のり)” の例文
口をのりしながら、娘の寿子を殆ど唯一人の弟子にして「津路式教授法」のせめてものはけ口を、幼い寿子に見出して来たのであった。
道なき道 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
したがって生計上に困ることは自然の理で、ようやくその日をのりする位のもので、さらに他を顧みるひまもなかったことでありました。
ドアに背を向けているのは若い院長の健策で、のりいた診察服の前をはだけて、質素な黒羅紗らしゃのチョッキと、ズボンを露わしている。
復讐 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
私は、まだこの口をのりするがために貴重なる自己を売り物にせねばならぬまでにあさましくなりはてたとは、自分でも信じられない。
雪の日 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
それをのりのついた白地の単衣ひとえに着替えて、茶の間の火鉢ひばちの前に坐ると、細君はふと思い附いたように、箪笥たんすの上の一封の手紙を取出し
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
例えば「のりつけ」という名は、ホーセー(乾せ)と聴いた人たちの想像で、それからまた「あすは天気」と鳴くのだとまでいった。
彼の山科やましな丿貫べちかんという大の侘茶人がのりを入れた竹器に朝顔の花を生けて紹鴎じょうおうの賞美を受け、「糊つぼ」という一器の形を遺したと共に
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
半蔵は宿屋のかみさんが貸してくれたのりのこわい浴衣ゆかたはだざわりにも旅の心を誘われながら、黙しがちにみんなの話に耳を傾けた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
なみ状袋じょうぶくろにも入れてなかった。また並の状袋に入れられべき分量でもなかった。半紙で包んで、封じ目を鄭寧ていねいのりり付けてあった。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
家の柱縁側えんがわなぞ時代つきて飴色あめいろに黒みてひかりたるに障子の紙のいと白くのりの匂も失せざるほどに新しきは何となくよきものなり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
そこらに時々見受けるのは、池田候とか、伊達候とか、松平なにがしとか、いずれものり付けになったような長袴ながばかまの静粛な去来のみです。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、こう云う商売をして、口をのりしてゆくのは、決して容易なものではない。第一、十日と天気が悪いと口が干上ってしまう。
仙人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「それはね、もう一粒のごはんつぶをすりつぶし、それをのりにして、もう一粒のごはんつぶに塗ってつけたらいいでしょう。」
花燭 (新字新仮名) / 太宰治(著)
のりのついた真白い、上衣うわぎたけの短い服を着た給仕ボーイが、「とも」のサロンに、ビール、果物、洋酒のコップを持って、忙しく往き来していた。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
唐土もろこしから傳來の繪と違つて、元信の描いたのは紙本で、それにのりも新しいわけですから、水で剥がすのは一番良い要領です。平次は續けて
彼等も、耕すか、家畜を飼うかして、口をのりしているのだ。上等兵はそういうことを考えた。——同様に悲しむ親や子供を持っているのだ。
パルチザン・ウォルコフ (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
龍造寺主計は、やっこだこのような、のりのこわい佐吉の浴衣ゆかたを、つんつるてんに着ていた。毛だらけのすねを出して、笑っていた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
すると私は、オブラートにのりをつけたものを持っていて、その風船の肛門こうもんのようなところへ円い色紙をペタリと貼りつける。
柿色の紙風船 (新字新仮名) / 海野十三(著)
クリストフは稽古けいこを始めた。彼女はいやに堅くとりすまして、両腕が身体にのり付けになり、身動きすることもできなかった。
のりの剥げた見返しの下に、細筆で「細野源三郎」と書いてあった。女文字のような、いかにも小心な手跡で、「源」の一字だけ墨が滲んでいた。
古今集巻之五 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
船と船とは、見る見る薄いのりのような青白いまくに隔てられる。君の周囲には小さな白い粒がかわき切った音を立てて、あわただしく船板を打つ。
生まれいずる悩み (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そうすると段々粘って固ってのりのようになります。それをスープ皿へ盛って牛乳とお砂糖をかけて食べます。どんなにお美味いしゅうございましょう。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
あたしは善兵衛さんに手伝って、いつになく機嫌よく壁張りの手伝いや見物や助言をした。それは逆さまだ、こっちのほうのりをつけた方がよいのと。
浅草紙あさくさがみのようで厚いのに色紙が張ってあるのですから、半紙の薄い中身はのりで附ければ跡はわからなかったそうです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
老いたる祖母は浦賀で困厄こんやくの間に歿した。それでも跡に母と妻と子とがある。自己をあわせて四人の口を、かくの如き手段でのりしなくてはならなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
醫者いしや爼板まないたのやうないたうへ黄褐色くわうかつしよく粉藥こぐすりすこして、しろのりあはせて、びんさけのやうな液體えきたいでそれをゆるめてそれからながはさみ白紙はくしきざんで
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
