を買ふ子がござんしよ、可愛らしき四つばかりの、彼子あれ先刻さつきの人のでござんす
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「今夜たつた先刻さつきの事よ! あの犬は此頃もう気が少し変になつて、妾の処に全で入りびたりなのよ。」
先刻さつき義男に斯う云つてやるのだつたと思つた時に、みのるの眼には血がにじんで來るやうに思つた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
『あんまり酒を飲まないやうにしてくれ。』といふなり弟は目をつむり、もう先刻さつきから眠つてゐるもののやうになつた。『ぢや大事に。』けれども弟はそのまゝであつた。
亡弟 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
なにね、先刻さつきおかみさんが来て、私に嫌みを言つたもんだから、それから恵ちやんが——。
疵だらけのお秋 (新字旧仮名) / 三好十郎(著)
味方と思つた彌次連は、先刻さつきから傍若無人の暴言を小面憎く思つて居た、敵であつたのだ。
二十三夜 (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
「あゝ今夜もまたあぶれかな」「さうよ、先刻さつき打つたのが服部時計台はつとりの十一時の様だ」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
私が先刻さつき言ひ直したのが聞えなかつたのか、てつきり私の父だと思ひ込んで居たらしい伯母は、彼女の弟の代りに、そこに小さな子供の私が、物貰ひか何かの様に立つて居るのを見て
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
それが朝夕出入をして居る儀平とこの親父とつさあの仕業であつたと聞いた時は、驚きも怪みも一つになつて心頭からいきどほりほのほのやうにもえたつた。先刻さつきもお巡査さんの前に散々本人をきめつけた。
夜烏 (新字旧仮名) / 平出修(著)