現今いま)” の例文
明治十年の出生であったが、もの心づいた時は、京橋区木挽町こびきちょう現今いまの歌舞伎座の裏にあたるところの、小さな古道具屋が養家だった。
江木欣々女史 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
もし仮に他の人であったら現今いまのわたくしのような善い人たちにかこまれることもなく、かなしい憂目うきめを見たかも分りません。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
現今いまではそれがつたといふのは、一おそうた暴風ばうふうために、あつ草葺くさぶき念佛寮ねんぶつれうはごつしやりとつぶされた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
現今いまの若かさを移ろわぬに惜しみなされ、唐人も歌っているとおり——高歌一曲蔽明鏡こうかいっきょくめいきょうをおおう昨日少年今白頭さくじつのしょうねんきょうははくとう——だ。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
南部甲斐守の邸は、ちょうど現今いまの日比谷公会堂が建っている辺りにあった筈だから、自分はいまその近くの地下にいるのだということだけはわかる。
魔都 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
小櫻姫こざくらひめ貞女ていじょ亀鑑かがみである』などと、もうしまして、わたくし死後しご祠堂やしろかみまつってくれました。それが現今いまのこっている、あの小桜神社こざくらじんじゃでございます。
現今いまなら三歳の児童でもよもや犯すまいと思われるような誤ちが、この世界ではざらに犯されて来たのである。
その時、現今いま医科大学生の私の弟が、よく見舞に来てくれて、その時は種々しゅじゅはなしの末、弟から聴いたはなしです。
死体室 (新字新仮名) / 岩村透(著)
美術論から文学論から宗教論まで二人はかなり勝手にしゃべって、現今いまの文学者や画家の大家を手ひどく批評して十一時が打ったのに気が付かなかったのである。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
それはまだ私の学校時代の事だから、彼処あすこらも現今いまの様ににぎやかではなかった、ことにこの川縁かわぶちの通りというのは、一方は癩病らいびょう病院の黒い板塀がズーッと長く続いていて
白い蝶 (新字新仮名) / 岡田三郎助(著)
『どうして、え?』つてくと、真面目まじめな顔で、M(村の名)の勇助——ほれ、この春、死んだ歌唄ひさ。——あれが、現今いま閻魔えんまの座に直つてゐるからだつてんだ。
野の哄笑 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
現今いまでもそうではあるが、当時の日本人には、公徳心なんて小学修身書にも珍らしい文字であった。
青バスの女 (新字新仮名) / 辰野九紫(著)
現今いまの言葉で言えば、非常に推理力の発達した男で、当時人心を寒からしめた、壱岐殿坂いきどのざかの三人殺しや、浅草仲店の片腕事件などを綺麗に洗って名を売り出したばかりか
私は、現今いま下谷したや北清島町きたきよしまちょうに生まれました。嘉永かえい五年二月十八日が誕生日です。
それはあだかも昔の七つさがり、すなわ現今いまの四時頃だったが、不図ふと私は眼を覚ますと、店から奥の方へ行く土間のすみの所から、何だかポッとけむの様な、楕円形だえんけい赤児あかんぼの大きさくらいのものが
子供の霊 (新字新仮名) / 岡崎雪声(著)
現今いま私のうちる門弟の実見談じっけんだんだが、所は越後国西頸城郡市振村えちごのくににしくびきぐんいちふりむらというところ、その男がまだ十二三の頃だそうだ、自分のうちき近所に、勘太郎かんたろうという樵夫きこり老爺おやじが住んでいたが、せがれは漁夫で
千ヶ寺詣 (新字新仮名) / 北村四海(著)
その頃は現今いまとちがって、日本の活動写真界は極めて幼稚なもので、到底私たちの希望に叶いそうもありませんでしたから、無論その話は沙汰止みになりましたが、只今は、子供が五人もあって
暴風雨の夜 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
距離の観念にうとい私には、木戸から南へむけてわれらがどの位進んだかはつきり記することが出来ないが、何でもおよそ現今いまの家の庭の中では、ずいぶん進んだという感じだけはたしかにした。
殺人鬼 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
ほんとに貴女あなたこそ幸福ねエ——何故ツて?——貴女は愛を成就じやうじゆなされたぢやありませんか、現今いまの貴女は只だ小波瀾の中に居なさるばかりです、銀子さん何卒どうぞ、私を可哀さうだと思つて下ださい
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
見渡みわたすに現今いまの世界は交際流行かうさいばやりで、うもこの世辞せじらぬ事だとふけれど、これも言葉の愛でうしても無ければならぬものだ、世辞せじうと性来せいらいの者は、何様どんなに不自由を感じてるかも知れぬから
世辞屋 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
いとしがられしが八幡鐘はちまんがね現今いまのように合乗り膝枕ひざまくら
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
現今いま婦人ひとは、かなり個性に生きてゐるといふが、そのくせ流行はやりものに安くコビリつく。その點、古い下町の女はかなり自分に生きてゐた。
下町娘 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
不意ふい出来事できごとに、女房にょうぼうおもわずキャッ! とさけんで、地面じべた臀餅しりもちをついてしまいましたが、そのころ人間にんげん現今いま人間にんげんとはちがいまして、すこしはかみごころがございますから
で、現今いまでもT×××寺院には彼の筆になる福音書の使徒ルカの像が残つてゐる。しかし彼の入神の技ともいふべきものは、会堂の右側の、外陣の壁に懸つてゐる一幅の絵である。