白襯衣シャツの角のない襟は用捨もなく押しつけるように耳朶をささえて、また両頬を擦り、のりで固めた腕飾りはまったく手頸をかくして、赤い先の曲ッた指
あいびき (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
仕入れた品は店に出す前に一冊一冊調べて、鑢紙やすりがみや消ゴムで汚れを拭きとったり、こてしわのばしをしたり、破損している個所をのりづけしたりしている。
落穂拾い (新字新仮名) / 小山清(著)
いろ/\の抱負もさる事ながら、一人前ひとりまへに自分の口をのりすることが先決問題かと被存候ぞんぜられさふらふ。この頃つく/″\その様な事を考へるやうに相成あひなさふらふ。(後略)
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
ただ我画につたなく、画工たる能はざるをうらむ。もし自ら楽まんとならば画の拙なるを憂へず。口をのりする能はず。
病牀譫語 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
淡島屋だけは幕府のお台を作るのりの原料という名目で大びらに米俵を積んで置く事が出来る身分となっていた。
そのほか、のりのついたスカートだの、なるべく格好のいい靴だの……ほら、ぬかるみを飛び越す時に、ちょいと足を出した形のいきに見えるようなやつをな。
清浄な蒲団ふとんにおいのいい蚊帳かやのりのよくきいた浴衣ゆかた。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。ねがわくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。
檸檬 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
のりでつながれて部厚く巻込まれた錦絵を私が手に取り上げましたら、父が片方を徐かにほぐして行きながら、縁の端まで行って立ち止まってくれるのでした。
虫干し (新字新仮名) / 鷹野つぎ(著)
それに、まだれないうちは、のりがよくついていないといって、問屋とんやっていってから、ははは、小言こごとかされて、しおしおとかえってきたこともあります。
おさくの話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
氏は新政府に出身してただに口をのりするのみならず、累遷るいせん立身りっしんして特派公使に任ぜられ、またついに大臣にまで昇進し、青雲せいうんこころざしたっし得て目出度めでたしといえども
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
空気が濃く重くドロリと液体化して、生温いのりのようにねばねばと皮膚にまといつく。生温い糊のようなものは頭にも浸透して来て、そこに灰色のもやをかける。
今のヤマトのりが一般に普及する前は、子供が何かる場合も、ひめ糊がなければ続飯そくいを用いたものである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
しかも紙はぬらさなければならないし、汚点しみをつけてはいけないし、のりは熱くしておかなければならないし、まったくやりきれません。そして日に四スーです。
大晦日おおみそかの夜の十二時過ぎ、障子のあんまりひどく破れているのに気がついて、外套がいとう頭巾ずきんをひっかぶり、さら一枚をさげて森川町もりかわちょうへ五厘ののりを買いに行ったりした。
どんぐり (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
やがてドクトルはのり硬張こわばった診察着でやって来て、ベッドの傍にひざをついて聴診器をつかいはじめた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
羽には全部のりがつけてある。そしてとがった翼の先で地面に筋を引く。自分の通る道をちゃんと描いておくようだ。彼女は必ずその道を進み、決してわきへは行かない。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
金五郎から、手出しするな、といわれて、台所で、大釜に、のりをたぎらせていたのである。暴漢どもが闖入ちんにゅうして来たら、柄杓ひしゃくで、それをっかけてやるつもりだった。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
「知らないわけはない……のり売ばばあの奥どなりの、……源吾とかいう子供とふたり暮しの……」
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
早速お湯を沸かし、その湯気を封にあてていると、やがてのりがゆるんで来て、難なく開封出来た。
ボロ家の春秋 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
白い縫い模様のあるえり飾りを着けて、のりで固めた緑色のフワフワした上衣うわぎで骨太い体躯からだを包んでいるから、ちょうど、空に漂う風船へ頭と両手両足をつけたように見える。
糸くず (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
例の慢心和尚はこの時、点心てんじんでありました。膳に向ってのりのようなおかゆのようなものを一心に食べていました。その食事の鼻先へ、ムク犬があえぎ呻ぎ逃げ込んで来ました。
米一粒でさえ用をまっとうしないで、捨て去ってしまうのはもったいない。すずめにやるとか、魚にやるとか、のりをこしらえるとか、工夫するのも料理人の心がくべきことだと思う。
残肴の処理 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
第一の種類に属するものは、極めて大胆で、死体に湧く青蠅あおばえのように物事にしつっこい。第二の種類に属するものは、極めて臆病で、のりの足らぬ切手のように執着に乏しい。
死の接吻 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
地中の球根をきつぶせば強力なのりとなり、女の乳癌にゅうがんれたのにつければくといわれる。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)