摺鉢すりばち)” の例文
それが今、茶の間……といってもその一室きりない栄三郎の侘住居わびずまいに、欠け摺鉢すりばちに灰を入れた火鉢をへだてて向かいあっているのだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
私は本堂の立っている崖の上から摺鉢すりばちの底のようなこの上行寺の墓地全体をのぞき見る有様をば、其角の墓諸共もろともに忘れがたく思っている。
姉さんが泣き出しましたので、祖母おばあさんがお座しきから出てくると、暗い処で摺鉢すりばちにつまずいて足をたがわかしてしまいました。
三つの眼鏡 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ジューッ……と忍川の流れから白い煙が噴き揚ッたのは、おさらばのついでと景気よく蹴込んで行った摺鉢すりばちの残り火でしょう。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おつぎは與吉よきちはららしてときにはこめみづひたしていて摺鉢すりばちですつて、それをくつ/\と砂糖さたういれめさせた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
小屋の中は摺鉢すりばちのようになって、真中のところが興行場になっていて、見物は相撲を見ると同じように、四方から囲んで見ることになっています。
蕨採りと言ッたところがさのみ面白い遊戯でもない,が摺鉢すりばちのような小天地で育ッている見聞きの狭い田舎の小児こどもには
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
摺鉢すりばちの底のような窪地くぼちになった庭の前には薬研やげんのようにえぐれた渓川たにがわが流れて、もう七つさがりのかがやきのないが渓川の前方むこうに在る山をしずかに染めていた。
山寺の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その代り目の廻るほど忙しきは下女の役、一人はしきりに南京豆を炮烙ほうろくにてり、一人は摺鉢すりばちにて搗砕つきくだく。妻君客をかえり
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
勝手に台所を掻廻かきまわした挙句が、やれ、刺身が無いわ、飯が食われぬ、醤油が切れたわ、味噌が無いわで、皿小鉢を病人へ投打ち三昧ざんまい摺鉢すりばちの当り放題。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一度洋館の方へ引返ひっかえして、何か邸内の人に頼んでいる様子だったが、間もなく炊事用の摺鉢すりばちを抱えて来て、最もハッキリした一つの足跡の上にそれをふせた。
何者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
吾々われわれは「扇をさかさにした形」だとか「摺鉢すりばちを伏せたような形」だとかあまり富士の形ばかりを見過ぎている。
路上 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
丹「うだね、男じゃア毀すかも知れねえ、私等わしらは何うも荒っぽくって、丼鉢を打毀うちこわしたり、厚ぼってえ摺鉢すりばちを落してった事もあるから、困ったものだアね」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
台所の戸に白いすももの花の匂うもわずかの間です。山家の春は短いもので、すし田楽でんがくよ、やれそれと摺鉢すりばちを鳴しているうちに、若布売わかめうりの女の群が参るようになります。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
土間の中央には、大きな摺鉢すりばち形をした窪みがあって、そこには丸薪まるまきや、引き剥がした樹皮などが山のように積まれ、それが、先刻さっきからくすぶりつづけているのである。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
その下に摺鉢すりばち仰向あおむけに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根卸し、摺小木すりこぎが並んでけてあるかたわらに火消壺だけが悄然しょうぜんひかえている。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
まさかは、摺鉢すりばち破片かけかともはなかつた。が、それは埴輪はにわ破片はへんだらうとうてうてた。
丁度少し傾斜した大摺鉢すりばちの中点にあるようだから、風は当らない、その上絶えず焚く焔で、石の天椽は暖まる、南方に大残雪を控えているにもかかわらず、至極しごく暖かだ。
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
怪我けがをしなくても、元来春先になると、頭が摺鉢すりばちをかぶったように鬱陶うっとうしくなるのが病気で、あおい天井の下にいさえすれば、せいせいするので、田舎いなかへ帰りたくもあったが
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
人から聴けばへそせんじ、牛蒡ごぼうの種もいいと聴いて摺鉢すりばちでゴシゴシとつぶした。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
さういひながら良寛さんが、背戸からんで来たのを見ると、器が摺鉢すりばちであつた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
そして、ふちの欠けた摺鉢すりばちのなかへ粕をぶちまける。山羊は「ミイ、ミイ」啼きながら、夫と妻と競争で鉢の中へ頭をつっこむ。そして、忽ちまるで吸いこむように早く、たいらげてしまう。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
或日、老僕ろうぼく、先生の家に至りしに、二三の来客らいかくありて、座敷ざしきの真中に摺鉢すりばちいわしのぬたをり、かたわらに貧乏徳利びんぼうとくり二ツ三ツありたりとて、おおいにその真率しんそつに驚き、帰りて家人かじんげたることあり。
善兵衛おじいさんがまたの間へ摺鉢すりばちを入れて、赤っぽい大きなお団子だんごをゴロゴロやっているので、摺鉢をおさえてやりながら、なににするのだときくと、ただニヤニヤ笑っていたが、やがて
また鉢についても必ずしもよき鉢には限り申間敷、あるいは瓦鉢かわらばちあるいは摺鉢すりばちその他古桶などを利用致したるも雅味深かるべく候。ただし画をかきある鉢は如何なる場合にもよろしからずと存候。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
衛門 何でも話に聞くと、摺鉢すりばちを伏せたような山だそうではありませんか?