やつとのことで現今いまれう以前いぜん幾分いくぶんの一のおほきさに再建さいこんされるまでにはたな無残むざんのこぎりかゝつてたのである。それでも、老人等としよりら念佛ねんぶつ復活ふくくわつしたことに十ぶん感謝かんしや滿足まんぞくとをつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
当時の一両三分二朱は現今いまの三十円内外にも当りましょうか。
その人こそ現今いまも『朝日新聞』に世俗むきの小説を執筆し、歌沢うたざわ寅千代の夫君として、歌沢の小唄こうたを作りもされる桃水とうすい半井なからい氏のことである。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
小伝馬町の、現今いま電車の交叉点こうさてんになっている四辻に、夕方になると桜湯の店が赤い毛布ケットをかけた牀床しょうぎをだした。麦湯、甘酒、香煎こうせん、なんでもある。
その当時の牛込余丁町のお住居は、当今いまのお家のずっと後の方で現今いま小道路こみちになっているあたりに門があった。
古い暦:私と坪内先生 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
これは丁度現今いま三越呉服店を指さすように、その当時の日本橋文化、繁昌地はんじょうち中心点であったからでもあるが、通油町の向う側の角、大門通りを仲にはさんで四ツ辻に
旧聞日本橋:02 町の構成 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
現今いまの金に算して幾両の金数きんすは安く見えはするが、百文あれば蕎麦そばが食えて洗湯にはいれて吉原なかへゆけたという。くらべものでないほど今日より金の高かった時代である。
総理大臣の勢力は、現今いまよりも無学文盲であった社会には、あらゆる権勢の最上級に見なされて、活殺与奪の力までも自由に所持してでもいるように思いなされていた。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
長谷川町は大和からの名であろうが、其処そこには長谷川という大きな木綿問屋が現今いまでもある。
現今いまは、人形町通りに電車が通り、道幅が広がっているが、人形町通りは大門おおもん通りと平行して竪に二筋ならんでいたのだが、大門通りの気風と、人形町とはまるで違っていた。
河原崎座主、河原崎権之助ごんのすけは、九世団十郎が、市川宗家そうけに復帰しない、養子にいっていた時の名——現今いまでもあのあたりは、歌舞伎座、東京劇場、新橋演舞場が鼎立ていりつしている。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
この西川屋一家も以前もとは大門通りに広い間口を持っていた。蕎麦屋の利久の斜向すじむかいに——現今いまでも大きな煙草タバコ問屋があるが、その以前は、呉服用達ようたしの西川屋がいたところである。
石山本願寺は、現今いまの大阪城本丸の地点にあって、信長に攻められたのだが、一向宗は階級的な強さがあるので、負けるどころではなかったが、綸旨りんしくだって和議となったのだった。
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
当時流行のせんたん花ガスは、花のかたちをした鉄の輪の器具の上で、丁度現今いま、台所用のガス焜炉こんろのような具合に、青紫の火を吐いて、美観を添え、見物をおったまげさせていたのだ。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
日本橋通りの本町ほんちょうの角からと、石町こくちょうから曲るのと、二本の大通りが浅草橋へむかって通っている。現今いまは電車線路のあるもとの石町通りがまちの本線になっているが、以前もとは反対だった。
旧聞日本橋:02 町の構成 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
全く現今いまでは想像のつかないほど、横濱の南京町ナンキンまちなど不氣味な場所ところだつたやうだ。
日本橋あたり (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
その頃の九段坂上は現今いまよりグッと野暮な山の手だった——富士見町の花柳界が盛りになったのは、回向院えこういん大角力おおずもうが幾場所か招魂社しょうこんしゃの境内へかかってから、メキメキと格が上ったのだ。
音無川おとなしがわを——現今いまでは汚れた溝川になっているが——前にした、静かな往来にむかって、百姓の角に、竹で網んだ片折戸かたおりどをもった、粗末ではあるが閑寂かんじゃくな小屋に、湯川氏のおばあさんが
どうしてどうして現今いまのおはるさん(羽左衛門の細君の名)は働きものです。それは自分の持って来たものはあるけれど、どうしても養母おっかさんがしっかりしているから、なくなさせやしません。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
堀留ほりどめ——現今いまでは堀留町となっているが、日本橋区内の、人形町通りの、大伝馬町二丁目うしろの、横にはいった一角が堀留で、小網町河岸かしの方からの堀留なのか、近い小舟町にゆかりがあるのか
現今いまほどすつかり工場町こうぢやうまちになつてしまはないで、松林に梅雨つゆの雨が煙り、そのすぐ岸近くを行く汽船ふねの、汽笛の音が松の間をぬつて廣がりきこえるほど、まだ閑靜しづかだつた時分、ある家の塀の中に
桑摘み (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
現今いまの左団次の伯父さんの中村寿三郎じゅさぶろうや、吉右衛門きちえもんのお父さんの時蔵や、昨年死んだ仁左衛門にざえもん我当がとうのころや、現今いまの仁左衛門のお父さんの我童がどうや、猿之助えんのすけのお父さんの右田作うたさく時代、みんな、芸も
現今いまのように、ふんだんに花の店がない時分だから、一枝の花のいとしみかたも格別だった。紅梅が咲けば折って前髪に挿し、お正月の松飾りの、小さい松ぼっくりさえ、松の葉にさして根がけにした。
現今いまのように金融機関のそなわらない時代のことである。