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
その噴火口は波状の平原につらなれるが、摺鉢すりばちの如くには深くおちいらず、大皿の如くにて、大雪山の頂上は南北三里、東西二里もあるべく、その周囲には北鎮岳、凌雲岳、黒岳、赤岳、白雲岳、熊ヶ岳
層雲峡より大雪山へ (新字新仮名) / 大町桂月(著)
花崗岩みかげいしの板を贅沢に張りつめたゆるい傾斜を上りつめると、突きあたりに摺鉢すりばちのような池の岸に出た。そこに新聞縦覧所という札のかかった妙な家がある。一方には自動車道という大きな立札もある。
雑記(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
此度このたび備前びぜん摺鉢すりばち底抜けて、池田宰相味噌をつけたり
鍵屋の辻 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
摺鉢すりばちに箒が立っていたり、小丼こどんぶりに肌着がかぶせてあったり、そして、えたような塵埃のにおいが柱から畳と部屋じゅうにしみわたって
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
場所柄からこれは植木屋かとも思われて、摺鉢すりばちを伏せた栗の門柱に引違いの戸を建て、新樹の茂りに家の屋根も外からは見えない奥深い一構ひとかまえがある。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「ナアルほどなあ。千六旦那の眼ンクリ玉はチイットばかり違わっしゃるばい。摺鉢すりばちの底の長崎から、この船の風待ちが見えとるけになあ。ハハハハ……」
名娼満月 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
先日教えて戴いた薩摩芋の梅干和うめぼしあえなんぞも忙がしい時に裏漉うらごしだけ略してお芋と梅干を摺鉢すりばちへ入れてよく擂交すりまぜましたらそれでも結構食べられました。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
次の段に乗せてあった摺鉢すりばちと、摺鉢の中の小桶こおけとジャムの空缶あきかんが同じく一塊ひとかたまりとなって、下にある火消壺を誘って、半分は水甕みずがめの中、半分は板の間の上へ転がり出す。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
仕度するところと見え、摺鉢すりばちを鳴らす音は台所の方から聞える。炉辺ろばたで鮠の焼ける香は、ぢり/\落ちて燃える魚膏あぶらの煙に交つて、斯の座敷までもうまさうに通つて来た。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「こいつは焼け過ぎる」と言いながら、先生が折角あんばいよく摺鉢すりばちの火鉢で焼いていた餅を取って、口へ持って行きそうにしましたから、用捨ようしゃはならんという血相で
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とお蔦は、下に居る女中の上から、向うの棚へ手を伸ばして、摺鉢すりばちに伏せた目笊めざるを取る。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
二三にちあひだ片口かたくち摺鉢すりばちれた葬式さうしきとき残物ざんぶつべて一たゞばんやりとしてくらした。雨戸あまどはいつものやうにいたまゝ陰氣いんきであつた。卯平うへいくはへて四にんはおたがひたゞひやゝかであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
第一だいちああ忙がしくしていちゃ、頭の中に組織立ったかんがえのできるひまがないから駄目です。あいつの脳と来たら、ねん年中ねんじゅう摺鉢すりばちの中で、擂木すりこぎき廻されてる味噌みそ見たようなもんでね。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
正覚坊しょうがくぼうの卵みたいな、三寸玉から五寸玉ぐらいまでの花火の外殻からが、まだ雁皮貼がんぴばりの生乾なまびになって幾つも蔭干しになっているし、にかわを溶いた摺鉢すりばちだの、得体えたいの知れない液体を入れた壺だの
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
オヤモーそちらのが湯だりましたか、それならば一度よく湯煮こぼして下さい。お芋のアクがぬけます。エート先ず梅干あえをこしらえましょうか。そのお芋を少しばかり裏漉うらごしにして摺鉢すりばちへ入れて下さい。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
棚の上には、伏せた鍋、起した壺、摺鉢すりばちの隣の箱の中には何を入れて置いたかしらん。棚の下には味噌のかめ醤油しょうゆたる。釘に懸けたは生薑擦子わさびおろしか。流許の氷は溶けてちょろちょろとしてどぶの内へ入る。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
けの蔭へもぐり込んで、火鉢ひばち代りの摺鉢すりばちの火をほじり立てます。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)